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webと思想に関するenemyoffreedomのブックマーク (6)

  • ネットが長いので慣れっこでもあるが - finalventの日記

    奇矯な意見や行動をする人でもあるが、一定の知的水準と合理性を持ち合わせている人だったのが、しばらく接していないうちに、私からすると豹変していることがある。合理性のかけらもなくなっていることがある。 いろいろそれなりの理由はあるのだろうが、現実問題として豹変後には元には戻らない。一番の特徴は、聞く耳を持たない、ということだろうか。とりつく島もないということになる。 最初からとりつく島もないという人はネットには多いし、そもそも世間に多いのだから、ネットはその部分集合ではあるのだろう。 ここで、じゃあ、私はどうなんだろ、他人から豹変したように見えるのだろうか、聞く耳は持たないとなってしまっているだろうか、そこはいつも思うが、よくわからない。私は自分ではかなりオープンマインドであるつもりでもあるが、この人なんも聞いてないなと二、三度ループしたと思えたら、私から折れるようにする。それ以上関わっても、

    ネットが長いので慣れっこでもあるが - finalventの日記
  • WANオープニングイベントに出て - ふぇみにすとの論考

    5月31日、京都で行われたウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)のオープニングイベントに行ってきた。サイト自体は今日オープンしており、サイトオープンとNPO法人化の2つを記念したイベントだった。上野千鶴子さんの基調講演と、プロジェクトの中心になった人たちのお話と、会場発言があり、集会の内容は主に、いかにWANが歴史的に重要なことかという説明と、サイト自体の内容説明だった。 WANサイトを作った理由として、フェミニズムに関する情報がウェブに少ない状況があり、ウェブ上にはいわゆるフェミニズムへのバックラッシュ派が発信する情報のほうが多く、フェミニズムのプレゼンスが弱いという背景があるという。基調講演者の上野千鶴子さん曰く、「バックラッシュに対抗するため、守勢から攻勢へ、情報発信へ」ということだった。 たしかにフェミニズムのウェブ上でのプレゼンスは弱い。フェミニズム情報が増えるのは歓迎で

    WANオープニングイベントに出て - ふぇみにすとの論考
  • 曇天、でも晴れるか、雨っぽいな - finalventの日記

    昨晩は事がステーキだったのでワインを少し飲んだ。このところ寝る前に乾きをいやすようにビール小瓶を一つ飲むが習慣的になりそうなので、やめてお茶でも飲んだ。寝付かれないだろうと思ったが、早々に寝てしまったようだ。 朝起きると、うひゃまた全身筋肉痛。身体は疲れていたのか。前回ほど痛くはないが、なんか歳かな俺とか思うが、朝立ちは良し。 若いフリもできる歳ではないがそう身体が老いてもいない。心の老かたはなんとも微妙だ。うまく言えないが、恋のような狂気ではなく、静かに人を愛したり、あるいは世の中できるだけ平和であってくれ(私は消極的な平和主義だよ)と思う思いのなかにこの世にあることの切なさというか老いがあるな。 さて目が覚めて、と、ケータイでfeecleにアクセスし、起床、とでも書こうかと思ったらメンテらしい。なんか少しさみしいような感じもした。みんな起きたかぁ月曜日。 ぼんやりとネットを見るが、さ

    曇天、でも晴れるか、雨っぽいな - finalventの日記
  • ネットの言論はクズ - finalventの日記

    ⇒切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる ま、そりゃ、ネットの言論はクズでしょ、またーり、みたいにも思うのだが、言論とかいうときのスコープが違うのな。非モテとか非コミュとか、俺くらいの歳のフツーの男とかから見ると、別に情報業界場末の中小企業社長さんにぶいぶい美学を語らせるまでもなく、バカじゃねーこいつらってことになる。で、ま、端的にネット側から応答すると、爺、氏ね、つうことになる(そして俺も爺だ)。そのあたりのズレの全体構図がわかってないとネット言論の持つ潜在的な意味はよくわかんないですよ。ってか、補助線的に言えば、吉隆明が80年代にマスイメージ論あたりでサブカルチャーを文学と同一地平に置いたあの柔軟性みたいなものが、今、ネットの言論で起きているのに気がつかないやつ、ゆっくり寝ていてください、というか、言わなくても安眠しているげ。ま、俺くらいの歳で

    ネットの言論はクズ - finalventの日記
  • 社会システムとルール社会を越えていくもの: 極東ブログ

    世界と「私」はどのような関係にあるのか。その関係はどのように変遷し、今、どう変わろうとしているのか、といった、青臭いネタを書く。話を簡素にするために、叩き台的に哲学者竹田青嗣「『自分』を生きるための思想入門」(参照)を使うが、話の筋は竹田の議論にそれほど依存しなくてもいい。ただ、その場合は議論が煩瑣になるというくらいだろうと思う。 同書については、ちょっと哲学志向のある高校生や大学生は読んでおくとその後人生が楽になるかもしれない。哲学プロパーな人は些細な点でいろいろひっかかえって途中で放り投げてしまうかもしれない。竹田の著作史的には、初期の現象学とこの時期特有の橋爪大三郎との交流の影響がある。それでも書の大枠は比較的近著「人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)までの射程を持っている。というか、むしろ先の書のほうが竹田思想のコアが見やすい。 まず古典的な世界象は未だ国会

  • システム・スルー力の副作用 - finalventの日記

    以前、システム・スルー力のことを書いた。すごく簡単に言えば、小さい声はなんであれ無視しちゃっていいということだった。 たとえば、エントリやブロガーに対して、罵倒とか批判というのがあるとする。その罵倒や批判の声が小さいとシステム的に判定できたら、それはスルーしちゃっていいということだし、スルーしたほうがいい。(なお、イナゴなどはシステムに最小化できるだろう。) では、もしそれが質的な批判であったらどうか? たとえばシステム・スルー力は、逆に、叔母かな話もスルーできないくらいに膨らませる機能がある。それらは、スルーしないで考慮すべきなのか? ここで私は自分でもアレだなと思うが。 やはり、同等に扱っていいのではないか。つまり、質的な批判も声が小さければ無視していい。叔母かな話でも声が大きければ聞くべきだ。 問題は、その声の大きさ、でもある(すべてではない)。 昨今の柳沢厚労相叩きもマスメディ

    システム・スルー力の副作用 - finalventの日記
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