島 秋人(しま あきと、本名中村 覚(なかむら さとる)、1934年〈昭和9年〉6月28日 - 1967年〈昭和42年〉11月2日)は、新潟県で強盗殺人事件を引き起こした元死刑囚であり、1960年の一審の死刑判決後、1967年の死刑執行までの7年間、獄中で短歌を詠みつづけた歌人である。1963年に毎日歌壇賞を受賞。 事件の背景と概要[編集] 1934年6月28日[1]、現在の北朝鮮で生まれた。父親は旧満州(現在の中国東北部)や朝鮮で警察官をしていたが、その経歴ゆえに戦後公職追放の憂き目に会い、母親も結核に罹患したうえに栄養失調で死亡し貧しい暮らしをしていた。自身も結核やカリエスになるなど病弱であり、7年間ギプスをはめる生活を送っていた[1]。学業成績も最下位だったことから周囲に低能扱いされた[1]。中学校卒業後、職業を転々とし強盗殺人未遂事件といった刑法犯を重ねるなど非行少年となり、特別少
[ 東京事件 ] 1968年(昭和43年)10月11日午前0時50分ころ、永山則夫(当時19歳)は、港区芝公園にある東京プリンスホテル本館南側のプールサイドの芝生のところで、約1メートルの至近距離から、ホテルのガードマンの中村公紀(27歳)に向けて、ピストル(22口径の回転式6連発拳銃)を2発発射。撃たれた中村はその後、病院に運ばれたが、約10時間15分後に死亡した。 〈 供述調書より 〉 《1968年10月9日の朝方に、桜木町駅前の隠し場所からピストルと弾丸を取り出し、池袋へ遊びに行きました。夜になって、地下映画館に入り、便所のなかでピストルに弾丸5発を込めてジャンパーの左ポケットに入れ、朝まで映画館にいたのです。5発しか込めなかったのは、暴発するといけないので1発目の弾倉を空にしました。 10月10日は、池袋のボーリング場で遊び、次兄のアパートを訪ねました。夕方に渋谷の西武デ
永山 則夫さんの死刑が執行されたことを、新聞によって知った。 その記事を目にした瞬間、身体の力が抜けてしまって、どうしようもない虚脱感がやってきた。 遺骨と遺品を僕の敬愛してやまない遠藤誠先生が引き取ったということを知って、先生の心を思ってどうしようもなく切なくやり切れなく、怒りにも似た感情も沸いてきた。 遠藤先生は著書の中で、彼のような哀れな人間のためならば、身代わりに死んでもいい。と語っている。 ここまで永山さんのことを思っていた遠藤先生の無念さはいかばかりか。 今日の朝日新聞の読者の声で、 「もっとこの世の中には悲惨な境遇の人間もたくさんいる。でも人を殺したりはしない。だから永山は死刑になって当然だ」 という論調が掲載されていた。 永山さんの境遇を本当に知っているのか? それとも、あなたが永山さんより悲惨な境遇で育ったというのか? もし、自身がそ
永山則夫連続射殺事件(ながやまのりおれんぞくしゃさつじけん)とは、1968年(昭和43年)10月 - 11月に東京都・京都府・北海道・愛知県の4都道府県で発生した拳銃による連続殺人事件。「永山則夫事件」[6]「永山事件」とも呼ばれる[3]。 永山則夫[編集] 永山則夫(各事件当時・19歳少年)が在日アメリカ海軍・横須賀海軍施設から盗んだ拳銃を使い、男性4人(警備員2人・タクシー運転手2人)を相次いで射殺した事件で、一連の事件は警察庁により警察庁広域重要指定108号事件に指定された[1]。本事件は「警視庁創立140年特別展」の来館者らに対し実施された「みんなで選ぶ警視庁140年の十大事件」のアンケート(2014年1月10日 - 5月6日に実施)[7]にて38票を得票し、第53位(うち警視庁職員の投票による順位では71位)に選出された[8]。 刑事裁判では事件当時少年だった永山への死刑適用の是
永山 則夫(ながやま のりお、1949年〈昭和24年〉6月27日[1] - 1997年〈平成9年〉8月1日)は、日本のシリアルキラー(連続殺人犯)・元死刑囚、小説家。北海道網走市生まれ[2]、明治大学付属中野高等学校定時制中退。 1968年(昭和43年)10月 - 11月にかけ、東京・京都・北海道・愛知の4都道府県で拳銃を用い、男性4人を相次いで射殺する連続殺人事件(連続ピストル射殺事件)を起こし、翌1969年(昭和44年)に逮捕された。一連の連続殺人を含む事件(警察庁広域重要指定108号事件)では殺人罪や強盗殺人罪・銃刀法違反などの罪に問われ、1990年(平成2年)に最高裁判所で死刑が確定。1997年8月1日に東京拘置所で死刑を執行。 刑事裁判の公判途中から死刑執行までの間、獄中で小説家として創作活動を続け、1983年(昭和58年)2月には小説『木橋』(きはし / 1984年7月初めに立
芥川賞作家の柳美里さん(39)が、自らのブログで長男(8つ)を8時間もひっぱたきまくったなどと告白し、ネットで騒動になっている。長男を「嘘つき」呼ばわりし、泣き顔写真までアップする凄まじさだが、本人はその後、更新したブログで「広義な解釈で『フィクション』」だとしている。 「広義な解釈で『フィクション』」 柳美里さんは、私生活を暴露するような過激な小説で知られる。2001年出版の「命」などでは、末期がんの元夫を看病しながら、別の男性との間に生まれた長男を育てる私生活が赤裸々につづられている。柳さんは、高校中退後、舞台女優を経て、劇作家となり、1993年に史上最年少で岸田國士戯曲賞を受賞。その後、小説に転じて、97年に「家族シネマ」で芥川賞を受賞した。 長男のことを書いたのは、ブログ「柳美里の今日のできごと」の08年2月4日付日記。「息子の嘘に振り回され、たいへんな目に遭いました」との書き出し
新井 満(あらい まん、1946年〈昭和21年〉5月7日 - 2021年〈令和3年〉12月3日)は、日本の男性著作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家。新潟県新潟市生まれ。本名:滿(みつる)。母は助産婦。 来歴[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "新井満" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年12月) 新潟市立寄居中学校、新潟明訓高等学校、上智大学法学部卒業。子供時代に新潟地方を襲った大地震で危うく命を落としかけた。また、幼少時から病弱だった。上智大学グリークラブ(男声合唱団)に所属するも、重病を患い生死の境目を彷徨ったた
2007年10月11日、フランクフルト・ブックフェア(Frankfurt Book Fair)に出品されていたノーベル文学賞を受賞した英国の作家ドリス・レッシング(Doris Lessing)の著書。(c)AFP/DDP/THOMAS LOHNES 【10月11日 AFP】(10月13日写真追加、一部更新)スウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)は11日、2007年のノーベル文学賞を英国の女性作家ドリス・レッシング(Doris Lessing)氏(87)に授与すると発表した。約半世紀にわたりフェミニズムや政治、幼少期を過ごしたアフリカを叙情的に描いてきた作品が認められた。 同アカデミーはレッシング氏について「女性性の経験を描く抒情詩人。懐疑的視点と情熱、深い洞察力をもって、分断された文明を厳しく見つめた」と評した。 1919年10月22日生まれで、次週88歳を迎えるレッシ
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