危急存亡の秋(とき) 三国志後期。 蜀の国は劉備が亡くなってその子・劉禅が帝位についていた。 残念ながら、劉禅は暗愚な君主であり、蜀は三国の中でももっとも劣勢であった。が、優秀な軍師で蜀の丞相・諸葛孔明は勢力を強化する政策をとり続けた。 まず雲南地方に出兵し西南の地方を固め、次いで中原への機会をうかがい、宿敵の魏と決戦を試みる。 これが『涙を揮って馬謖を斬る』の項で述べた、228年の第一次北伐作戦である。 この際に「魏を討つべし」と帝に上奏したのが有名な『出師の表(出師=出兵)』。 ここで挙げる故事成語は、この『出師の表』の中の言葉である。 この出師の表を読んで泣かぬ者は忠臣ではないといわれるが、孔明はなにも、周囲の人々全員を感動させたくて書いたわけではない。あくまでもこれは“上奏文”で、つまり孔明が感動させたかったのは帝・劉禅たった一人でなのである。劉禅が心を動かしてくれればそれでよかっ