<オッサン>というのはどうやって定義できるだろうか、とオッサン予備軍である者として考えることがある。どうなってしまえばオッサンになってしまうのか。いろいろな定義があるだろう。枕からお父さんの臭いが出始めただの、飲食店での出されたおしぼりで顔面をゴシゴシやるのに躊躇なくなったらとか、人それぞれかもしれない。 ここで独断と偏見をもって<オッサン>を定義させてもらうと、それは意識の針がある方に振り切れてしまうことに他ならない。どういうことか。 □ 人はだれしも、<視る私>と<視られる私>とに分裂している。物質としてこの世に存在する以上、だれも<視る私>だけに安住してはいられない。面と向かっている以上は、<視られる私>であることも甘んじて受け入れなければならない。 ここで大切なのは<視る私>と<視られる私>の、その両輪にどのような比重で意識を持つかということだ。これにはおそらくジェンダーバイアスが