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大躍進に関するgui1のブックマーク (45)

  • 毛沢東の大飢饉 フランク・ディケーター著 - 日本経済新聞

    「一九五八年から六二年にかけて、中国は地獄へと落ちていった」で始まる書は、大飢饉(ききん)の中の中国の悲劇を余すところなく抉(えぐ)り出す。文中の人肉カニバリズムに悲劇が凝集されている。タブーではなくなったのだろう、最近では中国の有力な研究者も大躍進による「非正常な死」について堂々と発言し出した。リベラル経済学者、茅于軾(北京天則経済研究所)は、自分のブログで毛沢東の誤りを徹底的に批判、

    毛沢東の大飢饉 フランク・ディケーター著 - 日本経済新聞
  • 毛沢東時代の大飢饉は仕方なかった? 中国の歴史修正主義

    10月16日付米ニューヨーク・タイムズ紙は、Chris Buckley同紙記者の解説記事を掲載し、毛沢東生誕120周年を前に、中国では、大躍進の際の死者数を過小評価し、毛沢東の政策のせいではなく、自然災害で仕方なかったとする動きがあることを伝えています。 すなわち、1958年~1962年に中国を襲った飢饉は、2000~3000万人の犠牲者を出した史上最大の大惨事と言われ、毛沢東時代を決定づける災難の1つである。以来ずっと、中国共産党は、共産国家の創設者への崇敬の念を維持するため、この惨事を、検閲や婉曲表現で覆ってきた。 しかし、12月26日の毛沢東生誕120周年を前にして、毛沢東支持者や党の論客達は、長い間の公の沈黙を破って、彼らなりの解釈で被害程度を下げ、反対する歴史家を攻撃し始めた。彼らは、飢饉によって数千万人の死者が出たことを否定する。 党の機関紙「環球時報」は、数学者の言葉を引用し

    毛沢東時代の大飢饉は仕方なかった? 中国の歴史修正主義
    gui1
    gui1 2020/10/01
    共産党って人をたくさん殺すよね(´・ω・`)
  • 中国雲南省で数十年で最悪のバッタ食害 食糧安保に影響も(NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    中国南部の雲南省では過去数十年でも最悪のバッタによる物被害(蝗害)に悩まされている。一のトウモロコシに30~40匹のトノサマバッタが張り付き、数分でトウモロコシの実や葉っぱがいつくされてしまい、山の中の竹や木なども丸裸にされているという。 これらのバッタは隣国のラオスで大量発生したもので、急峻な山岳地帯を上り、国境を越えて雲南省に侵入。雲南省の地元政府は8月初旬、ドローンなどを使って殺虫剤を散布するなどして1週間で数百トンのバッタを駆除したが、8月末現在、大量のバッタがラオス側から押し寄せており、このままでは雲南省や近隣の中国の農村部の穀物をい尽くすことが懸念されている。中国メディアが報じた。 雲南省江城県政府の発表によると、トノサマバッタの群れは6月下旬からラオスとの国境を越えて中国領に入っており、その後も8月下旬まで大量のバッタが出没し続けている。このままだと、この勢いは9月以

    中国雲南省で数十年で最悪のバッタ食害 食糧安保に影響も(NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
    gui1
    gui1 2020/09/08
    雀さんを取り尽くしたらあかんてなんどいえば(´・ω・`)
  • 大躍進(だいやくしん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    「毛沢東(もうたくとう)思想」に基づく中国の急進的な社会主義建設の試み。1958年後半の中国が社会主義建設の総路線、大躍進、人民公社という国内建設の三つの目標を同時に遂行しようとして掲げた「三面紅旗」のスローガンによっても知られている。 この政策は、「衆人こぞって薪(たきぎ)をくべれば炎も高し」という諺(ことわざ)を引いて推進されたとおり、そして当時「15年でイギリスに追い付き追い越せ」という国家目標が提示されたことにもみられるように、経済的に立ち後れている中国であっても、労働力(人間資)の大量投入による人海戦術的な方式をとれば、生産力は急速に発展し、生産は飛躍的に増大する、というものであった。こうして「大いに意気込み、つねに高い目標を目ざし、より多く、より早く、より経済的に社会主義を建設する」という「社会主義建設の総路線」が精神的原則として提起され、1958年夏に出現した人民公社が農村

    大躍進(だいやくしん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    gui1
    gui1 2019/05/25
    平凡社さんの記述がひどすぎるな(´・ω・`)
  • 文革50年、語られぬ「人肉宴席」 中国

    中国南部・広西チワン族自治区武宣の市街地を歩く女性(2016年5月8日撮影)。(c)AFP/GREG BAKER 【5月13日 AFP】中国では文化大革命(Cultural Revolution)の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいた。しかし、文革開始から50年を迎えた中国共産党は、当時の回想も、文革そのものや残虐行為についての歴史的評価も、包み隠そうと躍起になっている。 文化大革命は、大躍進政策(Great Leap Forward)で失敗し政敵打倒をもくろむ毛沢東(Mao Zedong)の主導で1966年に始まった。全土で暴力行為や破壊行為が10年続き、党主導の階級闘争は社会的混乱へと変貌していった。まだ10代の紅衛兵(Red Guards)たちは、「反革命的」だとして教師を撲殺。家族間で非難の応酬が起き、各地で激しい派閥争いも発生した。 だが、かつて毛沢東につい

    文革50年、語られぬ「人肉宴席」 中国