タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

社会と文藝に関するwhirlのブックマーク (3)

  • わいせつ円盤の山 - 関内関外日記

    わいせつ円盤の山 ぼくは四方を山に囲まれた小さな村に生まれた。地図に記された名前とは違うのだろうけれど、地元の人たちはみな「東の山」、「南の山」、「西の山」、「北の山」と呼んでいた。いい加減なものだった。山といってもどれも険しい山じゃなかったから、小さい頃から山菜採りにでかけたり、野鳥採りのかすみ網をしかけたり、かっこうの遊び場だった。 けれど、大人たちから厳しく立ち入りを禁止されていた山がひとつだけあった。それは「西の山」だった。小さい子には「鬼が出る」、「神かくしにあう」なんて言っては、決して近寄らせようとはしなかった。 それがわいせつ円盤の山だと知るのは、もう少し成長してからのことだった。ぼくらの村の子供は、あの山のことを知ることで、子供でなくなる境を一歩またぐのだった。 わいせつ円盤の山の歴史 わいせつ円盤の山のことは、ある日、年長の若い衆の、ちょっとませたのから聞かされた。だいた

    わいせつ円盤の山 - 関内関外日記
  • スク水漁の村 - 関内関外日記

    スク水漁の村 ぼくはスク水漁の村に生まれた。村の男たちのほとんどはスク水漁師で、女たちはその加工をして暮らしていた。毎年、ノウゼンカズラの花が咲き始める季節になると、男たちは早朝から喜び勇んで船を出し、たくさんのスク水をとって帰ってきた。夕方、女たちは自分の亭主や父親の船を見つけると、急いで駆けつけてスク水を加工小屋に持ちはこんだ。スク水は天然の生ものがいいという人もいるけれども、村人たちはあまり生を好まなかった。新鮮なスク水を伝統的なやり方で仕上げてこそだという誇りがあった。ぼくが生まれ、育ったのはそんな村だった。 スク水漁の歴史 この村で何時頃からスク水漁が行われているか、正しく知っているものは一人もいなかった。ただ、親のその親の、そのまた親の……ずっと昔からこの村はスク水とともにあったのだと、だれもが信じていた。豊かな海と、太陽の光をあびてキラキラとかがやくスク水が、すなわちこの村そ

    スク水漁の村 - 関内関外日記
  • わいせつ石こうの村 - 関内関外日記

    わいせつ石こうの村 ぼくの産まれ育った村は、わいせつ石こうの村だった。ぼくの父さんも、おじいさんもわいせつ石こう職人だったし、村中でわいせつ石こうに関わらない人なんていないくらいだった。型どり師から行商人、いろいろな人がいたけれども、それぞれにわいせつ石こうの村の人間だという自負を持って生きていた。とうぜん、ぼくも将来は立派な石こう職人になるものだと思っていた。 わいせつ石こうの歴史 この村がいつごろできたのかははっきりしない。あるものは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際に連れ帰ってきた職人が作ったといい、あるものは、仏教伝来のさいに渡来した仏像師たちの中から、わいせつ石こう造りに目ざめた一派が作ったという。日に漂着したポルトガル人の末裔だと信じる一家もいたし、また、スウィフトの『ガリバー旅行記』の中に記述があるだとか、マルコ・ポーロが言及しているとか、いろいろなことを言う人がいた。父さんはイ

    わいせつ石こうの村 - 関内関外日記
  • 1