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俳句に関するspirobisのブックマーク (2)

  • 金子兜太が詠む原爆の図 想起した「爆心地のマラソン」:朝日新聞デジタル

    「これは、群衆ですな。妙なリアリティーがある」。展示室に足を踏み入れた瞬間、金子さんがつぶやいた。炎に包まれ、水を求めて逃げ惑う人々。折り重なる死体の山。作品はどれも、大勢の人間で画面が埋め尽くされている。同館学芸員の岡村幸宣さん(43)が「丸木夫が最も伝えたかったのは生身の人間の痛み。どの絵にもキノコ雲を描かず、あくまで人間を描いた」と説明する。 金子さんは、原爆の図を印刷物では見たが、実物は初めて。焼けただれた体でさまよう人々を描いた第1部「幽霊」をじっと見つめるうち、自句を口ずさんだ。 《彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン》 1961年に、転勤先の長崎で詠んだ代表句の一つ。爆心地に至る峠道を走ってくるランナーを見て「人間の体がぐにゃりと曲がり、焼けて、崩れる映像が浮かんで」生まれた句だ。「この句と原爆の図に重なる部分がある」。金子さんは俳句を「優れた映像的イメージを頭の中で作

    金子兜太が詠む原爆の図 想起した「爆心地のマラソン」:朝日新聞デジタル
  • 金子兜太さん死去 戦後日本を代表する俳人:朝日新聞デジタル

    戦後日を代表する俳人で、前衛俳句運動の中心となり、俳句の可能性を大きく広げた朝日俳壇選者の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日、急性呼吸促迫症候群で死去した。98歳だった。 埼玉県生まれ。旧制水戸高校時代に作句を始め、「寒雷(かんらい)」主宰の加藤楸邨(しゅうそん)に師事した。東京帝国大経済学部を卒業後、日銀行に入行。海軍士官として南洋トラック島で終戦を迎え、後に復職した。戦後は社会的な題材を詠む「社会性俳句」に取り組み、前衛俳句運動の中心となるなど、戦後の俳句運動の旗振り役を務めた。季語の重要性は認めつつ、季語のない無季の句も積極的に詠み、時に有季定型の伝統派と激しい論戦を繰り広げた。俳句をより多くの人に開かれたものにし、「お~いお茶 新俳句大賞」など軽くカジュアルな新潮流も楽しんだ。小林一茶や種田山頭火の研究でも知られ、再評価の機運を盛り上げた。 代表句に、「銀行員等(ら)朝より

    金子兜太さん死去 戦後日本を代表する俳人:朝日新聞デジタル
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