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天皇制に関するspirobisのブックマーク (2)

  • 武部勤氏「日本は天皇の国」 北海道自民候補応援で共産批判 | 共同通信

    自民党の武部勤元幹事長は14日、北海道北見市で参院選北海道選挙区の同党候補を応援する集会であいさつし「天皇、皇后両陛下が、国民の心からの歓迎を受けて令和新時代が始まった。天皇の国と言っても過言ではない日歴史の中で、国民に根付いている」と述べた。共産党がかつて天皇臨席の国会開会式に欠席していたことを「日の魂を否定する」と強く批判した。 2000年には、当時の森喜朗首相が「日は天皇を中心とした神の国」と発言し、憲法が定める主権在民に反すると批判された。

    武部勤氏「日本は天皇の国」 北海道自民候補応援で共産批判 | 共同通信
    spirobis
    spirobis 2019/07/15
    れっきとした失言なんだけど、選挙ということを念頭に考えると、3枠目に共産が滑り込むのを、かなり気にしている感じ。岩本候補の方に分があるが、共産畠山候補が今回はよく粘っている。
  • 画像で見る「神武天皇陵」でっち上げの経緯 - 読む・考える・書く

    神武陵にされる前のミサンザイ 「文久の修築」による変貌 改変が繰り返される「神武陵」 広大な森を新たに造成 演出される「神秘」「荘厳」 幕末の下級武士たちがでっち上げたペテン 神武陵にされる前のミサンザイ 式年祭についての記事でも書いたように、現在の「神武天皇陵」は、幕末の文久2(1862)年、恐らく神武の埋葬地ではない「ミサンザイ」に決定された。その後、明治から昭和にかけて、このミサンザイは巨大で荘厳な「天皇陵」に作り変えられていくことになる。 まず、この地が神武陵に比定される前はどうだったか。「文久の修築」前の状態を示す絵図が残っている[1]。 当時のミサンザイは、田圃の中の小さな塚に過ぎない。そこには榎一と茨のような灌木が一株生えていた[2]。ちなみに、旧洞村の古老の話によると、ここはもともと糞田(くそだ)と呼ばれており、牛馬の処理場だったかも知れない[3]、という。 「文久の修築

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