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biwacovicに関するwhirlのブックマーク (14)

  • 『名前のない女たち』 - biwacovic’s diary

    テアトル新宿で佐藤寿保監督『名前のない女たち』。 企画AV女優の赤裸々な日々・・・という触れ込みの映画だけど、決して魔窟へと赴く女の子の物語ではなくて、普通に生きていて、普通に閉塞感がバリバリあって、でも普通にやる気もあるし、泣いちゃったりもする、つまりは当に「普通の」生活についての映画だった。特別な物語じゃない。俺も毎日サラリーマンのコスプレして演じているだけのヘボ男優かもしれない。 コスプレ女優の「ルル」に変身して居場所を見つけようとする純子と、AVの生活にもイライラしっぱなしの綾乃の関係は鏡写し、陽と陰と言うよりは、過去と未来の像だ。だけど、「使い捨てにされるだけ」の存在を冷徹に切り取るんじゃなくて、カメラが写すのはかけがえのない二人が重なった瞬間だった。 甘ったるい感傷ではなくて、静かに二人に寄りそうような、でもちゃんと痛みも狂気も堕ちることも映画に描かれている。二人が静かに眠る

    『名前のない女たち』 - biwacovic’s diary
  • 「アバター」 - biwacovic’s diary

    12月30日。109シネマズ川崎でジェームズ・キャメロン「アバター」。IMAX 3Dで見たくてわざわざ川崎まで行った。今年映画館で観た映画のちょうど120目だった。 予告編が解禁された当初は、今更「アバター」とかってタイトルで、青い異星人の映像を見たときは、うわーキャメロンもやっちゃったなーという感じだったのだけど。映画を観てしまったらそんな気持ちはどこかへ行った。すみませんキャメロン先生。まさに映画をめぐる「技術」の結晶が堪能出来る2時間40分。 「惑星パンドラ」という中学生がはじめて書いたSF小説に出てくるような星の名前も、そこに住む現住人「ナヴィ」のあまりにも「地球」な感じの生態や、彼らのあまりにも類型的過ぎる自然信仰も、全てのダメなところが徹底的なテクノロジーの浸透によって実現されることで反転して輝いている。 いやこれは、現実世界の「つくりもの」としての映画という構造と同じく、地

    「アバター」 - biwacovic’s diary
  • 「THIS IS IT」 - biwacovic’s diary

    土曜日。新宿ピカデリーでTHIS IS IT。 圧倒的なショウの映像。リハーサルではあるが、当にそこにいてリハを見ているかのような感動。何度も踊りたくなったし、曲が終わった後は拍手もしたかった。公開して間もない頃の劇場では実際に何度も拍手が起こっていたらしい。そりゃそうだろう。あれを見てじっとしていることの方が難しい。 前にも書いたことだけど、僕とマイケル・ジャクソンの出会いは「ビート・イット」に合わせて乾布摩擦をするぜんそく児童のための体操で、今になって思うとあの「スリラー」のカセットテープが人生で最初に経験したポップアルバムだったのだ。それ以降は徐々にマイケル・ジャクソンを聴くことは減っていったけど、こうやって2009年に、再びマイケル・ジャクソンに再会することが出来た。それは「死」という出来事のせいでもあるし、その「死」すらも増幅装置として、世界中にマイケル・ジャクソンの音楽が拡散

    「THIS IS IT」 - biwacovic’s diary
    whirl
    whirl 2009/11/27
    「その「死」すらも増幅装置として、世界中にマイケル・ジャクソンの音楽が拡散するというポップの力に戦慄する」
  • 東京 4-0 柏 - biwacovic’s diary

    土曜日。13時キックオフに戸惑いつつも味スタへ。結構お客さんが入っていた。沢山入った試合には勝てないという印象だったのだけど、3点目が入ったときはもう完全に勝利を確信した。内容でも完勝。柏はちょっと可哀想な感じで、天皇杯の準優勝チームがこうも落ちてしまうかと思うと恐怖にかられた。今年の大分もそうだけど、チームが崩れるというのは当にあっと言う間だ。 4点目のゴールが入った瞬間の歓喜と、その直後の悲鳴はしばらくの間忘れられないだろう。あんなに悲しいスタジアムははじめてだった。前回の石川の怪我の時も、ルーカスの大怪我の時も、現地にはいなかったから。そこから後の20分間は、サッカーを見に来ているとは思えない、なんとも心虚ろで苦い時間だった。 サッカー観戦者とは、当にお気楽で怠惰な存在だと改めて自覚した。選手たちは、いつもギリギリのところで戦っている。大怪我することも覚悟の上で。それを我々は見て

    東京 4-0 柏 - biwacovic’s diary
  • 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」 - biwacovic’s diary

    2007年に「序」を見た時の感想。 まさにrebuildの名にふさわしい。もうさっさと次を見せて欲しいくらいである。 シネセゾン渋谷で日曜日の最終回(それでも満席立見あり)を見ました。序と同じくクオリティは圧倒的に素晴らしい。もう1回見てやろうとかと思うくらいに書き込まれたハイレゾな絵と光と動き。そして美しい音楽。小気味のいいパス回しのような演出。そしてみんなが大好きな相変わらずの意味ありげな台詞たち・・・やっぱり完璧にファンが求めているものを、リビルドしている映画だと思う。したがってラストシーンまでは「まったく別物」という感想は持たなかった。(眼鏡の女の子(テレビ・旧劇場版に出て来ない)は何か*1に向けての皮肉なんじゃないかと思う程に薄い。どうなるのかは次作を待たないとわからないが、今のところは・・・) クライマックスのシーンは「ラブ&ポップ」を思い出さずにはいられなかった。そして素直に

    「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」 - biwacovic’s diary
    whirl
    whirl 2009/07/07
    「眼鏡の女の子(テレビ・旧劇場版に出て来ない)は何か*1(例えば仮想的な「アニメオタク」という存在や、もはや公認された二次元への「萌え」など)に向けての皮肉なんじゃないかと思う程に薄い」
  • 「レスラー」について追記 - biwacovic’s diary

    なんか書き足りないのでもうちょっとメモ的に書いておく。 多分この映画が普通の感動作と違うのは、家族(現実)よりもプロレス(うそっぱちの世界)が大事、という見事なまでの価値観の転倒を肯定しているところだと思う。どんなに夢に敗れても、家族がいればいいじゃないか、というのが良くも悪くもアメリカ映画的着地点なのに、「レスラー」における家族はむしろ「願っても叶わないもの/失われてしまうもの」として描かれ、そこからの戻るべき場所としてプロレスのリング、そして仲間やファンたちがいる。 これはむしろ家族の解体→再生という流れがやはり無理だという結論(絶望的ではあるが)に達してしまい、サブカルチャー的な結束や、擬似的な家族の結成へと向かっているということの証左なのだろうか、という気もしてしまう。それはつまりランディにとっての「プロレス」があれば、みんななんとか生きていけるんじゃないか、という極めて冷静な分析

    「レスラー」について追記 - biwacovic’s diary
  • 「ターミネーター4」Terminator Salvation - biwacovic’s diary

    先週末の先行上映で見た感想をまだ書いていなかった。ターミネーター4。原題は"Terminator Salvation"。 ターミネーターシリーズには、もはや傑作とか駄作とかいう評価は相応しくない。おそらくは、ジョン・コナーがスカイネットの基地から、カイル・リースを過去へと送るシーンまで作られ続けるのだろう。その意味でこの"Terminator Salvation"も、通過点でしかない。そしてT2やサラ・コナー・クロニクルズと同様に、いかにその「間」に様々なエピソードを挟んでいくか、というのがT4の基構造になっている。 決定的瞬間*1の間と間を繋ぐものとして架空の未来史を描くこと。タイムトラベルによる矛盾は物語のいたるところに現れるが、そんなことを気にしてはいけない。この世界を思う存分遊ぼうではないか、というのがターミネーターの続編のコンセプトである(と思う)。 T1について語り出したら止

    「ターミネーター4」Terminator Salvation - biwacovic’s diary
  • 新・自虐の詩 ロボット小雪 - biwacovic’s diary

    新・自虐の詩 ロボット小雪 作者: 業田良家出版社/メーカー: 竹書房発売日: 2008/07/30メディア: 単行購入: 7人 クリック: 53回この商品を含むブログ (47件) を見る更新係にいいよと勧められていた業田良家の「新・自虐の詩 ロボット小雪」読了。 「自虐の詩」の夫婦の物語が、金持ちの高校生とロボットの女の子の話になっただけ?と思わせる前半から、後半は一気に格差社会を正面から語るような内容へと変貌する。ロボットが人間と触れ合ううちに心を持つ・・・という設定はありきたりなんだけど、なぜか全くありきたりに思えない物語になっている。なんなんだろう?この迫力は。 小雪は言う。 世界中の向こう岸を解放するつもりです。 自虐の詩の「人生には意味がある」から、更なる気高い言葉への跳躍。そして人間はいらなくなるのか?

    新・自虐の詩 ロボット小雪 - biwacovic’s diary
    whirl
    whirl 2008/09/09
    買おうかな
  • 「スカイ・クロラ」若者に伝えたいことがあるなら、映画じゃなくて飲み屋で語って下さい。 - biwacovic’s diary

    おなじく日曜日。渋谷東急で「スカイ・クロラ」。 以下、批判しか書きませんのであしからず。多分僕は熱心な押井守監督の映画のファンなので、これからも押井映画を見ると思うけど、それはきっと昔見た素晴らしい映画の記憶にすがりついているだけなのかもしれない。前にイノセントを見た時も酷評した覚えがあるのだけど、この映画もダメでした。残念です。 あと上のリンク先のサイトで流れる予告編を見ると、それがほぼ映画の全容なので時間を節約したい方にはオススメです。つまりわずか3分くらいで済む話を無理矢理2時間にしているだけにしか思えなかった。さんざん「僕は若者に伝えたいことがある」「何者かになることを放棄し、青春にしがみつくのは愚かだよ」という挑発的なメッセージが発せられていたので、ちょっと期待したのだが、特にそんなメッセージは映画の中のどこにもなかった。(やっぱ映画の中にそんな人生訓を求めることこそ愚かだよね、

    「スカイ・クロラ」若者に伝えたいことがあるなら、映画じゃなくて飲み屋で語って下さい。 - biwacovic’s diary
  • 「崖の上のポニョ」崖は落ちるためではなく、登るためにあるんだね。 - biwacovic’s diary

    先週の土曜日に、崖の上のポニョをやっと見ることが出来た。新装された新宿ピカデリーで。 (以下、映画の内容に触れていますので、ご注意下さい。) なんとも奇妙な映画。終わったあとにはひとしきり同行者(僕のおよびこぐま更新係)たちに「ラストがあまりにもあっけない」「"話し合い"って映画の教科書的には最悪な解決策じゃ?」などと不満を述べてしまったが、「だってトトロも魔女の宅急便も紅の豚もこんなもんでしょ」「宮崎駿に巧妙な脚/謎→解決のカタルシスを求めるな。彼はアニメーターだ」と言われて納得してしまいました。 そう、そういう意味ではやはりこの映画のクライマックスは、まさにあのディズニーのラリラリ映画「ファンタジア」ばりの嵐のシーンであり、その中で気持ち悪く身体の変容を繰返すポニョの動きであり、J・G・バラード 「沈んだ世界」のような水に浸された街であり、その世界を魔法の船で行く、楽しいような怖い

    「崖の上のポニョ」崖は落ちるためではなく、登るためにあるんだね。 - biwacovic’s diary
  • 磐田1-2東京 - biwacovic’s diary

    録画で見た。前節はキーパーパンチングのこぼれを決められて負けたチームが、今回はヨシカツのポロリで(まああれキャッチは無理だろうけど)同点になって、あげくは逆転するんだからサッカーとは(ある程度は)公平なものだ。前田のドフリーも外れたしラッキー。カボレはどんどんチームになじんできていて、エメルソンも復帰して、まあリーグは中断だけどナビスコも楽しみな感じ。松にも行くことにしたし。 サッカーとは公平なものだ・・・というのは長い目でみれば一つの真実なんだろう。笑ってしまうほど弱かった浦和は今は常勝(笑)チームだし、東京のサッカーは今年は面白い。サポーターは常に快と不快を公平に受け取る。その意味では、どのチームのサポーターになったからといって、たいして違いはないのだろう。サッカーファンは、瞬間瞬間の不公平に怒ってはいけないよ。不公平は甘んじて受けるしかないのだ。その上で、次のチャンスを耐えて待ち、

    磐田1-2東京 - biwacovic’s diary
    whirl
    whirl 2008/05/20
    「サッカーファンは、瞬間瞬間の不公平に怒ってはいけないよ。不公平は甘んじて受けるしかないのだ。その上で、次のチャンスを耐えて待ち、それが回ってきた時に自分の幸運を喜べばいい。」
  • お知らせ - coyotenote

    whirl
    whirl 2008/05/15
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  • 東京 1-0 大分 - coyotenote

  • 3月9日 - coyotenote

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