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震災と行政に関するdeadwoodmanのブックマーク (4)

  • 復興予算、総額38兆円 インフラ再建、人口流出で誤算も―東日本大震災10年:時事ドットコム

    復興予算、総額38兆円 インフラ再建、人口流出で誤算も―東日大震災10年 2021年03月09日07時06分 【図解】復興予算額と使い道 東日大震災や東京電力福島第1原発事故からの復興のため、政府が計上した関連予算は2020年度まで10年間の累計で約38兆円に上る。防潮堤の再建や道路の整備は進み、かさ上げされた街も復興を遂げつつある。しかし、人口流出が続く地域では整備されたインフラを活用し切れない誤算も。巨額の支出を支える復興目的の臨時増税は37年まで続く。適正に使われているか、不断の監視が不可欠だ。 「菅流」の東北復興 グリーン成長重視、柱は自助―コロナ禍が影、五輪に不安 津波で市街地が壊滅した岩手県陸前高田市。かさ上げした土地に商業施設や公共施設が整備され、街全体が真新しい。ただ、高い所から見下ろすと目立つのは黄土色の空き地。かさ上げ地の住宅はまばらで、人通りも少ない。市によると、

    復興予算、総額38兆円 インフラ再建、人口流出で誤算も―東日本大震災10年:時事ドットコム
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/03/09
    “「地域活性化の役に立てれば」との思いから、震災を機に東京から故郷の陸前高田市に…建築工事が終わったのは17年になってから…土地造成が完了するまで時間がかかり過ぎた…再建を諦めた人もかなりいたと思う”
  • 津波到達までの証言記録 初めて明かされた“35分” 大槌町 | NHKニュース

    東日大震災の津波で40人の職員が犠牲になった岩手県大槌町が、生き残った職員たちから聞き取った当時の証言記録をNHKは情報公開請求して入手しました。地震から津波に襲われるまでおよそ35分間の生き残った職員たちの行動の詳細が、記録から初めて明らかになりました。 大槌町では、震災で旧役場庁舎が高さ10メートル以上の津波に襲われるなどして、当時の町長など職員ら40人が犠牲になりました。 町は去年、記録誌の編さんにあたり職員への聞き取りを行っていて、NHKはその記録を情報公開請求しました。 開示されたのは、500ページに及ぶ職員など30人の証言記録で、当時の副町長や防災担当の職員らが地震から津波に襲われるまでのおよそ35分間の行動やその理由について語っています。 当時、気象庁は岩手県沿岸に大津波警報を発表していましたが、当初、高さの予想が3メートルだったことや、大津波の経験がなかったために、多くの

    津波到達までの証言記録 初めて明かされた“35分” 大槌町 | NHKニュース
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    deadwoodman 2020/03/16
    “大槌町では、震災の1年前に起きたチリ地震で発生した津波や震災2日前に起きた地震の津波注意報のときに被害が軽かったたため、津波への警戒を緩めてしまったのではないか。” 東京経済大学吉井博明名誉教授。
  • WEB特集 ある日突然、遺体の前に | NHKニュース

    ●撮影を開始します 「多数のご遺体を見てしまうということで、精神的にまいってしまう方もいたという話を聞いて、ちょっと自分もまずいかなという思いはあった」 「ご遺体の洗浄を手伝ってくれと言われて行った。 警察が遺体を拭いて、その布を私がバケツで洗う。泥だらけの布を洗って、バケツが泥だらけになったら、外に出て水を捨てる。自衛隊の給水車だと思うんですけど、そこから水を汲んで、また持って行く、そのような作業をしていました」 永谷拓也、40歳。当時、宮城県で農地整備などの担当職員。 震災発生からおよそ2週間後、名取市の増田体育館に設置された遺体安置所に派遣された。 「最も印象に残っていたのは、自分のテーブルのところで見た小学校何年だろうな、3~4年生くらいかな。あまり大きくない女の子。こんな津波がなければ、生きていたんだろうなと思うような子が運ばれてきて。それがちょっと今でも忘れられないですね」 遺

    WEB特集 ある日突然、遺体の前に | NHKニュース
  • WEB特集 初めて語る“あの日” 大槌町職員と遺族の8年半 | NHKニュース

    東日大震災で大きな被害を受けた三陸沿岸の町、岩手県大槌町。旧役場庁舎は高さ10メートルを超える津波に襲われ、多くの職員が命を落としました。かろうじて生き残った職員たちが抱え込んできたあの時のこと。今回、初めて実名で証言されました。語れなかった日々をどのような思いで過ごしてきたのでしょうか。(盛岡放送局記者 市毛裕史 盛岡放送局ディレクター 林沙羅 仙台放送局ディレクター 倍井智史) 2011年3月11日。海のすぐ近く、海抜0.9メートルにあった大槌町の役場庁舎では、大地震を受けて、庁舎の前に設置された災害対策部に職員たちが集まっていました。そこに、高さ10メートルを超える津波が襲い、町長以下28人が命を落としました。 高台に避難しなかった役場の対応が非難される中で、職員一人一人がどう行動したのかは明らかにされず、遺族の間では町への不信感が渦巻きました。町民どうしわだかまりも生まれる状況

    WEB特集 初めて語る“あの日” 大槌町職員と遺族の8年半 | NHKニュース
    deadwoodman
    deadwoodman 2019/09/26
    “被害の象徴的な存在だった旧庁舎が取り壊されることになり、あの日の真実がわからなくなってしまうのではないかという、町民たちの声に応えるためにも自分が体験したことを正確に語る必要があると考えるように”
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