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書評と歴史に関するkaionjiのブックマーク (6)

  • ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記

    はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと

    ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記
  • ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』:組織内で苦しんだ人なら身につまされる、いろんな意味で絶望の名著。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues) 作者:デイヴィッド ハルバースタム二玄社Amazon 読んだふりをしていたをこっそりきちんと読み直すキャンペーンの一環で、ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』を読んだ。大学生の頃に一度ぱらぱら見たんだけど、「ふふん、白人優位主義の無知で偏狭でプライドばかり高い米帝軍国主義の手先どもが、己の愚かさ故と歴史的必然故に自滅する話ね」と思ってあまりまじめに読まなかったし、いろいろこまごました人間の出自だの学歴だの職歴だのがひたすら並んでいて、いささかうんざりしたこともある。そして大学生だと「こいつらが自分の力関係だの地位だのばかり心配せずに、現場の情報をきちんと聞いて、己の信念にしたがって正義の発言をすればベトナム戦争なんか起きなかったんだろ」と気で思っていた。だから、あ

    ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』:組織内で苦しんだ人なら身につまされる、いろんな意味で絶望の名著。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • マクニール「世界史」はスゴ本

    800ページで世界史を概観できる名著。 「シヴィライゼーション」という文明のシミュレーションゲームがある。暇つぶしのつもりで始めたのに、暇じゃない時間まで潰されてしまう危険なゲームだ。マクニール「世界史」もそう。それからどうなる?なんでそうなる?に次々と答えてくれる書は中毒性が高く、読むシヴィライゼーションといってもいい。 ゲームのように面白がれないが、ゲームのように熱中して、マクニール「世界史」の最新完訳版を読む。世界で40年以上にわたって読み続けられており、blog/twitter/tumblr でスゴいスゴいと噂には聞いていたが、たしかに素晴らしい。何が良いかっていうと、「眠くならない歴史」であるところ。 話は少しさかのぼる。流行に乗っかって教科書開いたはいいが、あれだね、睡眠導入剤として最適だね、山川世界史。パブロフのなんちゃらのように、開いた途端、急速に眠くなる。「メソポタミア

    マクニール「世界史」はスゴ本
  • 鉄砲を捨てなかった日本人 れれれ

    鉄砲を捨てなかった日人 http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/539.html 投稿者 れれれ 日時 2004 年 7 月 29 日 21:21:59:5dtqOVWhdORgU 江戸時代の日人が鉄砲を捨てたというのは事実ではないそうです。 事実は大量の鉄砲があったのだそうです。 『鉄砲と日人』  鈴木真哉著  筑摩書房 第9章 鉄砲を捨てなかった日人 P.240 なぜこういう誤解が生じたのかという解明は後まわしにして、事実関係から見てみよう。 結論を先にいえば、武士階級はもちろん、庶民の手にも江戸時代を通じてたくさんの鉄砲があった。 まず武士層についていえば、軍役のなかに鉄砲が組み込まれていたのだから、それも当然だろう。 軍役については改めて注釈を加えるまでもあるまいが、武士が主人に対して提供を義務づけられる 軍事的な負担のことである。与えられ

  • 【書評】鉄砲を捨てた日本人

    何の脈絡もない書評です。たまたま書店で『鉄砲を捨てた日人―日史に学ぶ軍縮』というを見かけて購入、読了しました。この、原著が書かれたのが1979年で、日語版が出版されたのが1984年。そして今回購入した文庫版が出たのが1991年と、まったく新しいではないのですが、なぜか平積みされていたので買ってしまいました。 書を衝動買いした理由は(文庫版なので安かったという理由は別にして)ただ1つ。著者であるノエル・ペリン氏の問いかけに興味を刺激されたからです。その問いかけとは何か、訳者あとがきから引用してみましょう: 鉄砲は、天文十三年(天文十二年という説もある)に種子島に漂着したポルトガル人がもたらして以来、日中に燎原の火のごとくに広まった。十六世紀後半の日は、非西欧圏にあっては唯一、鉄砲の大量生産に成功した国である。それにとどまらず、同時代の日は、ヨーロッパのいかなる国にもまさる

  • 中島岳志『パール判事』

    中島岳志『パール判事』 まったく偶然であるが、新聞などの予告をみると、日(07年8月14日)放映されるNHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判 知られざる攻防〜」(午後10時・総合)は、中島の書『パール判事』の主張をほぼ番組化したものになりそうである(付記:今見た。すばらしい内容。この中島の中身の反映もさることながら、東京裁判が結論の決まった単なる茶番劇ではなく、判事同士の激しい確執のある、きわめて動的なプロセスであったことが浮き彫りになった番組だった。そして東京裁判の「成果」が平和憲法や国際司法の発展に寄与していることもわかるものになっている)。 ぼくは今、東京裁判について書かれたものをいくつか読んでいるが、東京裁判そのものが膨大な資料があるために、とても「そのもの」を読むところまでいかない。たとえば冨士信夫『私の見た東京裁判』(講談社学術文庫)にしても、裁判の全

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