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historyと諸葛亮に関するkiyo_hikoのブックマーク (2)

  • 『危急存亡の秋』

    危急存亡の秋(とき) 三国志後期。 蜀の国は劉備が亡くなってその子・劉禅が帝位についていた。 残念ながら、劉禅は暗愚な君主であり、蜀は三国の中でももっとも劣勢であった。が、優秀な軍師で蜀の丞相・諸葛孔明は勢力を強化する政策をとり続けた。 まず雲南地方に出兵し西南の地方を固め、次いで中原への機会をうかがい、宿敵の魏と決戦を試みる。 これが『涙を揮って馬謖を斬る』の項で述べた、228年の第一次北伐作戦である。 この際に「魏を討つべし」と帝に上奏したのが有名な『出師の表(出師=出兵)』。 ここで挙げる故事成語は、この『出師の表』の中の言葉である。 この出師の表を読んで泣かぬ者は忠臣ではないといわれるが、孔明はなにも、周囲の人々全員を感動させたくて書いたわけではない。あくまでもこれは“上奏文”で、つまり孔明が感動させたかったのは帝・劉禅たった一人でなのである。劉禅が心を動かしてくれればそれでよかっ

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2012/01/18
    「今天下三分し、益州疲弊す。此れ誠に 危急存亡の秋 なり。」
  • 諸葛亮(諸葛孔明) > 前・出師表

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