世間で「フェミニスト」を名乗る皆さんの主張が多様すぎて訳わかんなくなっているひとをけっこう見かけるので、表現規制問題を軸にざっくりと整理する記事を書いてみようと思った。話題を追いかけている人には今更な内容が多いし、ざっくりといっても8000字弱あるけど…… ## フェミニストと性表現検閲と真のフェミニスト フェミニズムは、「女性解放」「女権拡張」「男女平等」など、多様に訳される。フェミニストもアンチ・フェミニストも「真のフェミニスト」を定義したがるが、表現規制問題を軸にする場合、これを定義するのはかなり難しい。 フェミニストのフェミニストによる反検閲・表現の自由論として著名な「ポルノグラフィ防衛論(原題:Defending Pornography: Free Speech, Sex and the Fight for Women's Rights、ナディーン・ストロッセン著)」の序文には、
現代思想3月臨時増刊号がリリースされました。 前回、Twitter上での千田さんの炎上について書きましたが、提出すると仰った「論文」がこれ程まで見事に予想通りの結果だったこと、本当に驚いています。 「女」の境界線を引きなおす――「ターフ」をめぐる対立を超えて / 千田有紀 案の定、千田さんの記事は期待を裏切らないインパクトで炎上し、既に当事者がブログで取り上げています。 千田さんの文章は、一見、両立を保つような、マイルドなテイストで書かれているので、人によってはついうっかり共感しそうな危うさがありますが、「いま、日本のTwitterでは「ターフ戦争」とでもいうべき事態が起こっている」という最初の一節と「それは「ターフ」を見つけ出して、制裁を加えることではなく、問題の構造を見据えた私たちの社会的合意の達成によってなされるものであると信じている」で結ばれる最後の一節を繋げれば、彼女の動機、目的
はじめに 『現代思想 フェミニズムの現在』に収録されている千田さんの論考「『女』の境界線を引き直す―『ターフ』をめぐる対立を越えて」を読みました。いろいろと問題を感じましたが、それ以前に非常にわかりにくかったので、その点について簡単にまとめておきます。 千田さんの論考についてはすでにトランス当事者の方が千田さんの論考に対しておかしいと感じる点を丁寧にまとめているブログがあるので是非読むことをおすすめします。 snartasa.hatenablog.com 千田さんご自身はこのブログを「誤読だ」と言っています。 note.com けれど、以下述べていくように、私は千田さんの論考は構成も内容も決して明確ではなく「正読」が何であるのかを掴むのが大変に難しいと思うので、特に当事者の方がトランスフォビックに感じられる点を強く受け取めるのはある意味当然のことではないかと思っています。 主題設定について
はじめに この長い記事の目的は、現在ツイッター上で生じているトランスフォビアの問題について、若干の問題の整理を試みることで、トランスフォビックな語りの停止に多少なりとも貢献を試みることです。 ここで「問題の整理」ということで私が意味しているのは、「トランスフォビックな語り方」がどのような思考から出てきているのか考え、またその思考を反省することは、フェミニズムの関心とも重なるとこがあるはずだという見方を呈示することです。 この記事には二つの内容があります。 ひとつはタリア・メイ・ベッチャーによる「トランス初級講座」という論文の紹介です。この論文の最後の「ジェンダー分離」という節は、ちょうどトイレの話から始まっていたので、資料としての意味もこめて雑な訳も載せておきました。 もうひとつは、ベッチャーの論文の内容に絡めて、もう少し私自身の専門である社会学のほうに引き寄せつつ、トランスの問題とフェミ
「私、この論文嫌い」 4時限目のゼミを終え、慌ただしく移動して5時限目の教室にたどりつく。今日は授業開始まで数分の余裕があるから、そのあいだに頭の中を整理して冷静に授業をはじめられそうだ。 内心で安堵しつつ次々と教室にやってくる学生たちの様子をなんとはなしに観察していたら、不意打ちのようにその声が聞こえた。 「私、この論文嫌い」 もちろん無関心ではいられない。5時限目は恋愛や結婚、性的欲望などに関する論文を読んでグループでディスカッションする授業なので、「この論文」とはその日の課題文献のことを指しているはずである。 もちろん学生が読むべきだと思って私が選んだものなので、「嫌い」な理由いかんによっては私の選択が間違っていたということになるかもしれない。 ちなみにその日の課題文献は女性の美容整形を題材にしたフェミニズムの文章で、主張は次のようなものだ。 「美容整形というのは本人の自由意志でやっ
はじめに 先日、広辞苑の「フェミニズム」の項目が新しくなったというニュースがありました。以前は「女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し組み替えようとする思想・運動。女性解放思想。女権拡張論」という説明だったのが、最新の第7版では「女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、性差別からの解放と両性の平等とを目指す思想・運動。女性解放思想。女権拡張論。」という説明になったそうです。「男性支配的な文明と社会を批判し組み替えようとする」が「性差別からの解放と両性の平等とを目指す」に変わっています。「平等」という文言が入ったのは、明日少女隊というグループの活動の成果であり、敬意を表したいと思います。 けれど個人的には、「平等」という言葉が入ることでフェミニズムのイメージが変わるかというと、必ずしもそんなことないのではないかという気もしていま
カズオ・イシグロによると、質の高い作品の執筆を可能にしたのは、家庭内分業だったということです。 Kazuo Ishiguro writes for the Guardian: how I wrote The Remains of the Day in four weeks http://t.co/ldprFwFLf2 — The Guardian (@guardian) 2014年12月7日 Lorna, despite her own busy schedule, would for this period do my share of the cooking and housework. In this way, so we hoped, I’d not only complete more work quantitively, but reach a mental state in
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。 ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。 それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。 「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。 従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。 という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり) 例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。 といった具合に。 ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるよう
女優のエマ・ワトソンがヴァニティ・フェア誌のインタビューで撮影したこの写真を巡って「フェミニストとは何か」という議論が起きている。
一部タイトルに誤解を招く表現があり、はてなブックマークコメントで指摘を受けました。そのけんに関しては、べつにまとめにしてありますにので、ご意見などくだされば幸いです。 まとめ 熊谷俊人千葉市長の名前表記について 修正したとは言え、混乱を真似聞くタイトルにしてしまって済みませんでした。色々と意見がほしいです。 4746 pv 10 7 users 1
この写真は不適切な関係を証明するものではないが、ある種の関係を暗示している。つまり、イヴァンカは幼い頃から所有物、または小道具として自分のことを考えるよう、訓練されていたということだ。 成長する中でイヴァンカは、父親が女性を、彼女の母親のような美しく優れた女性までをも、新しい人と簡単に交換するできる使い捨て可能なモノとして扱う様子を見てきた。だから、彼女はまずモデルになった。トランプ氏の世界観では、これが価値の高い人物になる1つの手段だったからだ。 その後、彼女は、無情なビジネスウーマンになった。なぜならそれも、価値の高い女性になるまた別の手段だったからだ。まず母親を、その後、80年代にトランプ・オーガニゼーションの副社長として採用されたバーバラ・レスを、手本とした。 イヴァンカは父親と同様に、自分のライフスタイルをブランド化した。彼女のものの見方は、表にははっきり出てこないが、シンプルで
匿名で活動するためマスクをかぶる明日少女隊のメンバー。プラカードは「ちゃぶ台女子アクション」と合同で開催したパレードで使用したものだ=東京都内で 若い世代の女性たちが街頭やネットで、男性中心の側面を残す社会に「ノー」の声を上げている。日本では1970年、女性だけの街頭デモからウーマンリブが始まり、フェミニズム(女性解放の運動と思想)の波が起きた。40年以上を経て「フェミニズムの新しい波を起こしたい」と活動する人々を取材した。 ●萌えキャラを批判 「数十年前にフェミニストは『個人的なことは政治的なこと』と言ったが、今まだ言わないといけないぐらい抑圧はなくなっていないのではないか」。5月下旬、東京都内であった子育て世代の政策課題を語り合うイベント「保育園落ちた! 選挙攻略法2016」。ジャーナリストの治部(じぶ)れんげさん(42)の発言を聞く参加者の中に、ウサギのマスクをかぶった人たちがいた。
𝕦𝕤𝕪𝕠𝕜𝕒𝕤𝕒🦐🐟🦖 @usyokasa @NanasisanY @pantyhose692 男のミソジニーは思い通りに蹂躙や搾取ができない女に対する怒り、という話はさんざん言われ尽くしてるけど、女が好きでそうしてると考える人はまだ多くて、それに抵抗を示してるだけなのに「男性を憎んではいけない」と諭す女様もいるので参る 2016-06-21 12:58:15 山崎マキコ @NanasisanY @sakasyou0875 @pantyhose692 あれね、ほんと、ムカつくんですよ。「男性を憎んではいけない」。それがフェミ名乗ってたりすると、害悪でしかない。「女の意見にも耳を傾けてあげられる度量の広い俺様」を演じさせる好都合な女。あんたは男におもねってるだけ、と。 2016-06-21 13:09:24
http://anond.hatelabo.jp/20150523131716 某狐の人並にフェミニストへの偏見がダダ漏れなのでまともな話になるかはわからないが一応返答しておこう 増田の言ってることは“弱者男性の問題をフェミニストの責任にしている”という点でおかしい。 まず増田が“弱者男性”と呼んでいる層はフェミニズムが生まれるよりも前から存在しており、フェミニズムがそれを生んだわけではない。さらに“弱者男性”が抱えている問題(不安定な雇用、低い賃金、薄い社会保障、酷い偏見)はすべからく女性も直面してきたものであり、現在でも多くの女性がその苦境から抜け出せていない。そうした状況下でフェミニストが女性よりも弱者男性を優先しなければならない理由はどこにもない。 賃金比較ひとつとっても「女性は男性と同レベルの学歴を持っていても得られる賃金が低い」という明確な男女格差がある。現実に存在する男女格差
学校で男子にバカとかブスとか言われていたわたしは、テレビで、赤いメッシュをかっこ良く入れた美人が、たけしと大竹さんを相手に、一歩も引かずに自分の考えを述べているところに励まされていた。 ブスと言われても、平気な顔をしている彼女。 わたしはブスと言われても平気でいようと思った。それは自分の感情を抑圧するって意味じゃない、ただ、くだらない男、にブスと言われてもなんぼのものじゃ、と思ったのだ。 大竹さんからも、武からも、彼女は愛されていたと思う。そうでなければ、嫌いな相手と、武も大竹さんも長い間、一緒に番組をしなかったと思うのだ。 わたしは子どもの頃から、数学ができるのは男の子だとか、家事が得意なのは女の子だとか、出席が、男子からだったりすることにむかついている子どもだった。 田嶋先生の本を読むと、シングルマザーや、困っている女性に厳しいながらも優しかった。 だから、わたしは、赤いメッシュの髪の
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