1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/04(木) 22:38:14.30 ID:oDMeWBZP0 脅したみたいになってムカツクんだけど 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/04(木) 22:38:42.74 ID:mJz7cIbh0 日本語 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/04(木) 22:38:48.16 ID:9zIhOR5M0 日本語で 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/04(木) 22:39:01.92 ID:q9QvewBU0 日本語でお 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/04(木) 22:39:08.19 ID:OZaiO4iF0 日本語でk 8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:201
昨日、いつもの調子で「古典読むべし」という話を書きました。 言葉と闘い、文脈を意識して読むためには、ハードルの高い本を丁寧に読む経験が絶対に必要です。 そうやって言葉がインストールされることで、私たちは伝わりやすい言葉を出力することができるようになるものなのです。 私はこれまで、何人もの著者の「本になる前の原稿」を読ませていただきました。 速読屋は「流れに不整合がないか」をチェックするのに都合がいいんですよ。速読で構造・流れにフォーカスして読むと、後で挟んだエピソードや、視点のズレが浮かび上がって来やすいものなのです。 その中で感じたことなのですが、「語り(講演)」が上手な人でも、「文章」が支離滅裂なことが非常に多いんですね。 まぁ、出力する際に使われる回路が違うらしいですので、そういう部分もあるのかも知れません。 あるいは、メラビアンの法則という言葉がありますが、そもそも話し言葉は「言葉
我が家の息子たちが、「日本語を母国語として勉強する学校」から「外国語として習う学校」に移ってから2ヶ月。いろいろ目から鱗なことがあって、面白い。 そこでつらつら考えるに、ニッポンの「国語なんたら審議会」には刺客を送り込まれ、全国の国語の先生たちからはカミソリを送られてきそうなことなのだが、「国家百年の計」を考えると、ここでおもいっきり、日本語の言語体系を大幅リストラして簡素化することが、国家戦略として正しいんじゃないかと思えてきた。 なぜかというと、このままで行けば、ありとあらゆる面で日本は中国に負けることはまちがいない。あちらのほうが人口多いし、それは仕方ないんだけど、そのあと「成熟国」としてこの先どうまともに生きて、1億もいるぜいたくに慣れた人口(この先減るにしても)を養っていくかと考えると、やっぱり「ブランド維持」が必要。そのためにすべきことはいろいろあるんだけど、「対中国語」という
街中はクリスマスムードでいっぱい。今日も「赤鼻のトナカイ」がどこかで流れていて、ふと、その英語と日本語の歌詞の情報量の差に呆然。 日本語で ♪真っ赤なお鼻の♪ と歌う間に英語はこれだけ入ってます: ♪Rudolf, the red-nosed reindeer♪ つまり、「真っ赤なお鼻のトナカイさんのルドルフが」。日本語に比べて、「トナカイ」と「ルドルフ」という2アイテム多い情報伝達がなされるわけ。 日本語の遊びの部分をなくして 「赤鼻トナカイのルドルフが」 と言ったとしても、♪真っ赤なお鼻の♪のメロディーのところにこれだけ詰め込むことは不可能ですな。 この先、曲全体でも、英語版の歌詞は物語の状況表現が多い。 「他のトナカイたちは、ルドルフを笑い者にし、ひどい名前で呼んで、トナカイゲームにも入れてあげなかった。」 トナカイゲームって何だろう。 あと、最後は 「赤鼻トナカイのルドルフ、お前は
英語の「A and B」に対応する日本語は、基本的に「AとBと」である。もちろんんこれは基本であって、現実には後のほうの「と」は省略されることが多い。「罪と罰」が「罪と罰と」ではちょっとくどいだろう。 しかし場合によっては後の「と」を略すと意味の伝達のうえで支障をきたすことがある。 例をあげれば、 「究極的には、経験がもつ地平を露呈することのみが、世界の「現実性」と「超越性」とを解明し、さらに世界が意味と存在現実性を構成する超越論的主観性から不可分であることを証明することになる」(フッサール「デカルト的省察」より) この文の場合、「世界の「現実性」と「超越性」と」の後のほうの「と」は省略しても文意に影響をあたえない。ところが「世界が意味と存在現実性を構成する超越論的主観性から不可分」のほうは後の「と」が省略されているために文意がたどりにくくなっている。「と」で結ばれているのが 1.「意味」
結論から言うと「荘司」の当て字。荘司の荘は荘園のこと。 司は管理者のこと。 つまり「荘司」とは荘園の管理者。 では、なぜ荘司が東海林につながるのかというと… 「荘司」さんを区別するために 「東海林」というところに住む「荘司」さんを 「東海林」の「荘司」さんとか、「とうかいりん・しょうじ」さんとかと 呼んでいるうち、表記と音が混ざり合って、 「東海林」を「しょうじ」と読むようになった。…と推測される。 従って、ふりがなをつける位置にも明確な決まりをもうけることは不可能。 <取材先 広島大学教育学部 柳沢助教授>
1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/06/06(土) 12:54:19.21 ID:c436xfnk0 それは欧米人の視点から見ただけだとか言ってる人もいたけど 結局のところ、どうなんだ? 7 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/06/06(土) 12:57:22.28 ID:t410PW93O 一人称 日本語:わたし、わたくし、ぼく、あたし、おれ、わっち、おいどん、etc… 英語:I 10 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/06/06(土) 12:58:40.86 ID:g3zfN1+JO アラビア語とか中国語の方が難しそう 13 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/06/06(土) 12:59:51.30 ID:KrCDYAtm0 もっと難しいのあるってテレビで見たよ!
もっと評価されるべき日本語の実力シリーズの第2回。今回は現代中国語が日本起源の和製漢語なしには成り立たないというお話。やや硬い内容なので興味のある方はどうぞ。 漢字の特徴の一つとして高い造語能力があげられる。ところが歴史を見てみると漢字の造語能力を存分に活用した事例は意外に少ない。伝統的中国語(漢文)においては漢字一文字で一つの概念や事柄を表すのが普通で、二文字以上の熟語は実はそれほど多くない。そのため中国では思想活動の活発だった春秋戦国時代(紀元前770-前221年)と仏教用語を翻訳するときに二文字以上の新語を多く造りだした程度である。漢字の高い造語能力は近代に至るまでかなり低レベルでしか活用されてこなかった。 ベトナムや韓国はもっぱら中国式の漢文を忠実に受け入れてその枠の外に出ることはほとんどなかった。韓国独自の造語もあることはあるのだがその数は少ない。 日本はまったくの例外である。漢
アクセント分布 日本語のアクセントは地域によって異なっている。たとえば、ハナ(花)は東京ではハを低くナを高く、京都・大阪ではハを高くナを低く発音する。その高低の配置はそれぞれの地域で個々の語に対して決まっている。地域によってはアクセントの型の知覚がないものもあり、これを無アクセント(無型アクセントまたは崩壊アクセントとも)というが、大部分の地域ではアクセントの型知覚がある。 語におけるアクセントの高低の組み合わせをアクセントの型という。たとえば、共通語のアキ(秋)は/高/低/型である。このような型の種類は地域によって異なるが、体系的に大きく四つに分けられる。 一つは北海道・東北北部・関東(北部の一部を除く)・中部(北陸を除く)・中国・九州東北部など共通語に類似するもので、これを東京式アクセントという。 これと対立する代表的なものが京都・大阪などを中心とする京阪式アクセントで、北陸・四国など
I am a student. ああ、英語を かくのは いやなものです。「アイ アム ア ステューデント」。「わたし は 学生 です」。 ってことですね。言語音は、連続しているもので、アイとアムとアとステューデントの間に、音のきれめが くっきりあるわけではありません。けれども、文字で表記するときには、ことばの きれめにスペースを いれています。これを日本語では「わかちがき(分かち書き)」と いいます。 世界の言語のなかで、この わかちがきを しない言語は日本語と漢語(いわゆる中国語)ぐらいだと いわれています。もちろん、ほかにも いくつか あるはずですが、わかちがきを しない言語としては、日本語と漢語が代表格です。 とはいえ、日本語だって わかちがきされることも あります。小学校の教科書や日本語点字では わかちがきを しています。語学書としての日本語の入門書でも、よく わかちがき されてい
まぁ、俺もこれクセであるな。 あと他にも別に打つ必要ないのに文頭に「ん〜」とか入れてしまう。 まあ、気にするほどのもんじゃなくね? あからさまに全ての文頭に入れるってわけじゃないだろうし。
(第62号、通巻82号) 「流れに棹さす」、「役不足」、「気が置けない」。いずれも、間違いやすい言葉の代表的な例として受験対策の参考書や日本語物知り読本のたぐいによく出てくる。「三大誤用語」とでもいうべき存在だから当ブログでわざわざ扱う必要はないと思っていたが、ちょうど1年前に文化庁が行った平成18年度の「国語に関する世論調査」《注1》の結果を見て方針を変えた。誤用している人があまりにも多いと分かったからだ。例えて言えば「行く」を「来る」というように、逆の意味に取り違えているのである。コミュニケーションをはかる上で支障をきたすこともあると思われるので、まず第一弾として「流れに棹さす」を取り上げることにする。 この成句、一般的には夏目漱石の『草枕』の書き出しで知られる。「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」の「
NHKの見解です。↓ 「おざなり」は、「御座(敷)の形<なり>」を縮めたものです。このことばは19世紀初めには使われ始めていますが、宴会の席(御座敷)などで表面的に形ばかりを取り繕った言動のことを指したものと推測されます。 いっぽう「なおざり」はもう少し歴史の古いことばで、10世紀には使用例が見られます。このことばの語源にはいくつか説があるのですが、その1つに「なほ(直・猶)+さり(去)」というものがあります。「なほ」は「そのまま何もせずにいること」、「去り」は「遠ざける」という意味がありますから、ここから想像すると「なおざり」は「何もしないで距離を置いておく(放っておく)」というのが出発点だった、と言えるかもしれません。 次に、現代語での話として考えてみましょう。 教育を[おざなり/なおざり]にする。 「おざなり」の場合は、いい加減ではあってもひとまず教育をする、という意味になります。い
パソコンや携帯で「いっかげつ」を漢字に変換するとき、みなさんは次のどれを選びますか? 「1か月」「1カ月」「1ヵ月」「1ケ月」「1ヶ月」「1箇月」「1個月」 変換して出てきたのは7種類。周りに聞くと人それぞれで、「なんとなく1ヶ月にしてると思う」「あまり考えてない」「漢字は硬いからひらがなかカタカナ」などなど。 そんな中、多かったのが「そのときによる」っていう意見。今回の場合は「1カ月」だけど、場所のときは「1ヶ所」の方を使うとか、つまり「雰囲気でなんとなく使い分けている」というもの。確かに僕も、なんとなく変えてる気がする。 でも、何か正しい使い方があるんじゃないだろうか。国立国語研究所の“「ことば」の電話質問”に相談してみた。 「基本的に何を使っても構いませんが、役所が出す公用文では、算用数字のあとはひらがなの“か”、漢数字のあとは漢字の“箇”を用いていますよ。 これにならった形で作られ
僕が愛読している雑誌に「クーリエ・ジャポン(COURRiER Japon)」(講談社)があります。 10月号に、日本に長年住んでいる外国人が日本の生活や文化を語る座談会の特集がくまれています。 この座談会に登場しているロシア出身のエレナ・ヴィノグラドヴァさんがこんなことを言っています。 「日本語は人をけなす言葉がとても少ないですよね。それがいっこうに増える傾向にないというのがおもしろい。ロシアの本を読むと、どんどん新しいスラングが増えているんです。もちろん普通の所に出ていないので、誰かに聞くしかないのですが。日本語で存在する悪口は『アホ』と『バカ』、この2つくらいじゃないですか」 エレナさんがこういうのも無理はありません。実は、ロシア語にはとてもスラングが多く、その中でも、人をけなす言葉はまるでアメーバのように日々、増殖し、どんどん日常生活で使われています。 これは学校でも、会社
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