ラスティアル=ホークは治療中 @bonnnouji 信長の野望でここまでの一揆が起きたら、一揆鎮圧しつつ、他の武将を牽制しつつ、俵六をどこから集めるか考えつつ、兵士の寝返りも防がなきゃいけない。 って、感じかな? なんにせよ、一手間違うと即終了な状態。 あと、欧州はコレに移民問題も抱えてるんだっけ? 日本も一寸先はコレにならんように x.com/taraba777/stat… 2024-03-08 11:23:31
ラスティアル=ホークは治療中 @bonnnouji 信長の野望でここまでの一揆が起きたら、一揆鎮圧しつつ、他の武将を牽制しつつ、俵六をどこから集めるか考えつつ、兵士の寝返りも防がなきゃいけない。 って、感じかな? なんにせよ、一手間違うと即終了な状態。 あと、欧州はコレに移民問題も抱えてるんだっけ? 日本も一寸先はコレにならんように x.com/taraba777/stat… 2024-03-08 11:23:31
ふくしひとみ @vonchiri ピアニスト/ダンスアーティスト/イラストレーター等「ふくしひとみ芸術文化研究所」代表、日本どうぶつの会CEO、ほくろう(@dot_owl)、ふくしにくたろう(@29shi29taro)、岩手県出身東京在住。弟子の戌一が運営するふくしひとみ公式インスタinstagram.com/fukushihitomi lit.link/fukushihitomi 戌一 いぬいち @inu1dog1 私「『鬼ころし』って安くて飲みやすいんやけど、純米吟醸とか飲み慣れてくると少し物足りんていうか……」 妻「じゃあこれもカクテルにしてみよう」 と言ってカシスとガラムマサラを加えシェイクする妻。 私「ガガガガラムマサラ!?」 妻「飲んでみて」 私「おお!スパイスの強いサングリアみたい!普通にうまいよこれ!」 妻「それはよかった」 私「で、今回の名前は?」 妻「インドの赤鬼」 私
車ないから基本歩いて移動なんだが、なんでこんなに信号長いんだろな。 交差点で斜め向かいに移動しようとすると二回信号渡ることになるわけだけど、それだけで2分+2分くらいの待ちが発生して50メートルくらい先に移動したいだけなのに5分くらいかかっちゃう。 一回だけならまあそれでもと思うのだけど、大きな通りをいくつか渡る必要のあるところだとそれが3回くらい連続する場合がある。そうなるとその向こうの店にいくのはやめとくか、みたいになっちゃうこと結構あるんだよな。だからなんつうか駅前あたりが全部地下街みたいなのになっちゃうのもわかるというか。あれはあれでどの辺いるのかわからなくなっちゃってしんどいんだけどね。
病死説から暗殺説まで死因定まらずまず父・信秀の死因について。 これがハッキリしておりません。 流行り病による病死説や暗殺説、はたまた腹上死や腎虚(じんきょ)など。 現代でもいろいろな仮説が立てられていますが、流行り病ならば、もっとそれらしい記録が残るはずです。 信秀一人が亡くなった程度では「流行」したうちに入らないでしょう。 当時、最も栄養状態や体力が優れていたであろう武家の当主が亡くなるような病なら、一般人や城内の女子供などに、もっと被害が出ているはずです。 そういうときはだいたい何らかの記録が残されますし、地元で神仏や妖怪と結び付けられて、訓戒めいた伝説ができることもあります。 腹上死と腎虚の意味がわからない方は、グーグル先生か辞書サイト等をご活用ください。 ここで説明するのはちょっと^^; 常識的な弟と非常識無礼な兄というわけで、この節では信秀の葬儀でのことが主に書かれています。 若
元和2年(1616年)4月17日は徳川家康の命日。 ご存知、2023年の大河ドラマ『どうする家康』の主人公ですが、この家康さん、誤解を恐れずに言うならば人気がありません。 もちろん完全に嫌われ者というワケではなく、織田信長や真田信繁、あるいは伊達政宗あたりと比べたらの話で、例えばゲームや映像作品などで、なんとな~くイケてない家康を見かけたことはありませんか? しかし、これが海外に出ると俄然評価が変わります。 信長や秀吉より、スポットを当てられるのです。 英国BBCなどでも番組が制作されるほどで、史実に目を向けても【姉川の戦い】や【三方ヶ原の戦い】など、信長や秀吉に負けず劣らずのド派手な合戦歴を重ねています。 そこで本稿では、家康に注目。 彼の生涯75年を、必要な部分は詳細に、しかし同時にスッキリとまとめてみました。 史実の家康はどんな人物だったのか? 本編をご覧ください。
当時としては珍しく、豊臣秀吉と妻の「おね」は恋愛結婚でした。おねは身分の低かった秀吉を天下人へと導いた立役者。しかし、権力を手に入れた秀吉は浮気三昧の日々……。怒ったおねは、秀吉の上司である織田信長に苦情を申し入れました。 そんなおねの怒りを鎮めるために、信長がおねに送った手紙がかっこよすぎるんです!信長の手紙はほとんど現存していないため、その内容は信長の人柄を探る貴重な資料。どんなことが書かれているのか、さっそく見ていきましょう! 秀吉の正妻、「おね」ってどんな女性? 天下統一を成し遂げた男の正妻は、どのような女性なのでしょうか。 秀吉の正妻「おね」は、大河ドラマなどでは北政所(きたのまんどころ)と呼ばれることが多く、この他に「ねね」や「ねい」という名だったという説があるほか、高台院湖月心公(こうだいいんこげつしんこう)という法名で呼ばれることもあります。 おねは杉原定利と朝日殿の次女と
「鬼滅の刃」が絶好調だ。 あえて説明する必要もないが、劇場版の興行収入がえらいことになっていたり、単行本の売り上げがドえらいことになっていたり、最終巻を求めて長蛇の列ができたり、めちゃくちゃ転売されたり、わけわからんコラボグッズが出たり、とんでもない状況だ。 見ると、町ゆく子どもたちのマスクまでどこかで見たような柄のものになっている。 これはもう社会現象と言っても過言ではないのだろう。 この「鬼滅の刃」はすごい。 たぶんどえらい作品だ。 そんなもの詳しくなくても分かる。 ただ、「たぶん」と表現しているのは、実はまだ観たことがないからだ。 そう、僕はこの作品に全く触れていないのだ。 原作も見てなければアニメも見ていない。もちろん劇場版も見るつもりはない。 やはり、たとえ末端といえども文章を書いたりして表現活動をしている者として、こういった作品は必ず抑えておく必要がある。 社会現象は多くの人に
「下克上って頻繁にあったの?」「討ち取った首ってそのあとどうするの?」えっ…そこから?! なんて言わないで! 歴史の知識ほぼゼロな和樂web編集部スタッフが、ず〜っと気になっていた戦国時代の疑問を、歴史のプロに聞いてみました。 回答は、和樂webのライター・辻 明人さん。質問は、和樂web編集部(コパ子、きむら、とまこ)です。 辻さんを取り囲む3人。左から、兜をかぶっているのがコパ子、紺色の羽織を着ているのがきむら、右の赤い羽織を着ているのがとまこ。3人とも歴史に関しては、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康をなんとな〜く覚えているくらいの知識量。 【辻 明人さん プロフィール】 東京都出身。出版社に勤務。歴史雑誌の編集部に18年間在籍し、うち12年間編集長を務めた。編集部を離れるも、いまだ燃え尽きておらず、noteに歴史記事を自主的に30日間連続で投稿していたところ、高木編集長に捕獲される。「歴
リンク kyoko-np.net 2mのロングバトンも コロナ禍で「新しい運動会」 マキャベリ小 新型コロナウイルスの感染が収束する兆しを見せないまま、小中学校ではまもなく秋の運動会シーズンがやって来る。今年はコロナ禍を理由に開催を見送る学校も多い中、感染に配慮した「新しい運動会」を模索する学校がある。.advert { font-size: 10px; color: #dedede; }... 92 users 2602
長い戦国時代でも天正10年(1582年)は激動の年。 特に織田信長にとっては天下取りが見えて来たターンでした。 ※以下は織田信長の生涯をまとめた記事となります 甲斐の名門・武田氏が滅亡。 上杉氏の命運もいまや風前の灯火。 毛利氏は羽柴秀吉(豊臣秀吉)が攻略中。 北条氏も遠からず降るだろう――。 よって……。 「最近俺らいい感じだよね。っていうか、武田も滅ぼして絶好調じゃね? それもこれも長年頑張ってくれた家康くんのおかげだと思うんだよな、ウンウン」 彼がそう考えたとして、何の不思議がありましょうか。 織田信長は武田氏滅亡を祝うため、同盟相手の徳川家康を相手に精一杯のおもてなしを考えました。 大河ドラマ『麒麟がくる』や『どうする家康』では、信長が光秀をぶっ叩く!という衝撃的な場面が印象に残りましたが、実際のところ信長も丁重に家康を迎えたようで。
誰よりも早く戦場に駆けつけ、誰よりも危険を顧みない――。 織田信長には、危険な場面が幾度かありますが、「本当に殺されてもおかしくなかったんでは?」という切迫した場面は連続して起きるのだからフシギなもの。 それが
日本史のみならず世界史を見渡してみても、この男以上に出世した人物はおらず――。 そう思わせてやまないのが慶長3年(1598年)8月18日に亡くなった豊臣秀吉。 大河ドラマ『どうする家康』ではムロツヨシさんが演じて話題となっているが、史実でも織田信長に仕え、天下人になったサクセスストーリーは輝かしいばかりである。 しかし、同時にその出自や幼少期については、多くのナゾに包まれている。 墨俣城の伝説に始まり、中国大返し、山崎の戦い、文禄・慶長の役など……。 今なお燦然と輝く戦国末期の功績は、いかにして成し遂げられたのか。果たしてどこまで本当なのか? 太閤となった男の生涯62年を振り返ってみよう。 ※太閤とは「摂政や関白だった人物」の尊称
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