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国難と外交に関するkiyo_hikoのブックマーク (1)

  • 真の狙いは「日英修交」 | 現代の超克

    1856年に締結された日米修好通商条約で日側に不利な点と言えば、「関税自主権の喪失」と「治外法権」、これだけでした。 勿論、当時の世界の金銀比率が1対15なのに対し、国内比率は1対5、そのため大量の銀が流入して金が流出した結果、物価の高騰を招いたのは攘夷的意識を高揚させるに充分でした。 それでも当時の日は出超でしたからまだ救いがあった訳で、阿片のために大入超に陥った清朝(=大清)に比べて遥かに幸運で、当時の中国からは際限なく銀が流出しました。 整理しますと日が蒙った不利益は、 「関税自主権の喪失」 と 「治外法権」 これだけ。 対して阿片戦争に負けた清朝は南京条約だけで 「領土割譲」(香港のこと) 「賠償金の支払い」(2,100万$) 「5港開港及びそれらでの自由貿易」 「治外法権」 「片務的最恵国待遇」 「関税自主権喪失」 「英海軍の中国常駐」 「開港場での租借地取得の権利」 の八

    真の狙いは「日英修交」 | 現代の超克
    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2015/09/07
    "日本が蒙った不利益は、「関税自主権の喪失」と「治外法権」これだけ。…清朝は南京条約だけで…八項目" "なるべく有利な条約を英国と結ぶことが当時の日本に課せられた義務で、そのための「楯」が実は米国でした"
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