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民俗学と増田に関するturu_craneのブックマーク (2)

  • 鬼滅の刃、嗅覚、人間の本性その他の話(2)※末尾に追記

    (1)anond:20221023223518からの続き いくら視覚的な識別手段が機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。 例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。 「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というものが存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」 二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言っ

    鬼滅の刃、嗅覚、人間の本性その他の話(2)※末尾に追記
  • 鬼滅の刃、嗅覚、人間の本性その他の話(1)

    世間の流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫の論文は「わきくさ物語」と題する一篇である。 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭を肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西の文学作品や文献に於ける腋臭や体臭に関する記述を比較したという内容である。今さら気づいたが、論文の題名は『若草物語』のパロディである。 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日中国などの東アジア人の集団では出現頻

    鬼滅の刃、嗅覚、人間の本性その他の話(1)
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