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哲学に関するenemyoffreedomのブックマーク (52)

  • [書評]中世哲学への招待 「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために(八木雄二): 極東ブログ

    ごく個人的な興味だが、デカルトの「方法序説」を読みながら、原点になったスコラ哲学をもう少し理解しておきたい気分がしてきたので、なにか入門書のようなものはないかと「中世哲学への招待(八木雄二)」(参照)を読んでみた。スコラ哲学の基的な考え方とバリエーションを簡素にまとめた書籍を期待していたので、その点では求めていたものとは違う印象もあったが、これはこれで興味深いだった。著者は自身のグリーンボランティアの体験談を含め、一般向けにゆったりと雑感を込めて書を書いている。エッセイ的に読みやすいと言えば読みやすい。が、どちらかというと思想史というより世界史に関心ある人向けではないかとも思った。 「中世哲学への招待」と銘打ってはいるものの、実際にはヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus)の紹介書と言ってよい。その名前だが、書ではドゥンスは家系名かとの推測余地も残

  • 『正義』の哲学者・サンデル氏が巨人開幕戦の始球式へ:巨人:スポーツ報知

    『正義』の哲学者・サンデル氏が巨人開幕戦の始球式へ 米ハーバード大のマイケル・サンデル教授 巨人が、25日の開幕戦(対横浜・東京D)始球式に、政治哲学者のマイケル・サンデル氏(58)を招へいすることが4日、分かった。米ハーバード大教授としてその講義が有名になり、日でも出版されたベストセラー「これからの『正義』の話をしよう」(早川書房)の著者。大の野球好きとしても知られ、巨人戦の始球式を務めたい、という人の希望を巨人サイドがかなえた形。近日中にも正式発表される。 東京Dのマウンドに、哲学者が上がることになった。白羽の矢が立ったのは、「正義の哲学」で知られる米ハーバード大のマイケル・サンデル教授だ。1988年の東京D開場以来、海外から招いての外国人による巨人開幕戦の始球式は初めてだという。08年には大相撲でモンゴル出身の横綱・白鵬が始球式を務めたが、関係者は「記録が残っている中でも(海外

  • 哲学的ゾンビ - Wikipedia

    哲学的ゾンビ(てつがくてきゾンビ、英語: Philosophical zombie、略: p-zombie)とは、心の哲学で使われる言葉である。物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、我々の意識にのぼってくる感覚意識やそれにともなう経験(クオリア)を全く持っていない人間と定義されている。 デイヴィッド・チャーマーズが1990年代にクオリアの説明に用いた思考実験であり心の哲学者たちの間で有名になった。 ホラー映画に出てくるゾンビと区別するために、現象ゾンビ(Phenomenal Zombie)とも呼ばれる。おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義(または唯物論)の立場を攻撃する際に用いられる。ゾンビの概念を用いて物理主義を批判するこの論証のことをゾンビ論法(Zombie Argument)、または想像可能性論法(Conceivability Argumen

  • 清沢哲夫 - Wikipedia

    清沢 哲夫(きよざわ てつお、1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、愛知県碧南市出身の宗教家・哲学者。大谷大学助教授を務め、晩年は石川県白山市「明達寺」(真宗大谷派)の住職としてすごした。清沢満之の孫。暁烏敏の孫・宣子と結婚し、暁烏 哲夫(あけがらす てつお) と改姓。 経歴[編集] 大正10年(1921年)愛知県碧南市の西方寺に生まれる。碧南市大浜尋常小学校、愛知県立刈谷中学校、大谷大学予科(ドイツ語科)を経て、昭和19年(1944年)大谷大学文学部西洋哲学科卒業。学徒動員され約2年間の軍隊生活を送る。戦争中に体験した「人間の獣性の事実」「人間の死の事実」を転機として復員後は社会の問題に向き合い、まず実家西方寺において「形骸化し死化した寺院制度」を改革しようとする[1]。 哲夫は、祖父満之の跡を慕って西方寺に参拝していた暁烏敏と幼少より面識があった。中学卒業時(昭和13年(

    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2010/11/23
    「『無常断章』に収録されている詩「道」は、「一休の言葉」と誤解され文言も多少間違ったままで、アントニオ猪木らによって広く流布されている」
  • 10代でそんなに読むことはないよ - finalventの日記

    はてなブックマーク - 10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect ⇒10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect とかいいながら、けっこうこれらは私は10代で読んだな。背伸びしたいころであった。 プラトン『国家』 これは存外に面白いなんだが、いろいろと手順みたいのが必要なんで、「プラトン入門 (ちくま新書): 竹田 青嗣」を先にきちんと読んでおいたほうがいい。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 れいのサンデル先生というかコミュニタリアンで再評価されつつある。現代的な文脈でいうなら、サンデル先生の説明をきちんと理解するだけでよいと思うよ。 ⇒[書評]これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル): 極東ブログ ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 これ1

    10代でそんなに読むことはないよ - finalventの日記
  • 最近はやりのニーチェかな - finalventの日記

    はてなブックマーク - 「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評 率直に言うと、なんかとても変な感じがして、少し考え込んだ。 簡単に言うと、「なぜ人を殺してはいけないの?」とニーチェに問われたら、ニーチェはその問いが理解できないと思う。つまり、「人を殺してはいけない」という前提自体をニーチェは共有しないし、ニーチェと限らず19世紀の西洋人にとって意味をなしてないないはず。意味をなすとすれば、どのような人を殺してはいけないか、という、共同体倫理の文脈でしかない。 しいていえば、ニーチェにしてみると、ある部族なり民族がなぜ同一共同体内の人を殺してはいけないかという掟を持つのか、という、そういう限定された倫理の命題としてしか理解できないはず。 ほいで、そのように問いをフォーマライズすればおのずとニーチェの答えも出てきて、ようするに共同体倫理と自

    最近はやりのニーチェかな - finalventの日記
  •  「スウィート・ドリームズ」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    スウィート・ドリームズ (NTT出版ライブラリーレゾナント059) 作者: ダニエル・C・デネット,土屋俊,土屋希和子出版社/メーカー: エヌティティ出版発売日: 2009/12/22メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 6人 クリック: 79回この商品を含むブログ (21件) を見る 哲学者ダニエル・デネットによる「意識」についてのエッセイ集.デネットは1991年「Consciousness Explained」(邦題「解明される意識」)において,「意識」の問題を取り上げ,脳内に「意識」を司っている特別の部位や中枢はないのであり,ニューロンのネットワークから生まれる現象として考えるべきだという主張を整理している.今風にいうと「中の人などいない」ということになるだろう. その後デネットは進化生物学に興味の中心を移していったのだが,この「意識」にかかる(デネットにとっては既に解決したはず

     「スウィート・ドリームズ」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
  • 今年の倫理のセンター試験問題が科学哲学的に非常に面白い件について

    (07/18)私はいかにしてニセ科学批判者と呼ばれるに至ったか (07/17)産総研がバイオインフォマティクスのワークショップを開催するようです (07/12)IBMがゲノムビジネスに格参入するらしい (07/11)ホメオパシー助産師のビタミンK2の問題が裁判になった (07/04)日トンデモ大賞2010オープニングムービー (07/03)トゥーリオ・シモンチーニのがん治療についてのまとめ (03/29)『「トンデモ」批判の政治性と政治の未来』にコメントしてみる (03/24)ニセ科学商品バイオラバーについてのまとめ (03/23)正しい目薬のさし方 (03/21)科学なポッドキャストをまとめて紹介してみる はじめにお読みください(1) サイエンスニュース(122) 宇宙開発・天文ニュース(78) サイエンストピックス(57) バイオニュース(155) バイオインフォマティクス(17

    今年の倫理のセンター試験問題が科学哲学的に非常に面白い件について
  • オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係

    非合理批判の場では、「オッカムの剃刀(かみそり)」という考え方が登場することがある。オッカムの剃刀とは、以下のような考え方である。 現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきである。 Wikipedia 「オッカムの剃刀]」より LEVEL 1(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定の手段) オッカムの剃刀でそぎ落とされる仮説は、科学的に間違いであると考える。 LEVEL 2(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定とは無関係) オッカムの剃刀という考え方は、真偽を追うための戦略のひとつにすぎない。 剃刀にそぎ落とされるかどうかは、仮説が科学的に正しいかどうかとは無関係である。 よって、いくつかの科学的仮説の中から一つの科学的仮説を選択する手段として使うのは誤りである。 LEVEL 3(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定として有効) 科学的に「正しい」「間違っている」とは、蓋然性*1

    オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係
  • 構造主義 - Wikipedia

    構造主義(こうぞうしゅぎ、仏: structuralisme)とは、狭義には1960年代に登場し主にフランスで発展していった20世紀の現代思想のひとつである。なお、構造主義と構成主義は異なる。構造主義の代表的な思想家としてクロード・レヴィ=ストロース、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトらが活躍した。 概観[編集] 構造主義は広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す語である[注釈 1]。構成主義者のジャン・ピアジェが「構造主義」という著書を出版していたり、「構造主義」「構成主義」「構造構成主義」「構築主義」など、大学で哲学を学ぶ学生を混乱させる用語は多いが、構成主義と構築主義(社会構成主義)は同じである[1]。なお、構造主義と構成主義は

  • ポール・ファイヤアーベント - Wikipedia

    ポール・カール・ファイヤアーベント(Paul Karl Feyerabend、1924年1月13日 - 1994年2月11日)は、オーストリア出身の哲学者、科学哲学者である。アメリカ合衆国にあるカリフォルニア大学バークレー校の哲学教授を30年にわたり務めた。主著は『方法への挑戦("Against Method")』(1975年)、『自由人のための知("Science in a Free Society")』(1978年)、『理性よ、さらば("Farewell to Reason")』(論文集:1987年)。ファイヤアーベントは科学へのアナーキスティックな見方と、普遍的な方法論の否定によって有名になった。ファイヤアーベントは科学哲学にくわえ、科学社会学においても影響力を持つ人物である。 経歴[編集] 若年期[編集] ファイヤアーベントは1924年、ウィーンで生まれ、その地で高等学校までを過ご

    ポール・ファイヤアーベント - Wikipedia
  • 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 | WIRED VISION

    前の記事 紙飛行機で宇宙をめざす戸田拓夫氏 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 2009年9月 7日 Chris Lee(Arstechnica) サルバドール・ダリの彫刻『時のプロフィール』、画像はWikimedia Commons 学術論文を読んでいると、時々、これを掲載した編集者たちは「ソーカルされて」いるのではないかという疑問にかられることがある。つまり、いかにも科学的な言葉を並べたニセ論文にだまされているのではないか、という意味だ(「ソーカルされる」なんて言葉はないって? なら是非ともそういう言葉を作るべきだ)。 [ソーカル事件とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal)が起こした事件数学・科学用語を権威付けとしてやたらと使用する、フランス現代思想系の人文評論家たちを批判するために、数式や科学用語をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、これを著

  • NOのNOは脳 - 書評 - 単純な脳、複雑な「私」 : 404 Blog Not Found

    2013年09月08日17:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech NOのNOは脳 - 書評 - 単純な脳、複雑な「私」 著者人より献御礼。 単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二 2009.05.12 初出。原著に対する書評 2013.09.08 ブルーバックス版に更新 自筆サイン付き!(^o^)v←ゲシュタルト群化 そのサインには、「今回のは一番気合いを入れて書きました」とある。「進化しすぎた脳」の著者がここまで言うからには、面白くないわけがない。 面白く「ない」わけが「ない」? 「面白い」と「面白くないわけがない」の違いは一体なんだろう? そこにこそ、単純な脳が、複雑な心を生み出す仕組みがあった。 「ゲーデル・エッシャー・バッハ」以来の Eye-opener, いや Mind-opener と認めるのに私は「やぶさか」では「ない」。 書「単純な脳、複雑な「私」」は、今日で最

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  • 私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記

    「物と心」より。 こうして如何なる解釈をとろうと、確率論は帰納の意味を明確にはしたが、帰納の問題に解決を与えることができなかった。むしろ確率論の経験への適応可能性が帰納の正当化に依存するのである。 正当化が論理的に不可能だ、ということも全く正しい。理由は簡単で、ヒュームの言う通り、過去が未来を些かでも規定するという補償が些かもないからである。しかも、何の正当性もなくわれわれは現に無数の帰納を行っている。それが定義上「合理的」だからである、と言うことは念入りな冗談という以外はない。 実はその意味で科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない。 合理性ではなく、それは賭に過ぎないと大森は言う。 この、未来と過去の類似、過去世界の世界像の未来への外挿はこれまで何の根拠もない独断的仮定として非難されてきた。しかし、これは仮定ではなく賭なのである。そして、何の根拠もない賭けなのである。 いかに

    私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2009/03/03
    しかし我々のヒューリスティックな脳の回路は確率をいまいち上手に扱えなかったりする(帰納的な筋でも) / というあたりが色々な悲劇の原因になってるのかな
  • スーザン・ブラックモア - Wikipedia

    Susan Blackmore (2014) スーザン・ブラックモア(英: Susan Blackmore、1951年7月29日 - )は、イギリスの心理学と超常現象に関するフリーランスの作家。著作『ミーム・マシーンとしての私』で知られる。 経歴[編集] 1973年、St. Hilda's College, Oxford で心理学と生理学の学士号を取得。サリー大学大学院の環境心理学科に進学し、1974年に修士号を取得。1980年、同大学にて "Extrasensory Perception as a Cognitive Process"(認知過程としての超能力)という論文で超心理学の博士号を取得した。超心理学や超常現象について研究していたが[1]、徐々にそれらに対して懐疑的な立場をとるようになった[2]。 ミームと進化についても研究した。また、彼女の著書 Consciousness: An

    スーザン・ブラックモア - Wikipedia
  • で、それはどなたのことで? - 僕と懐疑の関係

    十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君の日記。みたいな。というエントリを読んだ。文が長いので、まずは自分用にまとめます。尚、id:mojimojiさんの疑似科学の定義がオレオレ定義であることが判明しているので、疑似科学という言葉は用いず「ニセ科学とその周辺に存在する議論の問題」という意味で、ニセ科学を用いることにします*1。 「十字軍はバカに勝てるか」の自分用まとめ ニセ科学を信奉する人をバカとして論じます。 ニセ科学は問題である バカに悪意は無い(悪意がないから問題ないわけではない) バカである バカはまず治らない バカが行動を変えたとしてもバカじゃなくなったわけではない バカは科学を理解できない 批判の内容を理解して考えを変えるのは(バカに見えていても)賢い人だ ニセ科学批判者に対しては以下のような感じ バカがニセ科学を信じるのは(批判者が考えるほど)不思議なことではない 自分の頭を

    で、それはどなたのことで? - 僕と懐疑の関係
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2008/05/24
    私などよりはるかに賢そうな方々が疑似科学とか陰謀論とかにはまっているのを見ると、単に頭の良し悪しって話でもなさそう。行過ぎた反権威主義とか、懐疑といえば聞こえがいいけど過剰な防衛機制っぽい疑心暗鬼とか
  • あなたが懐疑主義だと思っているものは懐疑主義ではない - 僕と懐疑の関係

    「知識は正しい方がよい」という話をもうちょっと掘り下げようと思ったら、なぜか懐疑論になってしまったので、先にこっちを投下します。 懐疑主義とは疑うことではない まかり間違って私の文章を読んでいるような人から見ると、世間には「あまりに簡単に信じすぎだ」と思うことが多いかと思います。そういった問題意識があるからこそ、「疑え」という強い主張が出てきます。 そんなわけで、「疑え」というキャッチフレーズは良く使われます。懐疑主義の猛者というより「ニセ科学批判者」という肩書きで有名になってしまった菊池誠さん*1のASCIIの記事も「ASCII.jp:信じるな疑え! 「ニセ科学」批判の菊池教授に聞く (1/3)」でしたし、香山リカさんとの対談も『信じぬ者は救われる』です。 結果として「疑う事が重要だ」「懐疑主義者は、常識も、そうでないものも疑ってかかる」という印象が強くなり、「疑え」は懐疑という考え方

    あなたが懐疑主義だと思っているものは懐疑主義ではない - 僕と懐疑の関係
  • 「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え(3) - *minx* [macska dot org in exile]

    まだブックマークが増え続けているので、まだやります。 しかし、こんなに大勢の人がわたしの書いたものを見にきてくれたのは史上初。ブックマーカーじゃない人も含めて、ありがとうございます。 2008年04月26日 polynity 宗教, 無神論, 無宗教 宗教を否定するのでも無批判に受容するのでもなくて、純粋に何らかの目的のための手段だと考えて望ましい宗教を設計する、というのが合理的な選択だと思うのだが。http://www.monotheism.jp/sutra/religion.htm 『サイファ』とか… スピシン主義もあったね。(と、常連以外には意味不明のことを書いてみる。) 2008年04月26日 nofrills USA, religion, war on terror, fundamentalist, tolerance, language, 言語 USのfundamental a

    「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え(3) - *minx* [macska dot org in exile]
  • 「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え(2) - *minx* [macska dot org in exile]

    以下は、前エントリ発表後に付いた(あるいは気付いた)ブクマコメントへのお応え。 2008年04月25日 invictus 宗教 米国内の新しい無神論の話なので、ドーキンスの主張自体は筋では無いと思うけど、ドーキンスにいつく人多杉。といいつつドーキンスの反応が見たいなぁhttp://richarddawkins.net/article,2359,I-dont-believe-in-atheists,Salon 筋でないにも関わらずそこばかりいつかれてしまったのは、ドーキンスを含めた「新しい無神論者」の主張がみな同じであるとわたしが主張しているような印象を与えてしまった点が原因でしょうか。それが間違った印象であることは、わたし自身もその「新しい無神論者」に含まれることを考えてもらえれば納得していただけるのではないかと思いますが、説明不十分だった点は反省しておこう。 まあ、ハリスやヒッチ

    「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え(2) - *minx* [macska dot org in exile]
  • 「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え - *minx* [macska dot org in exile]

    家ブログのエントリ「米国を席巻する『新しい無神論者』の非寛容と、ほんの少しの希望」がわたしの記事にしては珍しく大量にブックマークされている。過去もっともブックマークが多かったのが「娘に『セックスやめないと自殺する』と言われた母親」というくだらないネタだったことを考えれば良い傾向か。 このエントリはもともと有料メールマガジン「α-Synodos」の創刊第一号に掲載させてもらった記事の再掲なので、もし誰にも見向きもされないようなことがあれば、まだ評判が確立されていないメルマガ(および編集長の荻上チキさん)に迷惑をかけてしまうのではないかと心配していた。ブックマークの内容には賛否両論あるとはいえ、少なくともこれだけ関心を持ってもらえたということは、メルマガの宣伝にもなったのではないかと思う。 前置きはともかく、以下はブックマークコメントに再コメント。 2008年04月25日 optical_f

    「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え - *minx* [macska dot org in exile]