能登(のと)は、日本の奈良時代の船である。761年に遣渤海使船になり、帰りの762年に嵐に遭ったが、無事に帰着した。763年に従五位下の位階と錦冠を授かった。 解説[編集] 天平宝字5年(761年)10月、朝廷は渤海に遣使することを決め、22日に高麗大山を遣高麗使に任命した[1]。能登はこの遣使の船として建造されたらしい。このとき藤原仲麻呂より渤海との軍事協定をとりつける命を帯びていたが失敗におわり、大山は船上で病に倒れた[2]。天平宝字6年(762年)10月1日、船は本州に着き、一行は越前国加賀郡で休養をとった[3]。大山の病は癒えず、佐利翼津まで来て亡くなった。 船はふたたび渤海の使者の王新福ら一行を乗せて北陸から出港することになった。その損傷の具合からいったん修理が行われたが、随行するはずの送使・多治比小耳、判官・平群虫麻呂らは渡航をやめ、船師の板振鎌束(いたぶりのかまつか)を筆頭に