新年度なので、ご自分のアイコンをどうやって決めたのか教えてください 自作ですか?他作ですか? 版権なら、作品名とキャラクター名もお願いします
一年くらい前に追い詰めらた気持ちで増田に書きなぐった。 どうしても長女を愛せない http://anond.hatelabo.jp/20160425151154 あれから、頑張ろうと思ってたけど駄目だった。 長女がやったある行動がわたしへの嫌がらせにしか思えなくて、 どうしてこういうことするの?と聞いた。ちゃんとその行動を取った意味を教えてほしかった。 それなのに不貞腐れた顔をして下を向いたまま黙りこくってる姿に腹がたって、 そんなにお母さんを困らせたいのか、お母さんに嫌がらせして楽しいのかとちょっときつめに聞いてしまった。 今度は泣きながらごめんなさいと言う。その瞬間、かっとなってとまらなかった。 ごめんなさいじゃなくて、なんでそうしたのか聞いてるのがわからないのと怒鳴りつけてしまった。 それでもごめんなさいしか繰り返さない長女に、だから何でやったんだって聞いてるのにとその場にあった物を
広告やCMなんかでたまにある、実写の顔が大きく加工された女優やモデルを見ると、勃起が止まらなくなる。とにかく、顔(頭)が不自然にでかくなった美女が好きだ。どうもそういう特殊な性癖らしい。原因はわからん。 原因がわからんので、うまく人に説明することができない。物心ついたときからそうだった。気がつけば雑誌広告、新聞広告のスクラップ、テレビCMのエアチェックが日課になっていた。日課といっても好みの広告と出くわすのは年に数回だが。最近はYouTubeがあるから便利だ。生まれる遥か前のCM動画、または世界各国のCM動画を漁りながら、未知の世界を開拓している。 そんな人、自分のほかにいるんだろうかとか、普通の生身の女性に恋はできないんじゃないかとか、ずっと不安を抱えて生きてきたが、5、6年前あたりから、似たような趣味のある人が外人ばかりだがちらほらと見かけるようになり、どうやらおかしいのは自分だけでは
やれ親孝行は生きているうちにしかできないだとか、両親にみんなでプレゼントをしようなどという話を突然押し付けてくるようになった。 挙句の果てにどこから拾ってきたかもわからない”母を亡くして初めてわかること”みたいなメッセージを送りつけてきた。 そこにはおせっかいが愛情だと気づく内容や、喪失感、母親が死んでしまう現実を直視できないといった内容が並んでいる。 だけど一つ言いたい。 あなたはさっさと親をわたしに押し付けて一人家を出て遠くで暮らしていたではないか。 そこで家庭を作って一生懸命に生活していたことは知っている。それなりに沢山の苦労もしたことだろう。 だけどそのせいでわたしは未だに親元をつかず離れずでずっと親の面倒を見続けてきたのだ。 あなたがいなくなってから少なくと10年以上親と暮らしていたのはあなたがろくに連絡もよこさなくなったからだ。 「親の面倒を見るのは子供の仕事」そう言い聞かせて
それも何人か。 気づけば頭のなかでその人のことを考えてイライラしてたりする。 正直、今まで現実で人を嫌いになった経験があまり無いので、なぜネット上の人物にこうも嫌悪感が持てるのか自分でも不思議でならない。 何がだめなんだろうか。ネットは嫌悪を増幅する何かがあるのだろうか、それとも相当その人がクズなのだろうか。 よくよく考えれば、現実で特定の人物を嫌いになっても、その人となりを知っていくにつれて、許せるようになった例が結構ある。 ネットだと、一種の人間味というか、そういうものが見えにくいから、嫌悪をキープできるのだろうか。 2chとか増田で特定人物に粘着する人を、今までは傍観できていたのだが、一歩間違えば自分もそちら側に堕ちてしまうような気がして恐ろしくなる。
自分は仕事に行くときはコンタクトで、家に帰ってくると眼鏡で過ごしてる。 あるとき、5才の娘に「ママは、メガネかけたパパかっこいいっていってたけど、わたしはメガネないパパがかっこいいと思うの」と言われた。 奥さんは割とさっぱりしてるというか淡々としているタイプなので、そんなことを娘に言っていたのかと思うとものすごく嬉しい。 あと、娘がコンタクトの方がかっこいいって言ってくれたのにもときめいた。 しかしとっさに上手い返事が出来ず、「へぇ」みたいなスカした返事をしてしまったら、娘が口を尖がらせながら 「パパはどっちにしてくれるの?」 と言ってきた。 いやいや究極の選択すぎやしないか。 っていうかそんなこと聞く?小悪魔?うちの子将来男を手玉に取りまくったりしない?!とか一瞬でいろいろ考えてしまって、結果、 「パパは娘ちゃんのことも大好きなんだけど、でもやっぱりママに1番かっこいいって思ってほしいか
端的に言って大学に行きたくない。 自分が興味があったり、研究をしたい分野の基礎を固めるために大学に来たはずなのに、それ以前の、いわば教養課程(それも、自分の興味のある分野と関係ない科目)の講義に出て単位を取るのが苦痛でしかない。 英語なんかはまあ将来使うだろうし何とかこなしてるつもりだけれど、第二外国語を学ぶのが嫌になった。 前期は真面目に講義に出て、ノートを取って、単位を取ってきたが、後期になって急に出席することができなくなった。 寒いし、硬い椅子に座って、分野に関係ない上に興味の湧かない話を聞いて、必死こいてノートを取るのがつらい。 たぶん4年で卒業するのは不可能だ。 親から電話がかかってくるようになったし、はっきり言ってつらい。 講義に出るより、図書館で本を読んだり、ふらっと観光や旅行に行ったり、サークルのみんなと集まってわいわいやる方が楽しいに決まっている、という思いが日に日に強く
家を買いたい、という人の気持ちがよくわからない。 家を買ったほうが得か、借りたほうが得かという経済的な問題は措いておく。 経済的な理由は何であれ、とにかく家が欲しいという人がいる。 いわく、「自分の理想の家を実現したいから」だと。 理想を持つことはいいだろう。 その理想が物理的な形を取りうるから、家が欲しいんだろう。 私には、そういう夢はひとつもない。 物理的な家はどうでもいい。 たいていの家に快適に住む自信はある。 私にとっては、家の形や立地はどうでもいい。 誰と一緒に住むか、というほうがよほど重要だ。 だから、大勢の他人と一緒に住めるシェアハウスが気に入っている。 まあ、ハウスによって雰囲気は皆違うから、自分にとって快適なときもあれば、そうでないときもある。 ただ、たまたま面白いメンツと一緒に住めたときは、本当に最高だ。 たとえ家がボロでも、気の合う人たちとの気のおけない会話には代えら
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