オタクはしばしば、空気が読めない者として語られることが多いし、実際そういうオタクは結構いたりするのだが、これってやっぱり第三世代以降のオタク達に(マクロレベルでは観察できる)広く薄い傾向なんじゃないかと私は感じている。彼らのなかには他人の利害や感情に関心が無いタイプの「空気読めない人」への第一選択薬 - シロクマの屑籠に書いたような「自分の利害と感情はモニターしていても、他人のソレには無頓着無関心」な者が少なからず混じっている。第三世代以降のオタクには、(他者性が見事に欠落しているが為に)リアル女性とまともな双方向的交際が困難なケースが多い*1。自分の感情と利害しか追わないような男を女性は忌避するし、だからこそ両者の間に色恋沙汰の架け橋が生まれる確率は極めて低い。 代わりに萌えオタ達は、所有/隷属というどちらかだけの都合を押し付けるような関係や、純愛・献身などといったタームによってごまかさ
「オタクと一般人はそんなに違いは無い」 と言うのがオレの主張だ。 所謂「一般人」だって見た目に気を使ってない人間は多いし、オタクにだって見た目にちゃんと気を使ってる人間は多い。 フツーの人にだって「オタク的傾向」はあるし、オタクだってちゃんとフツーに社会生活を出来てる人間が殆どだ。 なのに、一方で「ダサオタク」等と叩かれる人間も居るし、オタク的な趣味や服装でも面と向かって叩かれない人間も居る。 その差は一体何なんだ・・・ 最近、その辺りの境界線というか分水嶺というか、そんなモノがおぼろげながら見えてきつつあるので、ココで一つその辺の雑感をまとめてみたいと思う。 例によって、あくまで「オレ個人の雑感」でしかないのであしからず。 結論から言うと 「人馴れしてるか、してないか」 の違いなのではないだろうか。 人馴れしてない人は、やはりその部分が顔なり態度なりに現れてる場合が多いような気がする。
『雑談だけで会話を続けるのは難しい』(ARTIFACT ―人工事実―) 自分の話ばかりしないで他人の話に耳を傾けよう。そうすれば、異性にもモテるかも知れないという話。オタクの趣向のばらつきによって、オタク同士でもコミュニケーションが取りづらくなったという話。会話が苦手な人は会話のきっかけを意識しようという話です。 私の場合、モテのためのコミュニケーション能力の向上というものには、まったくと言っていいほど興味が持てません。会話の相手に関しては性別よりも、相手が極端に言うとオタクがどうかという方が重要であり、それによって明確に対応の仕方が変わります。もちろん相手に自分と共通するオタク的な趣味が無くても、価値観が似ていたりして話が弾むことも稀にはあるのですが、圧倒的にオタクかどうかという要素の影響が大きいです。 自分の好きな事を話して、その話が通じるということの安心感や楽しさです。相手との趣味の
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