くたばりプリマスはゴーゴーズ @Plymouth760 小4にして蛹化の女の心情を…! あと星のやつは五七五だけど自由律俳句っぽくも読めるリズムの崩しがすげえ! twitter.com/usabarasiusagi… 2016-06-07 13:12:02
「角川短歌」4月号に連載エッセイ「ぼくは散文が書けない」掲載。今回のタイトルは「『大は小を兼ねる』って世界の把握が雑だろ」。 「短歌研究」4月号に「なぜ『歌人さん』という芸名なのか 枡野浩一の現在地」を寄稿。 3月16日の北海道新聞に「札幌零景」掲載。今回は元ボウリング場の電器店が舞台。 短歌 2024年4月号 [雑誌] 雑誌『短歌』 角川文化振興財団 Amazon 短歌研究2024年4月号 作者:(株)短歌研究社 短歌研究社 Amazon 道新文化センター千歳で4月から短歌講座やります。 毎月2・4日曜の14:00-15:30です。イオン千歳店内に入居しています。 doshin-cc.com 北海道新聞「札幌零景」第6回が掲載です。 www.hokkaido-np.co.jp 北海道新聞2/17に「札幌零景」掲載。テーマは「ニセ時計台と空き地」。 北海道新聞の連載「札幌モノローグ紀行」は
photo by gabriellaraujo 今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて 佐藤真由美「プライベート」より プライベート (集英社文庫) 作者: 佐藤真由美出版社/メーカー: 集英社発売日: 2005/10/20メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 20回この商品を含むブログ (19件) を見る昨日この短歌をTwitterのタイムラインで見かけてそのつぶやき主である卯野抹茶さんにメンションを飛ばしました。 その結果卯野さんはご自身のブログに記事として取り上げてくれたのですが、それを読んでやはりちょっと言い足りなかったという思いがムクムクと湧き出てまいりましたので、Twitterでは足りなかった部分の補足をしたいと思います。 短歌と解釈「今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて」 - nerumae @4leafclover7 @
童謡「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」などで知られ、やさしく深い言葉で命の貴さをうたいあげた詩人のまど・みちお(本名石田道雄〈いしだ・みちお〉)さんが28日午前9時9分、老衰で亡くなった。104歳だった。葬儀は未定。喪主は長男石田京(たかし)さん。 1909年、山口県周南市生まれ。19年から日本統治下の台湾で暮らし、29年に台北工業学校を卒業して台湾総督府に勤めた。34年、雑誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋の選で特選に入り、以後、詩や童謡の創作に打ちこむ。43年には応召。 46年復員。49年から雑誌「チャイルドブック」の編集に携わり、59年から創作に専念。68年、詩集「てんぷらぴりぴり」で野間児童文芸賞。76年、「植物のうた」で日本児童文学者協会賞、81年、巌谷小波文芸賞。 「一ねんせいになったら」「ふしぎなポケット」などユーモアあふれる童謡詩は歌い継がれ、子どもたちに愛されてき
高橋源一郎 @takagengen 本日の予告編・今日は久々に「路上演奏」というか「午前0時の小説ラジオ」をやります。タイトルは「門外漢の言」。今回は「ぼく」や「わたし」ではなく「おれ」にしゃべってもらう予定。というのも、ほんとうのところ、素の自分に近いのは「おれ」だからだ。 2010-07-10 22:57:03 高橋源一郎 @takagengen 予告編2・今回の「路上演奏」は、もともと、おれを批判している一部の現代詩人に応えるものだ。だが、そんなほとんど誰も読まないテーマについて、こんな「公」の場でしゃべっても意味なんかないと思う。だから、おれは、その問題を、誰にとっても意味あるものに「翻訳」しながらしゃべるつもりだ。 2010-07-10 22:58:39
日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。
蒸タオルに顔おほはるるつかのケン(ま)も墮(お)ちゆけり 黄昏(たそがれ)の日本 歌人の塚本邦雄(1920~2005)がこう歌ったのは、90年代以降の日本ではない。58年刊行の第3歌集『日本人霊歌』に収められた一首である。 第二次世界大戦で敗れた45年から10年余り、高度経済成長を控えた日本が、なぜ「黄昏」と感受されたのか。答えの一端は、戦後7年近く続いた占領と、その後も尾を引いた基地問題に象徴される当時の状況に求められるだろう。 朝鮮戦争(50~53年)を背景に、日本の各地で米軍基地の新設・拡張が計画され、反対住民らによる闘争も相次いだ。いってみれば、今の沖縄と似た問題が日本中で起こっていた。戦後の民主化は占領者である米国により与えられ、認められた限りの範囲に留(とど)まり、「平和」の掛け声も東西冷戦下ではむなしく響いた。 かたみに遠き墓地と基地とが真夜のわが部屋貫きて通じあひゐる 赤き
ようこそ「 徒然草(吉田兼好著・吾妻利秋訳)」へ。このウェブサイトでは『徒然草』の全段を現代語訳でご覧になることが出来ます。 更新履歴 基本的に大規模な更新は滅多に行われません。 2018.4.5 ご無沙汰しておりました。昨今のインターネット事情を鑑みてSSL対応しました。 2016.6.8 twitterのアカウントtsurezure_bot のメンテナンスをしました。 2016.6.8 原文にルビを振りました。 2016.6.8 ホームページをリニューアルしました。たぶん、スマートフォン対応できてます。 2009.10.15 twitterのアカウントを作りました。つれづれぼっと 2009.7.24 ホームページ・リニューアル。校閲と言うより訳し直しました。 2009.4.19 校閲が終わりました。 2008.6.6 「おりにかなう助け」を更新しました。 2007.6.3 リニューアル
1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/11(金) 01:29:57.65 ID:T5BkQta90 平成万葉集http://www.yomiuri.co.jp/man-yo/man-yo1000.pdf (PDF注意) 応募作4万6027首の中から選ばれた千首らしいが、 その中でも秀逸な短歌を探そうぜ。 ちなみにスレタイは北海道の23歳のおにゃのこの短歌な。 これが17歳の男子だったら俺的には完璧だった。 14 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/11(金) 01:37:28.97 ID:PNwUu4Ou0 "君の好きな人" の検索結果 約 16,300 件中 1 - 50 件目 (0.22 秒) 18 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/11(金) 01:41:58.81 ID:+mWBsltRO >>
京都・冷泉家邸内にある貴重な典籍や古文書類を収める土蔵「御文庫(おぶんこ)」は、京の都を焼き尽くした天明の大火(1788)をはじめとする災禍から免れ、歴代が800年の歴史の中で収集してきた古典籍を現代に伝えています。本展では、この「奇跡の文庫」とも呼べる、冷泉家のコレクションの精髄を一挙に公開します。 詳しい見どころはこちら>> 詳しい開催概要はこちら>> チケット情報はこちら>> 冷泉家 王朝の和歌守展 閉幕 京都市中京区の京都文化博物館で開かれていた「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」(朝日新聞社など主催)が6日、閉幕した。 詳しく>> トピックス一覧 冷泉家 王朝の和歌守展 閉幕[2010/6/7] 展覧会紹介(5)天皇の和歌[2010/5/27] 展覧会紹介(4) 裏紙に「明月記」[2010/5/26] 展覧会紹介(3)秘伝のお香「八千世」[2010/5/25] 展覧会紹介(2)
(トランスビュー・2940円) ◇短歌を「底荷」に、謙遜と自恃を貫いた生涯 歌人にして評論家、小説家、そして医者でもあった上田三四二(みよじ)の評伝。じつに面白い。上田は一九二三年生、八九年没。二二年生まれの歌人・塚本邦雄と同世代。 五四年、寺山修司が「チェホフ祭」で短歌研究新人賞を受けたとき、評論部門の受賞者が上田だった。寺山の以後の活躍は言うまでもないが、上田も翌年、第一歌集『黙契』を、翌々年には第一評論集『現代歌人論』を刊行している。塚本はすでに五一年に第一歌集『水葬物語』を出している。 上田は初め詩を書いていたが、後に短歌に転じた。旺盛な評論活動の理由だと著者は示唆する。現代詩に対する批判は鋭い。五八年、ある座談会で、塚本は上田を「正統派(オーソドックス)野郎」と嘲(あざけ)り、上田は塚本を「胡散臭(うさんくさ)い言葉の魔術師」と罵(ののし)っている。歌壇は応酬に歯に衣(きぬ)を着
辻聡之さんの第一歌集『あしたの孵化』。 歌集は入手したのだけど、僕にはまったく事前情報がない。辻さんがどういう人で、どういう歌を作る歌人なのかよくわからない。逆にこういう状態で虚心に歌を読んだほうが、いいのかもしれない。歌集の表現上の特徴や魅力を、自分のできる範囲で探って行こうと思う。 ・誰ですかと問われる声で目覚めればしゅわしゅわという加湿器の音 ・ナポレオンは三十歳でクーデター ほんのり派手なネクタイでぼくは ・望まれるように形を変えてゆく〈主任〉はどんな声で話せば 巻頭の3首、つらつらと読んでいって、「うーん、なるほど」と思った。3首まとめて強引に歌の印象を書いていけば、まず作者はおそらく「なにものにもなれない自分」を歌いたいのかなと思った。 一首目では、「誰ですか」とだれかに問われて、目が覚めてみればそこにあるのは「しゅわしゅわ」とした加湿器の音だという描写がなされる。誰ですかと問
中山明の名前を最初に見たのは、塚本邦雄『現代百歌園』(花曜社1990年刊)のなかである。この本は塚本が100人の歌人を選び、それぞれの代表歌を挙げて、塚本特有の高いトーンで解釈を施したアンソロジーであり、私が短歌に興味を抱くきっかけとなった本でもある(現在は絶版)。塚本は中山の第一歌集『猫、1・2・3・4』(遊星舎1984年刊)から、その後よく引かれることになる次の歌を挙げている。 あるいは愛の詞(ことば)か知れず篆刻のそこだけかすれてゐたる墓碑銘 七・七・五・八・七(または四・十・五・八・七)の破調ながら、三句「篆刻の」の定型五音と漢字表記の強い存在感が、上二句のなだれ込むような十四音を静かに受け止め静止させ、下句にゆるやかに接続することで見事に定型として成立している。「そこだけかすれて/ゐたる墓碑銘」の句跨りも前衛短歌風である。塚本が代表歌とした理由がよくわかる選歌とい
山武市出身の歌人で小説家の伊藤左千夫(1864〜1913)をしのび、短歌に親しむことを目的にした第57回左千夫短歌大会(同市主催)が18日、同市殿台の成東文化会館のぎくプラザで開かれた。小中高校生と一般の各部で作品を募集し、今回は過去最多の2987の応募があった。高校生の部ではゴリラの孤独を表現した県立成東高校2年菱木俊輔君(17)の作品が市長賞に輝いた。 「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」 昨年春、千葉市内の動物園でゴリラを見て、「ゴリラも人と同じように孤独なのではないかと感じた」そうで、その孤独感を表現したかったという。ゴリラのイメージを文字で表すなら「ウ」と「ホ」だったので、そのふたつでまとめるようにした。書き始めて30分ほどで完成したという。選者の田井安曇さん(78)は「素手でつかんだ本音を歌っているユニークないい歌だ」と評価する。
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