なんど催促されても払わないでいたら、激怒した坊主がじいさんの戒名を「禿」にしやがった。 戒名なんぞありがたくもなんともないし、俺にとってはそれだけの話だったのだが。 その後俺の昔馴染みを中心に、「うちも『禿』でお願いします!」と頼むのが流行ったらしく、 結果としてその坊主は、戒名料無料でお経を読んでくれる坊主として引っ張りだこになったとか。 今では前からあった3つのコースの他に、格安の「禿コース」というのがあるらしい。
突然、昔どっかの2chまとめサイトで読んだ『甘い玉子焼き』の話を読み返したくなったんだ。 で、ググったわけ。『玉子焼き 2ch いい話』とかで。 そしたら、見つからないの。 いや、正確に言うと、最初の部分はすぐに見つかった。 (http://1yoshi.zero-city.com/html/imototamago.htm) でも完結編がね、どうしても見つからない。 やっとの思いで途中まで載せてるサイトも見つけたんだけど、尻切れトンボ。 (http://mkt5126.seesaa.net/article/2426516.html) あの話はね、ちゃんと最後まで読まないと価値半減だと思う。 「お母さんが死んだって、はじめたわかった。」妹は、そう言いましたよ。 ってくだりを読まないで、 「おかあさんのりょうりのほん」で終わる話だと勘違いしてしまってる人、いるんじゃないかな。 もったいない。あ
「オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。 『フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。 しかしヨーロッパではほとんど知られていなかった。 もとは1872年発表のイギリスの童話だが、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いている。 なにしろ、帝国同士の争いが激しかった19世紀。 イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。 「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」 こんなことをずらずらと書いているのだ。 ベルギーを始めとするヨーロッパで人気が出るわけがない。 その上、本家イギリスでは、運命に抗わずに教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。 結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ
たいていの兄弟の例に漏れず、長男の僕は叱られてばかりで、弟には両親は甘かった。 それはまあいいんだけど、両親は僕にこう言ったんだよ。 「お前は人に「好き」と言われることは才能は無いから、代わりに「ありがとう」と言われるようになりなさい。」 「大きな声を出すことですっきりする人もいるんだから、叱られてばかりのお前にも、価値があるんだよ」 今になって考えなおすと、小学生に仏の教えを説くくらい無茶な話だと思う。 さりとて、その時はとくに嫌な気持ちは起きなかったので、それでグレたりはせず、むしろ従順にその教えを実行してきた。 おかげで、学校の成績はずっとよかった。 弟とも仲はいい。 このあいだ30歳になった。 時々、僕は人に愛されることがない人間なんじゃないかって思うことがある。 本当は、みんな自分のことを煙たがってるんじゃないかと。 ありがとう、と言ってくれるけど、便利な奴としか思われていないん
増田に書き慣れない公立高校教員だ。若いつもりだったがもうすぐ退職だ。 高校時代の友人で同じく教員になったやつがいる。たしか教員4年目で自殺した。いわゆる「困難校」に赴任してがんばっていたが最後は出勤できなくなって死んでしまった。 いわゆる「燃えつき症候群」だっと思う。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%83%E3%81%88%E5%B0%BD%E3%81%8D%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4 一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した報酬が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満。慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう症状。一種の心因性(反応性)うつ病とも説明される。 極度のストレスがかかる職種や、一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生する。会社の倒産
うちの実家の台所には菜切り包丁しか無かった。 長方形の平ぺったい切っ先のない包丁。 野菜を切るときも、肉を切るときも、魚をさばくときも、母はその包丁一本しか使うことは無かった。 学校の家庭科室にある包丁は文化包丁。 遊びに行った友だちの家の台所で調理する友だちのお母さんが使うのも文化包丁。 外で見る包丁は皆一様に文化包丁で、実家の包丁はなんだか少し違うぞと思っていた。 だからと言ってそれ以上特に考えた事も無く、私は大人になった。 大人になって結婚して、私は自分で包丁を買った。 本当は母と同じ菜切り包丁にしたかったのだけれど、どのお店でもメジャーなのは文化包丁なようで、だからまぁ良いかとそちらを買うことにした。 でもどうして母は菜切り包丁を使っていたのだろう。 使ってみれば文化包丁のほうが格段に使い勝手が良いのは間違いが無い。 生まれて初めて、何故なのか深く考えてみた時、ふとすっかり忘れてい
お金持ちはワンパターンである去年くらいから、仕事柄、お金を持っている人たちと仕事をすることが多くなった。 お金を持っているの基準としては、一生食べるには困らなそうな人たち。具体的には、3億以上の資産を持っている人たち、といえばいいだろうか。もちろん飛び抜けてお金を持っている人もいれば、数億の人もいるのだけど、だいたい3億以上あれば毎日働かないで暮らせるので、私からしてみれば同じだ。 そして、お金持ちと友達になることで、気づいたことがいろいろある。こういってしまっては何なのだが、お金持ちたちは非常にワンパターンなのだ。 貧乏な人たちは多種多様である。すごくおもしろいやつ、変わったやつがいたり、最高にいいやつから、最低に悪いやつまでいろいろいるが、お金持ちはほとんどパターンがない。もちろんこれは絶対的に貧乏の数のほうが多いわけで、数が多いから多種多様であるだけなのかもしれないが、それにしても、
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