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哲学に関するtype-100のブックマーク (26)

  • 『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記

    『現代思想』誌2021年10月号は「現代思想 2021年10月号 特集=進化論の現在 ―ポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来―」と題された特集だった。わたしはこの特集全体の企画意図に問題があると考えるので、手短に述べたい。 わたしの不満は一言で言うと「この号の中身は『進化論の現在』という題名と釣り合っていない、とくにこの題名で生物学の哲学の成果をほぼ無視するのは問題ではないか」ということだ。 まず前半からいこう。哲学・思想系の雑誌が「進化論の現在」という特集を組むときにどういうことを扱うべきか。もちろん決まったルールがあるわけではないが、次のようなトピックが扱われると考えるのが自然だろう: 進化論(進化生物学)の研究の現状 進化論の種々の側面についての哲学的論争の現状(たとえばやや古い話だがここで触れられているような議論) 進化論からの哲学研究へのインプリケーション(たとえば意識の進化

    『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記
  • Daily Life:『〈現在〉という謎』の感想

    March 03, 2020 『〈現在〉という謎』の感想 編者の森田さんよりご恵贈いただいた。 www.keisoshobo.co.jp/book/b477659.html 最近はいただいたでもなかなか読む時間がとれず、お礼もままならないことが多い。しかし、書については著者の一人である谷村さんが追加の論考「一物理学者が観た哲学」を公開され、著者間でかなりの行き違いが生じているらしいことがわかった。哲学者と科学者の対話は私にとっても大きな関心事であるので、書を通読して感想を述べさせていただこうと思った。 そういう経緯であるので、以下の感想は谷村さんのノートに触発されて書き始めたものである(ずいぶん時間がかかってしまったが)。しかし、今回の感想は『〈現在〉という謎』のに限定して書いており、谷村さんのノートの内容や、谷村さんのノートにさらに反応していろいろな人が書いたものは念頭においてい

  • "サルの子供を産みたい"女子大生は異常か - ライブドアニュース

    2018年11月9日 9時15分 by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと チンパンジーとの子どもを胎内で育て論文にしたいという海外のある女子大生 この望みについて玉川大学の教授が、講座内で命の扱い方を議論した 女子大生が中絶を前提にしていることの是非などを受講者らに問いかけている ヒトとチンパンジーのDNAは99%まで一致している。それを知った女子大生が「チンパンジーとの子供を自分の子宮で育て、観察記を卒論にまとめたい」と言い出した。卒論が書き上がったら中絶するつもりだという。彼女の望みは「命をどう扱うか」を問いかける。哲学者の岡裕一朗氏がビジネスパーソン向けに行った講座から一部を紹介しよう――。(第2回、全3回)※稿は、岡裕一朗『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』(早川書房)の第4講「ゲノム減編集時代の生命倫理」を再編集したものです。 ■チンパンジーとの子どもを産みたい女

    "サルの子供を産みたい"女子大生は異常か - ライブドアニュース
  • 科学とニセ科学のはなし|TAKESAN

    可能な限り簡潔に行きましょう。 科学とは何か※ある程度話を簡単にするため、ここでの科学とは、いわゆる実証科学や経験科学と呼ばれる分野に限定する 自然現象や社会現象の構造、因果関係について、調査・観察・実験などから得られたデータを数理的に解析する事で解明・追究する営み、および、それによって構築された知識の体系。 科学の方法調査・観察・実験、などによってデータを集める。データは、専用の機器・器具や、質問紙、調査票によって測定される。測る道具・基準などを、尺度と表現する。 尺度によって得られたデータを、数理的(数学的)方法によって解析する。現象の持つ構造を、数学的な構造を当てはめて表現したり、現象の起こりそうな程度を確率論・統計学によって解析する。 データの解析から導いた理論は、その構造の良し悪しを他の研究者などからチェックされ、また、実際の現象の予測や制御などに用いられ、あるいは、技術的に応用

    科学とニセ科学のはなし|TAKESAN
    type-100
    type-100 2018/02/02
    全く異論は無いが、間違っているとは限らない・詐欺とは限らない・害の程度は関係ないとなると、「非科学なのに科学風」ということを指摘するのはどのような意味があるだろう。
  • 第2回 宗教とは何がちがうの?|はじめての哲学的思考|苫野 一徳|webちくま

    前回に引き続き、今回と次回は、「哲学ってなんだ?」というテーマについて、もう少し深めてお話しすることにしたいと思う。 今回は、まず、宗教と哲学は何がちがうのかというテーマについて。 宗教は“神話”で答えを出す 宗教も哲学も、はじめはほとんど同じような問いについて考えていた。たとえば、なぜ世界は存在するのか? どうやってできたのか? なぜ人間はこんなにも苦しむのか? どうすればこの苦しみから逃れられるのか? 等々。 これらの問いに、宗教は“神話”の形で答えを与えた。 たとえば、ユダヤ教とキリスト教の聖典『旧約聖書』によれば、神さまが「光あれ」と言った時に世界は始まったとされている。 今から5000年くらい前の、古代シュメール文明の宗教では、「始原の水」であるナンム女神が、天の神と地の神とを生んだことで世界が始まったとされる。 シュメールと同じように、世界は最初水だったとする神話は、各地の宗教

    第2回 宗教とは何がちがうの?|はじめての哲学的思考|苫野 一徳|webちくま
  • 第1回 哲学ってなんだ?|はじめての哲学的思考|苫野 一徳|webちくま

    哲学は「質」を洞察することで、その問題を解き明かすための「考え方」を見出す営みだ。2500年の歴史を持つ哲学は、できるだけ誰もが納得できるような考えに到達するための、力強いさまざまな思考法に満ちている。哲学的な思考法のエッセンスを、初学者にも理解できるよう伝えるスリリングな連載第1回。 哲学は役に立つ テツガクと聞くと、多くの人は、実生活に大して役に立たない、何だかよく分からない難しそうなことを考えているもの、というイメージを持つんじゃないかと思う。 たしかに、「私ってなんだろう?」とか、「時間ってなんだろう?」「愛ってなんだろう?」「言葉ってなんだろう?」「生きる意味ってなんだろう?」とかいったいかにも“哲学的”な問いは、それだけ聞くとあんまり“役に立つ”感じはしない。 哲学者と呼ばれる人たちも、そうしたさまざまな事がらの「そもそも」を、どこまでも考えずにはいられない人間だ。だからまと

    第1回 哲学ってなんだ?|はじめての哲学的思考|苫野 一徳|webちくま
  • KASP第三回合同勉強会2013.08.27【動物の権利概論】伊勢田哲治先生

    8月27日(火)13:30~17:30に京都大学文学部第一講義室にてKASP第三回合同勉強会を開催しました。 今回は京都大学大学院文学研究科准教授で倫理学・科学哲学を専門としていらっしゃる伊勢田哲治先生に【動物の権利概論 なぜ動物倫理の話はかみあわないのか】についてご講義していただいたので、そのスライドを掲載させていただきます。 お忙しい中分かりやすく面白いご講義に加え40枚にもわたるスライドをご用意していただいたことをお礼申し上げます。 話の主軸としましては、日人に動物の権利概念が違和感をもって受け止められるのかについて、欧米の倫理学と動物への配慮の概論を紹介しながら考察していきます。 *限界事例(主に赤ん坊、知的障害者、当該利害に無関心の者)を適宜念頭に置くと話の円滑な理解に繋がることと思われます。 (テープ交換の為、一部映像が切れています)

    KASP第三回合同勉強会2013.08.27【動物の権利概論】伊勢田哲治先生
  • 多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由

    ここらで、「哲学は~でないか?」というテーマを終えて、そもそも「哲学とは何であるか?」を語ってみましょう。哲学に相当長く首を突っ込んでいる輩なら、世間で言われるように「真理の追究」(あるいは「真・善・美」の追究)と答えてみても、何か嘘くさいと感ずることでしょう。 なぜなら、「真理の追究」と答えて済ましていられるのは、「真理」という言葉に疑問を抱いていないからであって、この言葉自体に疑問を抱くと、たちまちこう答えてもまだ何も答えていないことに気づくからです。 哲学は「真理の追究」なのか? たしかに、「真理」を国語辞典で調べれば、あるいは調べてみなくても、日常的にほぼその意味を知っている。しかし、哲学は、まさにその日常的使い方に基づきながらも、それを彫琢し、変形し、さらに思いもかけないほど別のものにすることすらあります。 いいでしょうか? 「哲学とは何であるか?」と問うて「真理の追究」と答えた

    多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由
    type-100
    type-100 2015/09/04
    現代の哲学は論理学・認識論・倫理学の3つに大別できると指導教官が言ってたな
  • Daily Life:演繹と帰納についてのノート

    July 09, 2015 演繹と帰納についてのノート 以前他の分野の研究者の方と仕事をしていて、演繹というのを「普遍命題から個別命題を導く推論」と理解している方がいて、現代ではその意味で演繹を使うことはまずないです、とコメントしたことがある。しかしそういえば、演繹と帰納という言葉の用法はどのように変遷してきているのか、調べたことはなかった。今後綿密な調査は必要になると思うがとりあえず目立つものをならべておく。(数学的帰納法についてベインとサモンの項及び結論部分に追記しました。誤記をいくつか修正しました) (1) Mill, J.S.  Systems of Logic (1843) 英米の科学方法論の教科書として19世紀には非常に大きな影響力を持った。ただし、演繹と帰納の関係についてのミルの解釈は独特で、あらゆる推論は帰納であると主張して論争をまきおこした。「演繹」と「帰納」という言葉

  • 君はバートランド・ラッセルを知っているか 論理哲学はこうして発展してきた | 今週のHONZ - 東洋経済オンライン

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    君はバートランド・ラッセルを知っているか 論理哲学はこうして発展してきた | 今週のHONZ - 東洋経済オンライン
  • 「科学の方法」の発見 | 大栗博司のブログ

    昨日WEBRONZAから配信した論考「現在の基準で過去を裁くことの是非」について、京都大学で科学哲学や倫理学を研究されている伊勢田哲治さんから、@PlanckScale ややこしいのですが、ワインバーグに厳しい書評を書いたシェイピン自身は社会構成主義者ですが、彼のコメントの内容はいわゆる「ウィッグ史観」批判で、社会構成主義以前からある考え方です。 http://t.co/V2fTzXfEM5 — 伊勢田哲治 (@tiseda) 2015, 4月 6また、学習院大学の理論物理学者の田崎晴明さんから、大栗さんの記事しか読んでいないのですが、「現代から見た『進歩』を切り口にした歴史記述への批判」から「社会構成主義的科学観への批判」に移るのはいささか唐突に感じました。 @tiseda @PlanckScale — Hal Tasaki (@Hal_Tasaki) 2015, 4月 6とのご指摘を受

    「科学の方法」の発見 | 大栗博司のブログ
  • レンズ職人としての科学哲学者

    今、零下10度のニューヨークに来ています。半日時間ができたのでメトロポリタン美術館に行ってみたのですが、コレクションが凄くてびっくりしました。特にエジプト系、ファラオの墓の内壁そのまま持ってきたりとか、色々な意味で半端ないです。フェルメールも4つあったりとか(5つあるって話だったけど4つしか見つからなかった)、久しぶりに絵画鑑賞を満喫しました。 芸術作品は我々に異なった仕方で世界を見ることを教えてくれる、と述べたのはプルーストでしたが、美術館に来ると当にそうだなと感じます。だってレンブラントの自画像とか、冷静に考えれば単なるおっさんじゃないですか。百歩譲ってセザンヌの静物画のリンゴだって、そこらへんで売ってるじゃないですか。なぜそれを有り難がって鑑賞するのか。恐らく、スーパーのリンゴにも中年のおっさんにも、実は美が宿っている、しかし我々凡才の目にはそれが隠されている、それを芸術家は発見し

    レンズ職人としての科学哲学者
  • 古代ギリシャ哲学者 異能バトルの話

    藤村シシン🏛 @s_i_s_i_n 古代ギリシャ映画が流行してるし、そろそろ三平方の定理のピタゴラス先生が三角定規の鋭角で悪い奴をバッタバッタとなぎ倒す、『ピタゴラス・ザ・トライアングルズ』が観たい。決め台詞はもちろん「3つの6さえあれば私は何度でも蘇るさ」「太陽に向かって小便する奴、松の枝で尻を拭く奴は死ね」で 2014-07-15 21:49:03

    古代ギリシャ哲学者 異能バトルの話
  • 私家版「科学哲学とは何か」

    ・・・あるいは、「お前何やってんの?」 「科学哲学」というあまり耳慣れない学問を専門にしてると、「それって何を研究する学問なんでしょうか?」と良く聞かれます。そのときはとりあえず、「科学を理解するための学問です」と答えることにしてます。でもたいていこれでは納得してくれません。「科学を理解する」ってどういうこと?そもそも科学自体が何かの理解なんじゃないの? でもこの曖昧さって何も科学哲学に限った話じゃないですよね。「生物学とは生物を理解するための学問です」と言われたら、最初は「ああ、そうか」と頷くけど、でもよく考えてみればこの答えも今ひとつ曖昧。生物の「何を」理解するの?また何をもって「理解した」と言えるの?一口に「生物を理解する」といっても沢山の仕方がありますよね。庭を這ってるダンゴムシをみつけて、「こいつはどんな仕組みで動いているんだ」と考えるのも一つ。あるいは「いったいぜんたい、無機物

    私家版「科学哲学とは何か」
  • なぜ・何を・どうやって科学者に科学哲学を教えるのか - まとまり日記

    という論文を読んだ(リンク)。著者はスウェーデンの科学哲学者で、科学哲学が科学者及びその卵である理系学生に貢献できる理由と方法について書いてある論文だ。 なぜ教えるのか 科学者やその卵である理系の学生にに科学哲学を教えるべき理由として、著者は方法論的な理由を強調する。科学者の養成過程で、学生はその科学の方法論についても学ぶ。しかし著者の見るところ、その方法論にはきちんとした正当化を欠いたまま教えられているものがあるという。著者の挙げるのは次のような例だ。 経済学では単純なモデルが尊ばれる。たとえばは著名なミクロ経済学の教科書の著者であるヴァリアンは「考えられうる限りで最も単純なモデルを書き付けて、それがなおなにかおもしろい振る舞いを見せているかチェックせよ。そしてもしそういう振る舞いを見せているなら、モデルをもっと単純にせよ」と述べる。しかし著者の見るところ、なぜ単純なモデルが優れているの

    なぜ・何を・どうやって科学者に科学哲学を教えるのか - まとまり日記
  • 宇宙倫理学4.ppt

    60 • • • Why be Moral? • • • v.s. (independent) • • • • NASA JAXA • SF • • – – – • • • • – → • – → • • • • • (“Our moral obligation to support space exploration” Environmental Ethics, 33, 2011) • • • • • • … • • • • • • • • • • • • → • → • → • – – – – • • – – – • • • • • • • • • •

  • 一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。

    「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」というを出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、このも20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。

    一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。
  • 『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』[続] - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    須藤靖・伊勢田哲治 (2013年6月30日刊行,河出書房新社[河出ブックス・057],東京,301 pp., 体価格1,500円,ISBN:978-4-309-62457-0 → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 科学と科学哲学との重層的すれちがい(続) ← 「科学と科学哲学との重層的すれちがい」(2013年7月19日) 書を読んでひとつ自覚したのは,科学者側の “代表” として登場する物理学者・須藤靖さんの発言のひとつひとつにワタクシ自身があまり同感できないという点だった.とりわけ,[科学]哲学的な問題設定に対する彼の基姿勢には相当な違和感が残る.ワタクシの身近にもしこういう科学者がいたとしたら “いますぐ体育館のウラに来い” 的レベルの違和感だ.ワタクシが推測するに,伊勢田哲

    『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』[続] - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
  • 『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    須藤靖・伊勢田哲治 (2013年6月30日刊行,河出書房新社[河出ブックス・057],東京,301 pp., 体価格1,500円,ISBN:978-4-309-62457-0 → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 科学と科学哲学との重層的すれちがい いささか口の悪い悪童(=物理学者)と達人の尊師(=科学哲学者)が重層的にすれちがう.全編を通じて科学者と科学哲学者との長い「対話」が続くのだが,相対しつつも目線がちがう方向を向いていて,なお言葉が絡みあうフシギな流れが楽しめる.科学者と科学哲学者が「いかに対話できるか」ではなく,「いかにすれちがえるか」が実感できる. おそらく「科学」というグローバルな総称ではひとくくりにできないほど,個々のローカルな「科学」および「科学者」のバックグラ

    『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
    type-100
    type-100 2013/07/19
    「生物体系学」か/実際のところ鳥類学者のおかげで絶滅を免れた鳥類はたくさんいるだろう。まあ「役に立つ」の定義次第なのだろうが。
  •  「科学を語るとはどういうことか」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    科学を語るとはどういうことか ---科学者、哲学者にモノ申す (河出ブックス) 作者: 須藤靖,伊勢田哲治出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2013/06/11メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (20件) を見る 書は物理学者須藤靖と科学哲学者伊勢田哲治による科学哲学を巡る対談集である.実際には対談時のやりとりをベースにして,双方が調整しつつ加筆修正を加えており,メリハリの利いたきびきびとした対談に仕上がっている.帯を含めた装丁も大胆で,思わず手に取りたくなるうまい作りだ. 対談にいたる経緯は須藤の「はじめに」と伊勢田の「終わりに」にそれぞれ書かれている.須藤は因果を巡る「あまりにも的外れ」な議論が科学哲学においてなされていることを知り,その後に知り得たことも含めた科学哲学についての批判的な講義を駒場において行う.その講義案を伊勢田がネットを経由して閲覧し,

     「科学を語るとはどういうことか」 - shorebird 進化心理学中心の書評など