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神社と愛知県に関するdeadwoodmanのブックマーク (4)

  • 手がかりは岩手の消印 「お守り送って」とだけ書いた手紙、愛知の神社が送り主探す | 毎日新聞

    新型コロナウイルス感染拡大で、岩手県内でも都道府県をまたいだ不要不急の移動自粛要請が続く中、愛知県の神社が、軽米町から届いた手紙の送り主を探している。手紙には「お守りを送ってほしい」と、一言だけ書かれていた。神社は「お守りを取りに来たくても来られなかったのではないか。なんとか届けてあげたい」とホームページ(HP)やSNSで情報提供を呼び掛けている。 神社は愛知県岡崎市の岩津天満宮。手紙は9日に封書で届いた。リポート用紙をちぎったような1枚の紙に、横書きでこの一文だけが書かれていた。差出人はなく、消印は「5月7日」の日付で「岩手軽米」とあった。

    手がかりは岩手の消印 「お守り送って」とだけ書いた手紙、愛知の神社が送り主探す | 毎日新聞
    deadwoodman
    deadwoodman 2020/05/14
    “神社は愛知県岡崎市の岩津天満宮。手紙は9日に封書で届いた。リポート用紙をちぎったような1枚の紙に、横書きでこの一文だけが書かれていた。差出人はなく、消印は「5月7日」の日付で「岩手軽米」とあった。”
  • ヤマトタケル妻は名古屋に? 断夫山古墳を発掘調査へ:朝日新聞デジタル

    東海地方で最大規模の前方後円墳「断夫山(だんぷさん)古墳」(名古屋市熱田区)について、名古屋市教育委員会と愛知県教育委員会が、今年度中にも初の発掘調査に乗り出すことになった。 県教委によると、断夫山古墳は5世紀末から6世紀初めに作られたとみられ、全長約150メートル。ヤマトタケル(日武尊)のミヤズヒメ(宮簀媛)の墓との言い伝えがあるほか、豪族の「尾張連(おわりのむらじ)」の墓という説もある。 江戸期には「だんぶやま」と呼ばれ、亡きヤマトタケルへの思いを抱いてミヤズヒメが没したという伝承から、夫を断つ山という「断夫山」の表記がみられるようになった。 戦前までは熱田神宮が管理。戦後、県営熱田神宮公園ができてから県の管理に移り、1987年に国の史跡に指定されたが、これまで発掘調査はされていなかった。県教委文化財保護室の洲崎和宏室長補佐は「熱田神宮の管理下にあったため、立派な古墳と知られていて

    ヤマトタケル妻は名古屋に? 断夫山古墳を発掘調査へ:朝日新聞デジタル
    deadwoodman
    deadwoodman 2019/09/21
    “断夫山古墳は5世紀末から6世紀初めに作られたとみられ、全長約150メートル。ヤマトタケル(日本武尊)の妻ミヤズヒメ(宮簀媛)の墓との言い伝えがあるほか、豪族の「尾張連(おわりのむらじ)」の墓という説もある
  • 山陰中央新報社|(45)愛知の金屋子 トヨタ発祥の地に鉄の神

    金屋子神を祭る豊田自動織機社工場内の豊永神社。鉄の神への尊崇が、今もトヨタ発祥の地で大切に受け継がれていた=愛知県刈谷市豊田町2丁目 「トヨタ」の発祥の地、愛知県刈谷市豊田町の豊田自動織機社工場。整然とした敷地内に、ひときわ清浄な一角がある。長年、グループの繁栄を見守ってきた豊永神社だ。1月8日、近くにある市原稲荷神社の小嶋今興宮司(53)が祝詞を奏上し、創業90周年行事の安全や社業の発展を祈願した後、同社の河井康司執行役員(56)ら13人が玉串をささげた。 豊永神社は1939年5月、織機生産に欠かせない製鉄工場の稼働に合わせて社殿を設けた。祭神は、安来市広瀬町西比田に社を置く鉄の神・金屋子神社、武運長久の神・熱田神宮、防火の神・秋葉山神社から勧請(かんじょう)した。今も毎年例祭を行う。 豊田自動織機は26年、豊田佐吉の発明を基に娘婿の利三郎が創立。そして佐吉の息子の喜一郎が、佐吉の

    deadwoodman
    deadwoodman 2017/10/03
    “安部宮司は「大正時代に中国地方でたたらが絶え、仕事を失った鍛冶職人たちが金属加工の技術を必要とした豊田に雇われ、金屋子信仰を持ち込んだのではないか」と推測する。”
  • 恒例の遅い初詣は今年は一畑山薬師寺と豊川稲荷で(後編:豊川稲荷編) - 💙💛しいたげられたしいたけ

    豊川稲荷に対しては、先方からすれば「知らんわそんなこと」と言われそうだが、一方的に恩に着ていることがある。 話は少し長くなる。田舎の実家は古いだけが取り柄だが、古いだけあってヘンなものが出てくることがある。かつて裏庭に、大人の腰の高さほどの小さな古い社があった。なんでそんなものがあったかは、よく知らない。よそでも古い民家では、たまに見かける。うちの地方には「屋根神様」というのまである。 父親が亡くなる前に取り払ってしまったが、社の中にあったという、高さ10cmにも満たない小さな一対の狛ギツネの焼き物だけが残されていた。父親が亡くなった後、老母が気味悪がっていたが、モノがモノだけに捨てることもできず、長い間持て余していた。 スポンサーリンク 何かの機会に(と言って参詣以外にありえないのだが)豊川稲荷を訪れたとき、門前の土産物屋で、実家にあるのとそっくりな狛ギツネを売っているのを見つけた。なん

    恒例の遅い初詣は今年は一畑山薬師寺と豊川稲荷で(後編:豊川稲荷編) - 💙💛しいたげられたしいたけ
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