cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日
女子高生と山月記 「虎になる」というフレーズが流行った。 高校時代の話だ。かつて鬼才と呼ばれた男が、己の心に潜む獣に振り回されて虎になる話を習った。重い題材なのにどうにも心にひっかかる上、人間が虎になるという衝撃的展開に驚いた。加えて「尊大な羞恥心」だとか「臆病な自尊心」とかいう妙に語呂の良いワードが登場することから、わたしたちは授業が終わってもこの話を忘れられず、結果「虎になる」というフレーズを局地的に流行らせた。 わたしたちは虎になった。主に葛藤してどうしようもない時や人間関係が煩わしい時、そして自分が嫌いになった時に。具体的に言うならテスト前や恋愛にまつわる他者とのいざこざ、理想と現実の狭間でもがいた時に、現状の気怠さを「ほんと虎になるわあ」と溜息交じりに吐き出したのだ。 仲のいいグループだけで使う暗号のような、気怠さの共有コードのような使い方をしていたのに、いつしか他のグループにも
障害のある人に対して優しくすること、配慮をすることは当たり前だと思いますか? ひとりの健常者としての私の答えは「はい」です。 ひとりの障害児の母親としての私の答えは「いいえ」です。 なに言ってんだ?と思いましたか? 人は立場が変われば物事の考え方も受け止め方も変わり、それに伴って意見も変わります。そして、対極にあるその二つの意見は両立すると思っています。 今日はそんなお話です。 ひとりの健常者としての「はい」 障害なんて、自分も家族も健康だし、無縁のものだと思いますか? どんな人もいつ障害を負うことになるかわかりません。 病気 原因不明 交通事故 医療事故 窒息 溺水 出産トラブル 障害をおうことになる原因の一例。 どれも一生100%自分には起こりえない、なんて人いないのに、想像もしない人がほとんど。 私もそうだった。こうなって初めて知った事だらけ。 障害と一緒にちゃんと笑って生きていける
父が緊急の手術を受けることになった。一日がかりの大手術と聞き、早朝の電車で片道3時間の地元へ向かう。 「やぁやぁ、遠いところを良く来たね」 「良く来たね」もなにも、私は実家から勘当されたことになっている。かれこれ10年以上にわたり、盆や正月はもちろん親戚縁者の冠婚葬祭からも完全に閉め出されてきた。 ところが数年前に唐突に呼び出されて以来、実家で困ったことが起きるたびに連絡が来るようになったのだ。 「家族」の履歴 そもそも、家族との記憶には良い思い出があまりない。 幼いころ、兄を溺愛していた両親は私にほとんど関心を示さなかった。幸い私の面倒は祖母が見てくれていたのだが、安定した預け先が確保できたことで、いよいよ顔を見せなくなった。やがて祖母が入退院を繰り返すようになり、親子で過ごす時間が増えることになる。しかし正直なところ、良く知らない人達が急に現れたという印象しかない。初期の親子形成から切
新年にこんな記事を書きまして、 「育児中心の生活でとことん自信を失った」と書いているのですが、 自信をなくした要因の1つが、「近所に親しいママ友ができなかった」こと…のような気がしています。 支援センターや公園に行ってみたり、育児サークルに入ってみたり、娘のプレ幼稚園に通ったり、習い事にも通ったりしてきましたが、 特定の仲良しのママ友ってできなくて。 最後まで顔見知りレベルから脱却できませんでした。 これまでの人生振り返ってもそれほど友人は多い方ではなかったけど、その時その時で親友と呼べる友達はいたので、数の少なさは気にならなかった。 でも、他のママさんたちがどんどん友達を増やしていたり仲の良いグループができたり…という中でずっと一人だと、「もしかして私って友達を作る能力が低すぎるのでは」「みんなにはできることが私にはできない」と、自分のコミュニケーション能力にどんどん自信がなくなっていっ
以前、グリーフケアを取り上げたときに、配偶者との死別は最凶のストレス源であり、適切に悲しむことがその後の回復のために大切だと紹介しました。 【配偶者との死別】「子どもの成長をともに見守るパートナーがいなくなったらどうしますか」【グリーフケア】 - 斗比主閲子の姑日記 ということで、死別後に悲しむのはたぶん大事。もちろん、悲しいという感情が抑え込まなくても出てこないというのなら、別に無理して悲しむものではないんでしょうけど。 ちなみに、私が好きな、吉田秋生さんの『海街ダイアリー』という漫画では、第一話で、夫に先立たれてワンワン泣く妻と、父親が死んだけれど母(正確には継母)を世話するために葬式で異常にしっかりしている娘が登場します。 ここでも死別後にワンワン泣いているほうが強いという描かれ方がされています。何かと登場人物の察しが良すぎるんだけど、やっぱりこの辺の描き方は凄くいい。 そのときに、
きもったま母ちゃん桜です(^^)v 母は私を。私は息子を想う。 月くんを忘れた日は一日もない 久しぶりの天使ママカテゴリーでのupです。 お盆、以来かな。 月くんの事は中々書けない。 自分の中でだけ納めようと思うことが多くなってきた今日この頃。 それは、 離婚して、月くんの事を知る人のすくない土地に引っ越して あえて口にするのも、相手を困惑させてしまうだけだから。 それに、 『お子さん何人?』 って聞かれても、 『二人です』 って答えることにも慣れてきた・・・。 だけど、今、キツすぎて・・・。 気持ちの持って行きようが無くて。 私は月くんを想って涙が止まらないし、 私の母は、泣いている私の姿を見て、怒りながら泣いていた。 思い出す。 お葬式のあの日も、 義母が、 「月が亡くなったのも辛いけど、息子(モラ夫)が泣いている姿を見るのが辛い」 と言っていたのを。 フラッシュバック 先日、有ること
2歳2ヶ月の娘は先天性心疾患で生まれ、修復手術後も心臓に障害が残ったため、医療的ケアがあるままおうちに帰ってきました。 親としては認めたくない気持ちもあるのですが、行政区分的には立派な障害児です。 (障がい児と書くべきという人もいるでしょうが、私は気にしてないのでこの書き方でいきます) これ、すぐにできる人とできない人がいると思う。私はできない人。未だに親の会は入ってない。療育機関も今月やっと。 子供の障害が分かった時に行った5つのこと|chakumi @chakuminet|note(ノート) https://t.co/6QwXeZg61Q— りい (@aoyamarii) 2019年1月22日 note.mu 皆さん、お子さんの病気や障害が分かってすぐ情報収集に動けました? 私は無理でした…… 娘の病気が分かったのは妊娠30週でした。病名とエコーで確認できる心臓の状態をイラスト入りで教
「目の前にいる、生まれたばかりの赤ちゃんである我が息子。この子が、男であることがなんか、嫌」 ある日、自分のそんな奇怪な感情に気づいた、漫画家・田房永子。上の娘が赤ちゃんの時にはこんなこと思わなかったのに。 思えば中学、高校と6年間女子校に通い、生身の男子との交流に飢えながら、少女漫画でファンタジックな男性観を培い、しかし実際に出会い接触するのは「痴漢」という性的な恐怖を与えてくる男たちのみだった──。 もしかして自分は、強烈な男性嫌悪者かもしれない。このまま、男の子を育てるなんてしてはいけない。己の歪んだ男性観の矯正に挑む、ド直球日常報告エッセイ! ワイ君が生まれてから、夫との関係は穏やかだった。とにかく大人2名で子どもが2人いる生活を回すことに精一杯で、余計な喧嘩はできなかった。 だけど夫がなんとなく冷たくなったりすることがあった。 そんなにすごくはないけど、なんか気にかかるくらいの冷
久々に食べた大好物、青葉の中華そば。美味しかった。 なんかの勢いで「私みたいな大人にならないでくださいね!」と複数の若者(だいたい10歳以上年齢が下の方)に言う機会があり、それはぴょこっと飛び出しただけだったんだけど、実際真似してはならぬけものみちであるし、せっかくなのでふと書き起こす。 寝た方がいい。早寝早起きでなくてもいいと思う。寝ないと確実に心身のどこかがやられてしまう 寝られないのは自分の努力不足とか思わない。無理なものは無理 ごはんは食べたいものを食べてるな〜と思って食べるのがよい。同じメニューでも納得感が違う。カップヌードルとおにぎりが連続してた時も、食べたいから選択するのと、お金のために他の選択肢を消すのだったら、食べたくて食べてる方がうまい いやだなーと思う街には近づかない。滞在時間を短くする めっちゃ仕事が降ってきたらたまに全力以上でやると限界を知れるのでよい。酒の許容量
去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ
半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ
障害者っていっても、体に障害があるっていうより、「生きていく事に障害がある」って言った方がよりわかりやすいんだろうけど、図にしたらこうなる。 で、私も「生きていく事には障害がある」んだけど、例えば視力。私は裸眼で0.1もないから、裸眼では生活はできないので、ほとんどメガネかコンタクトをつけている。 障害者の支援というのは、障害者にとって、メガネみたいなものを(できるだけ)手軽に用意できる事を目指している。(んだと私は認識している) 例えば目が見えない人には、点字ブロックを用意するのがそうだよね。 でもさ、誰かが点字ブロックの存在を広めてあげないと、私たちは点字ブロックを知らずにブロックの上に立ち、道をふさぐことになり、目の不自由な人が困ってしまうかもしれない。 障害者の当事者や家族は、色々な支援を求めたり情報を周知するために、活動をされている。メガネの存在を知らない人が多ければ、メガネとは
やれ甲子園でいいとこまで行った高校が弱小だっただの 巷に溢れるオタクカルチャーだの漫画だの 震災で生まれた感動ドラマにオリンピックへの結束 障碍者を見世物にした感動ドラマにジャニタレ、声優崩れのアイドルの絶叫過剰演技 ビジネスマンのサクセスストーリーに就活生の就活ドラマ ブラック企業の愛社物語 ニートのニート脱出物語 あっちで汚らしい愛玩ネコに「ご主人様」としゃべらせれば こっちでは暗躍する外人が日本で陰謀を企ててる、というプロットを吹聴する それに対抗するは日本を憂う中年40代のヒーロー()たちだ いい加減にしてくれよ 世の中、そんな都合よく「ストーリー」は存在しない 勧善懲悪もほとんどないし、努力が報われることも少ない 胸のすくようなスカッとジャパン()も存在しない ただただ事象の積み重ねだ
自分の母親が若年性認知症を患い、面会に行くたびに落ち込んでいました。 そして、お母さんが元気な友達に対して、「自分とは大違い」「気楽なもんだ」とひどい嫉妬の感情を抱いていました。 それでも、母のことを人に伝えることはしませんでした。 前回の記事:なんでうちの母が若年性認知症に...やり場のない気持ちが周りへの嫉妬に 直接介護していなくても、親の面倒を見るという事は心身どころか金銭面でも大変な労力を強いられます。他人を羨んで妬んで少しずつ歪んでいった私、当時は黒く渦巻く自分の気...
勝間和代さんの「同性を愛するということ 勝間和代のカミングアウト」で、『人生において、男性を愛したこともあり、今は増原を愛している。愛したのは、その個人であり、性別ではない』という文章を読んだ時、私は「これぞ理想の恋愛だ」と舞い上がった。 性別などの属性を超えて、その人個人を愛する。 そういう恋愛がしたいと思った。 同時に、今まで目を背けてきた自らの性的指向について考えた。 こういうことは日記帳に書くべきだが、自らの性的指向について淡々と書かれた読み物をあまり見たことがないので、多少は読み物的価値があると思い公開してみる。 挿入は要らない 挿入は要らない。 たったこれだけのことに気づくのに、生きてきた時間の分だけかかった。 牧村朝子著「百合のリアル 増補版」に出てくる、下記すべてに私は該当する。 可愛い女の子を見て、とにかく幸せな気分になること。 さわやかな汗やメンズの香水より、甘くやさし
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