何歳くらいのことだろう。人を好きになった喜びは、必ず痛みを伴うことを人は知る。喜びだけを保持することはできないのだろうか? そのためには「所有」という欲望さえあきらめることさえできれば、つまりその好きな人はだれのものでもないと心の底から思えたらどんなに幸せなことだろう? 鹿島田真希の小説は全部読んでいるわけではない。それでも気がつくと雑誌の目次に彼女の名前を見つけるとその号を買っている自分に気がつくようになった。そうなったのは何といっても『ナンバーワン・コンストラクション』とそれに続く『ピカルディーの三度』を読んでからだ。二つの小説では「愛」とか「犠牲」とか一昔前の劇の台詞のような会話が饒舌的に交わされるのだが、読んでいるとまるで難しい方程式を解いていくめくるめく手さばきをみせつけられているかのような気がしたものだ。 最近単行本で発売された『ゼロの王国』を読みながら、最近何年かぶりで会った