利根川を替えた話―東遷物語 前置き 江戸幕府は何故日本屈指の大河川である利根川の流路を、古来の江戸湾から銚子外洋へ移し替えたか?。実のところ、私もこの記事を書くまで知りませんでした。そこで、勉強がてら諸資料の助けをお借りして、私なりのストーリーを作ってみました。お付き合い下さい。 第1章 家康の居城選びとその背景 豊臣秀吉は天正18年(1590)7月小田原戦に勝利すると、この戦いの先鋒をつとめた徳川家康に北条氏の所領であった関八州を与えた。家臣の中には先祖代々住みなれた三河の地を離れることに不満の声があったが、家康は心に期するところがあって素直に命令に従ったのでした。しかもその居城として選んだのは、由緒ある鎌倉でもなく、また小田原でもなく江戸城だったのです。 たしかに江戸は関東平野の中央に位置してはいるが、暴れ川として名高い利根川に近接し、洪水の脅威にさらされる地帯でもありました。その上東