バブル経済が全盛だった1989年から5年間日銀総裁を務めた三重野康(みえの・やすし)氏が15日、心不全のため東京都内の病院で死去した。88歳だった。連絡先は同行政策委員会室秘書課。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長男で、元シンキ取締役の隆氏。大分県出身で、47年東大法学部卒業後、日銀に入行。早くから総裁候補の「プリンス」と目され、企画課長時代の65年には、経営危機に陥った山一証券を「
バブル経済が全盛だった1989年から5年間日銀総裁を務めた三重野康(みえの・やすし)氏が15日、心不全のため東京都内の病院で死去した。88歳だった。連絡先は同行政策委員会室秘書課。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長男で、元シンキ取締役の隆氏。大分県出身で、47年東大法学部卒業後、日銀に入行。早くから総裁候補の「プリンス」と目され、企画課長時代の65年には、経営危機に陥った山一証券を「
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