1955年に出版された幸田文の小説『流れる』は、華やかな花柳界とそこに生きる女性たちを描いた小説だが、その中にこんなくだりがある。 「電話はどこからだったの」 「それがおねえさん小石川なのよ。ねえ梨花さん、九十二って小石川だわね」 「はぁ小石川です」 「そんな変な処からの電話じゃあ辻占はよくないね。ちゃんとした帝国ホテルとか龍名館とかいうのなら又いいけど」 帝国ホテルか龍名館か 意中の男性から電話が掛かってはしゃぐ若手の売れっ子芸者と、それをたしなめる先輩芸者。先輩芸者は男性がどこに逗留するかで、その資力と社会的ステイタスを判断している。 著者の経験をもとにした『流れる』には、当時の風俗が描かれている。帝国ホテルと並んでステイタスシンボルとされた龍名館とはどんな旅館だったのか。 淡路町から神田駿河台の観音坂を上りきったところに、その旅館は存在した。今は「ホテル龍名館お茶の水本店」と名前を変