人生100年時代。テクノロジーの発達やライフスタイルの激変などによって、人類史上かつてないほど長い「孤独」な時間が、私たちを待ち受けていると言われています。ひとりぼっちは寂しいと嘆くか、ひとりに楽しみを見いだすか。「孤独」と上手に付き合う術を考えました。(画像は『ムーミン谷の冬』(講談社刊)から)
ある人たちにとって、カフェとは、いざとなれば逃げ込める避難場所であるらしい。 これは、でも別に珍しいことでもなんでもなくて、サードプレイスとか都市のアジールとか、これまでにも繰り返し言われてきたことと変わらない。でも、そのことをつい最近、僕はオカダさんがポツリと漏らしたひとことを通して思い知ったのだった。 もう、東京にいる意味がない。moiがなくなると知ったオカダさんは、たしかにそう言ったのである。 いやいや、さすがにそれはちょっと大袈裟すぎる。それにオカダさん、そもそもアナタ東京出身じゃないですか!! すかさずそうツッコむつもりが、思わずその言葉を飲み込ませるほどにはオカダさんの表情は真面目そのものであった。 正直、僕は意外だった。そこまでオカダさんがmoiのことを大切に思ってくださっていたとは。というのも、荻窪時代に始まるオカダさんとの付き合いはかれこれ十数年に及ぶものの、moiが吉祥
フィンランド外務省の主催で、世界16カ国の若手ジャーナリストがこの国をあらゆる視点から学ぶプログラムに参加している。 14,15日はロシアの国境近くの、ラッペーンランタという町に来た。フィンランド最大の湖、サイマー湖があり、夏にはカヌーやカヤックに乗ったり、冬には寒中水泳やスケートをしたりして楽しむ人が多い。
便利なのでつい使ってしまいがちだが、言うまでもなく「居場所」という場所があるわけではない。それは話をわかりやすくするための、まあ、符丁のようなものといっていい。 居ることで、そこははじめて居場所になる。 居場所をつくるということは、人が行きたいと思い、そこに居たいと感じ、実際に何をするわけでなくただ居られる場所を用意するとともに、そこが「居場所」になるまで耕し続ける不断の営みのことをいう。要するに、ただ場所を確保しさえすればよいという話ではなく、空気のようなものを育ててゆくことだと考える。カフェをやってきた自分のような人間が、こうした居場所づくりに適任だと思うのはそうした理由からである。 とりわけ、いま僕らがやっている「喫茶ひとりじかん」というプロジェクトの場合、家にこもりがちであったり、団体行動が苦手、あるいはしばし一人になれる場所が欲しいといった人たちに、一人で居られる自由と、でも独り
むずかしい本を読んでるね、と言われることは少なくない。 まあ、そうだとは思う。 でも、一方で「むずかしい本」って何だろう?と思ったりもする。 むずかしい本とそうではない本があるような言い方だが、果たしてそうなのか? そんな風には到底思えない。だって、むずかしいと言われる本と、そうでない本に違いなんてないんだから。 むずかしさは本の側にはない、日常の側にある本そのものがむずかしいことなんて、そんなに滅多にない。 大抵の「むずかしさ」は、子供がはじめて自転車に乗るときのむずかしさと同じだ。 やったことないからむずかしい。 慣れないからむずかしいだけである。 ようは経験値の問題が大きく、本の場合に戻すと、そこに書かれている事象に馴染みがない場合、むずかしいと言ってるだけだ。 ビジネスマンだったら日常の言葉や論理展開に近いビジネス本を読むのがむずかしいと感じなかったり、小説などは日常的な会話や感情
息子がイギリスの公立小学校1年生に入ってしばらくたった頃のことです。 学校から戻ると、息子がさびしそうな顔で、 「ママ、明日からお弁当はサンドイッチにして。」 と頼んできました。 その頃わたしは、娘(小学校6年生)と息子のお弁当には日本で作っていたようなお弁当と、たまにサンドイッチやパスタのお弁当を作っていました。 その日はしょうゆ味のおかずの入った日本らしいお弁当でした。 息子に理由を訊ねてみると、お昼にお弁当を食べていたら、近くにいたイギリス人の女の子に「くさい」と言われたから、ということでした。 イギリスで生まれ育った5〜6歳の子どもたちにとって、外国の食べ物は馴染みがないのも当たり前だな、そういう感想を言う子もいるのか、と思いながら息子の説明を聞き、「たいへんだったね。その子は日本の食べ物を知らなかったんだね。」となぐさめました。 その翌日はサンドイッチを作ってあげて、朝の登校時(
北欧・フィンランドの公共放送が、フィンランド発祥のサウナ文化が日本にどれくらい浸透しているのか探ろうというユニークな番組を制作するため、10日、水戸市内の公衆浴場でロケを行いました。 水戸市の公衆浴場を訪れたのは、フィンランドの公共放送、YLEのカメラマンやリポーターのタレントなど4人です。 リポーターはまず、案内役の日本人から公衆浴場について説明を受け、温度や泉質などによっていくつもの浴槽があることや、つかる前にかけ湯をするといったマナーがあることを教わりました。 また、日本のサウナでは、ストーブや熱した石に水をかけてたくさんの水蒸気を発生させるフィンランド式の入浴方法ができない施設もあると説明を受けたあと、テレビなどを見ながらくつろぐ日本ではおなじみのサウナの楽しみ方を取材していました。 フィンランド政府はサウナ文化がユネスコの無形文化遺産に登録されることを目指していて、今回の番組は、
しいたけ.オフィシャルブログ「しいたけ.のブログ」Powered by Ameba しいたけ.オフィシャルブログ「しいたけ.のブログ」Powered by Ameba 趣味は何ですか?と聞かれて、ずっと続けてきていることと言えば散歩だったのです。 特に、10代20代の頃が、本当に会話ができない人間だったので、自分に起きた出来事を人に話して整理するのではなく、散歩によって消化してきたところがありました。 今でも実家の方にたまに帰って、当時ずっと歩いていた散歩コースをひとりで歩きます。 どこの道をたどって、どこの自販機で缶コーヒーを買ってとか、そういうコースが決まっていたのです。 受験の時に、どうやっても勉強のコツがつかめない時も同じコースをブツブツ言いながら歩いてきたし(笑) 友達の信頼を裏切ってしまった時にも、落胆しながら歩き、 学校に入って研究テーマがよくわからなかった時も、歩いてきまし
しいたけ.オフィシャルブログ「しいたけ.のブログ」Powered by Ameba しいたけ.オフィシャルブログ「しいたけ.のブログ」Powered by Ameba 昨日ちょっと「正しい大人の努力って何だろう?」と考えていたのです。 というのは、「努力って、努力家ほどできなくなるものじゃないか?」と思ったからなのです。 ここで言う「努力家」って、日々 ・「頑張らなくちゃ」 とか ・「変わらなきゃ」 と思っている人だと思います。 2019年に入る前に「今年こそは手帳をつけよう」とか「新しい習慣を身に着けよう」とか「ダメな私の習慣を変えなきゃ」と決意してきた人です。 もちろん、その“努力の軌道”が、その人にとってすごく良い変化の跳躍路線に結びつくことって多くあると思います。 でも、僕自身もすごく経験があるのですが、2019年に新しく買った記録帳が最初の1ページには何か書いて、それ以降は白紙と
この連載を始めた時、新しい部屋と8月に戻って来た母国を何とかして心地よい場所にしなければならないと書いたが、気づいたら早いものでもう一月の中旬になり、何もしてない。カーテンもカーペットも購入していない。ちょっと変わったのは、ぱっさりと切った髪の毛だけだが、それだけで気分が変わる訳ではない。 冬のフィンランドの日常について、誰か他の人が書いたら、私より百倍面白い話になると思う。アウトドアが好きな人で、クロスカントリーをしたり、雪に覆われたヘルシンキの街並みや田舎の凍った湖の写真を撮ったりするような人なら、この季節はかなり楽しく過ごせると思う。私の友達で、マイナス10度の日にもジョギングをするような人がいて、毎週走った距離や速度を添えて、冬のスナップをアップしている。もう一人の友達は、寒中水泳に夢中になっている。それに対して私は、ジムへ行くのもやめた。 夏なら散歩もジョギングも好きだが、今年も
歩いているときには、細い小道を見るとそちらのほうに曲がりたくなるし、分かれ道ではまだ通ったことのないほうを選びたくなる。そうしたささやかな願望を満たしてやるためには、時間や体力に余裕がなければならない。急いでいたり気にかかることがあったりすれば、最短距離で早めに目的地まで着きたくなるものだし、だいいちそんなときには交通機関を使うから、ゆったり歩くこともまずない。 そんなわけで、ゆったり歩く時間を強制的につくってしまうことがある。集合時間より早い時間にひと駅手前で降りてみたり、いつも使う交通機関をあえて使わずに歩いたり、旅先で何もすることがない時間に外に出てみたり。最近は、夜なかなか眠らない子供 (最近わが家にやってきた) を抱っこして、家のまわりを歩く機会も増えた。(というかほぼ毎日やっている)。家のまわりって、実は、身近すぎて、あまりゆったり歩く機会がないのだ。 大通りを外れて、すべての
最近朝家を出ると、外は暗い。夕方帰ってくると、外は暗い。11月から2月まで、殆どその繰り返し。私は暗いのはそんなに構わないが、本当に寒い日は、家を出たくない。家もオフィスも暖かいので、寒さを感じるのは外だけだが、バスを待っている約5分の間、居住するのに適さない太陽系外惑星に飛ばされたような気がする。 私はみんなムーミンのように冬眠すればいいと思うが、フィンランドは気温がたとえマイナス30度まで下がっても、子供が学校へ行くし、大人は普通に働く。真冬になっても、町は廻る。しかし、人間がこんな状況でずっと夏と同じエネルギーレベルを保つのはどう見ても無理なので、休憩する機会を与えるクリスマスがあるのは本当にありがたい。 フィンランドのクリスマスで一番重要な日は、24日のクリスマスイブだ。米国などと違って、サンタが来るのは夜中ではなく、24日の夕方である。サンタが子供たちと会って、プレゼントを直接渡
フィンランドの冬は長い。 短い夏が終わりを告げる8月中旬から、突然日が短くなり、肌寒くなるのを感じる。きらきらと眩しい太陽が射し、草も花も木も雲も虫も穏やかに笑って生命の素晴らしさを讃えていた夏はあっという間に、そのほほ笑みでわたしたちの身体をくすぐりながら風のように駆け抜けていってしまう。 フィンランドの秋は、ほぼ冬。というか秋と冬の境目がわかりにくく、連続性を持っている。現地の人でさえ、いつから冬なのか明確な定義は持っていない。フィンランドにも紅葉はあり、夏が終わる頃になるとまず楓が黄色くなり、落葉をはじめる。次にブルーベリーの茂みが紅くなり、続いて建物などに優雅に絡みつく蔦も紅く染まり、白樺の葉が黄色くなり、楢の葉が茶色くなる。これらは東京よりも1か月以上早い時期に起こるので、10月中旬には鮮やかな彩りは森や街からは消えていく。それはもうとても灰色。冬の始まりである。でも現地の人は「
フィンランドは森と湖の国と呼ばれる。湖の数は18万とも言われるし(定義も数を調べる手順もないために、正確には数えられないらしい)、国土に対する森林面積は世界一位、73%が森林に覆われている(ちなみに世界の平均は30%)。 人々の暮らしの中で森は身近な存在だ。特に夏は揃いも揃って湖畔や海辺のサマーコテージへ行き、森の中での散歩を楽しむ。首都のヘルシンキにも森はある。気が向いたらトラムやバスで簡単に森や島に行って自然の中に身を置くことができる。隣のエスポ―やヴァンター、シポーなどに行くと、広大な森がいくつもある。首都圏に住んでいても森が近くにあるというのは、なんて恵まれた環境だろう。 春には野草を摘み、夏にはベリーを摘み、秋にはきのこを摘む。秋から冬にかけては狩りをする人もいる。 フィンランドでは気分が落ち込んだり、倦怠感に襲われたり、人間関係の悩みが生じたら森に行くという人がとても多いという
12月6日は、フィンランドの独立記念日だ。今年は独立100周年だった去年ほど大げさな祝いはなかったが、毎年大統領公邸で舞踏会が開かれ、その舞踏会のテレビ放送が毎年一年のテレビ番組の中で最高の視聴率を収める。大統領夫婦が次々とやってくるお客と握手するシーンが永遠まで続く割ともつまらない番組であるが、フィンランド人の多くにとってお菓子やおつまみを食べながら招待された政治家やスポーツ選手、外交官やアーティストなどの服装と踊りを評価するのが独立記念日の最も大事な伝統であり、去年そのためのアプリさえできた。どうも家族だけに自分の意見を教えるのがつまらなくて、教育大臣のドレスをどう思ったのかをどうしても全国民にシェアしたい人が結構いるらしい。 独立宣言が採択された1917年にロシア政府もフィンランドの独立を承認したが、第二次世界大戦中フィンランドはソ連に攻撃され、独立記念日にその戦争に関する記念行事も
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