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歴史と東京に関するcaesiumのブックマーク (3)

  • 東京五輪が消した町 原宿・御徒町・田町・汐留… - 日本経済新聞

    1964年(昭和39年)開催の東京五輪は、東京を大きく変えた。国立競技場などのスポーツ施設が生まれ、首都高速道路や新幹線が整備された。一方でなくなったものもある。その代表格が町名。原宿や御徒町など歴史的な町名が消えた。川や都電の一部も姿を消した。前回の東京五輪で「変わったもの」を探してみた。原宿駅の住所は神宮前9月の平日、JR原宿駅周辺は、若者であふれていた。竹下通りの前では、カメラを構える

    東京五輪が消した町 原宿・御徒町・田町・汐留… - 日本経済新聞
    caesium
    caesium 2013/09/20
    地域の歴史を調べると「消えた地名」は全国あちこちに存在する
  • 吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 - 日本経済新聞

    大学時代、友人に「東京を出て多摩川を越えたら神奈川県」と教えられたことがある。西日出身者としては素直に信じていたのだが、実際に当てはまるのは一部だけ。中流域では「多摩川を越えても東京都」だ。しかしかつては違った。八王子や町田、多摩川の手前にある調布や成城、吉祥寺も神奈川県だった。なぜ東京になったのか。事情を探っていくと、長年の課題である水源問題と、複雑な政治事情が浮かび上がってきた。多摩が東京になって120年

    吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 - 日本経済新聞
    caesium
    caesium 2013/08/23
    町田領土問題のお互いの歴史認識
  • 最暗黒の東京・下層社会を行く | 探検コム

    「どこに住んでいるのだね」 「四谷の鮫河橋という貧民窟です。今はメクラの男と夫婦になって、小さい子供がゴチャゴチャ5人もいるのです。アンマで暮らしを立てているのです」 「お前に姉さんがいると言ったが、その人はどうしているのかね」 「鮫河橋に一緒にいます。お母さんの手をひくために。そして、今のお父さんの子供と夫婦になっています。車夫ですが、酒のみで、バクチ打ちで、悪党なのね」 (坂口安吾『明治開化安吾捕物 時計館の秘密』) その昔、東京には数多くの貧民窟がありました。代表的なものが3カ所あって、それは下谷万年町(上野駅のそば)、芝新網町(浜松町駅のそば)、四谷鮫ケ橋(赤坂離宮のそば)です。この3カ所は江戸時代から続く大スラムで、明治30年(1897)の調査では、下谷万年町が875戸、芝新網町で532戸、四谷鮫河橋谷町で1370戸の細民長屋がありました。 貧民街に住む人たちはどういう生活をして

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