ぜんぶの俳句のデータベースです
自由律俳句(じゆうりつはいく)とは、五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに重きが置かれる[1][2]。文語や「や」「かな」「けり」などの切れ字を用いず、口語で作られることが多いのも特徴である[1]。17音より短い作品は短律、長い作品は長律とも言う[3]。定型の意識を保ったまま作られる字あまり・字足らずや句またがり、破調の句などと区別される[1]。また自由律俳句はあくまで定型から自由になろうとすることによって成立する俳句であり、したがって単なる一行詩がそのまま自由律俳句となるわけではない[4]。 歴史[編集] 自由律俳句の誕生を準備したのは河東碧梧桐の新傾向俳句と、それを理論化した大須賀乙字である。正岡子規の俳句革新ののち、碧梧桐は自然主義の影響を受けて個性重視、接社会を説き[5]、五七
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2024年1月) 尾崎放哉 放哉の碑「こんなよい月をひとりで見て寝る」(神戸市・須磨寺大師堂) 尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名:尾崎 秀雄〈おざき ひでお〉、1885年〈明治18年〉1月20日 - 1926年〈大正15年〉4月7日)は、日本の俳人。『層雲』の荻原井泉水に師事。種田山頭火らと並び、自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。鳥取県鳥取市出身。大正15年、4月7日(大学時代の恩師・穂積陳重と同日[1])に南郷庵で死去。死因は癒着性肋膜炎合併症、湿性咽喉カタル[2]。 種田山頭火と並ぶ自由律俳句の雄。活動の場を荻原井泉水の主宰する「層雲」に求め、僧形に身をやつして、貧窮のうちに病没した点でも共通している。 一高俳句会に属し、東大では
愛王丁花伝 @IoT_IPv6 @tutinokugane @TAGN しかも直接的に卑語を語らず、分かる人の脳裏にだけ情景を思い浮かべさせることができる辺りに「奥ゆかしさ」を感じますね。100点です。 2020-09-18 19:35:04
誰でも詠めるのが自由律とは言うけれども。 自由律で知られているのは山頭火と放哉、あとはせいぜい碧梧桐の名前が出れば良いほうだ。ほかに誰の名前が浮かぶというのか。すすんで自由律の句を読もうとする人の数なんて俳句や短歌のそれに比べればホコリのようなもので、だからこそ知名度のある人にいてほしいのだけれど、たとえば平成期で自由律歌人の名前、浮かびますか?正直、初期メン以外で知られている人はゼロなのではなかろうか。 誰でも詠めるのかもしれないけれどもその句を読んでくれる人はほぼいないのではなかろうか。発表しても聞いてくれる人がいないのはどうしたって張り合いがない。仲間内での遊びとしてなら成り立つかもしれないけれど、このままだと自由律俳句の未来は無いんじゃないかな。
暑い中、仕事を終えて、なんやかんやで家に帰ってきて、さっとシャワーを浴びて汗を流して、さあ、今日はビール飲まないとやってらんないわよ、ビールビール・・・と冷蔵庫を探ると、なんと、いつも常備してあるはずのビールが、今日に限ってきれている。「ビールないビールがない信じられない」、まさにこの言葉がそのまま口から出てきたような、そんなスムーズさがある。 「ビールない」で二段目から三段目を探り、「ビールがない」のあたりでドリンクホルダーのあたりを探り、「信じられない」のあたりでは全体をもう一度目視確認しているだろう。 言い募るその勢いが、かなしくておかしい。 ある日のわたしを見ているようである。 第二句集『浮力』(文学の森・2011年5月)より。
短歌未経験の高校生が授業で初めて詠んだ作品が、全国コンクール「~家族を歌う~河野裕子短歌賞」で最優秀賞に輝いた。4月末、鳥取市の県立鳥取東高校を訪ね、話を聴いた。 同校では昨年、現代文の課題で1年の生徒約80人が短歌を作った。担当教諭で歌人でもある荻原伸さん(48)の指導で、全員が同賞などに応募したところ、中学・高校生による「青春の歌」部門(応募1万3256件)で現在2年の石名萌(いしな・もえ)さん(16)が最高の河野裕子賞に輝いた。 「干からびたカエルをよけてすすみゆくばいばい、わたしは夏をのりきる」 石名さんが短歌に詠んだのは、自転車で登校中に見た道端で死んだカエルだ。カエルを気の毒に思いつつ、どうすることもできず通り過ぎてしまう。夏の情景を題材にしようと考えていたとき、この出来事を思い出したという。「生き物が干からびた夏の情景と、自転車で走る疾走感を込めた」 これまで短歌を作ったこと
さよのすけ @sayonosuke 万葉集と言えば、高校の授業で、「お屋敷の若様が、稲つきであかぎれした私の手を、今夜も握って嘆いてくれるの……きゃっ」ってな歌を、先生が「これは現実ではなく妄想でしょうね」と解説したのが、印象深いです。 そんな、仕事に疲れた女の夢小説みたいな歌が1000年後まで残るとか、文字文明怖い。 2019-04-04 21:57:15 さよのすけ @sayonosuke 「稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ」。 この歌、稲つき歌として歌われていた可能性もあるそうで、それって多くの働く女にRTされてめっちゃ拡散されたってことやん。 というわけで、夢女子やリアコ勢は気を強く持ってほしいです。夢小説(歌)は、万葉から続く日本の文化。 2019-04-04 22:04:18
石野 卓球(いしの たっきゅう、1967年12月26日 - )は、日本のテクノミュージシャン、シンガーソングDJ、グルーヴ歌手、音楽プロデューサー。本名は石野 文敏(いしの ふみとし)。愛称は「クリ坊」、「フミトシ」、「卓球さん」。 略歴[編集] 静岡県静岡市(現:同市駿河区)生まれ。小学生の時、縁日で祖母に買ってもらったイエロー・マジック・オーケストラのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に衝撃を受け、あまりに毎日聴きすぎたため母親から『イエローマジック禁止令』を出されてカセットテープを隠されてしまったほど。中学生時代にクラフトワークやニュー・オーダー等の他、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのようなアヴァンギャルドでコアなノイズ等にも傾倒し始め、挙句には勉強部屋で電気ノコギリやドラム缶の音まで鳴らすようになる。この当時、石野の実妹は彼の部屋から聴こえる音がうるさいという内
(笑)をとれ ポエム面白いんだぞ 詩の世界の広がりを愛せないくせに外国人は俳句を絶賛してるみたいな話聞いて喜ぶのも止めろ 学校で詩を読む時に謎の正解を作るのもやだ おれはかまきりとか 私と小鳥と鈴ととか 好きだったけどなんか意見を間違いっていわれるの謎だったし まぁそのうち詩の授業そのものがなくなるわけなんですけど あと深夜に書いたラブレター的な文脈で詩のこと馬鹿にするやつはすりこぎですりつぶしたい まど・みちお読め 金子みすず読め 室生犀星読め 谷川俊太郎読め あと好きだから高階紀一も読め 最近の人だと中家菜津子めっちゃ良いから読め サイレンと犀の岡野大嗣は歌人だけど良いから読め 読んで本当に馬鹿にしていいものなのか確認してこいちくしょうめ
「私は短歌が好きです。一生好きです」 セーラー服姿の女性歌人・鳥居は涙を浮かべてそう口にした。2017年6月29日、短歌界で最も歴史ある「第61回現代歌人協会賞」授賞式の壇上である。 会場内にいるのは、スーツやドレスや和装に身を包んだ、いわゆる“短歌界の立派な人たち”ばかり。その中で、一見すると場違いにも思えるような鳥居だが、違和感を覚える者はほとんどいない。鳥居の短歌界での功績や、歌人としての実力、そして成人してもセーラー服を着続けている理由を、多くの人が知っているからだ。 鳥居の半生は、よく“壮絶”という言葉で表される。しかし、それは決して真実ではない。ほかに適切な言葉がないために「壮絶」と用いられるだけで、実際はもっと、もっと、辛くて悲しい。いったいどのようなものだったのだろうか。 学校から帰ると、母が倒れていた 鳥居は舞台女優の母と、脚本家を目指す父の間に生まれた。しかし、鳥居が2
旭川河畔に立つ顕信句碑 住宅 顕信(すみたく けんしん、1961年3月21日 - 1987年2月7日)は、日本の俳人。本名・住宅 春美(すみたく はるみ)。 経歴[編集] 岡山県岡山市に生まれる。岡山市立石井中学校卒業。1976年4月、岡山市内の下田学園調理師学校に入学。同時に就職し、昼は勤務し夜は通学という生活に入る。4歳年上の女性と知り合い、同棲を始める。この頃より詩、宗教書、哲学書に親しむ。1978年3月、下田学園卒業。1980年、父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。 仏教に傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を「釋顕信」と名乗る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土教の根本経典「無量寿経」にちなみ、
自由律俳句、特に無季自由律俳句は、「ただの文じゃん」「俺でも書ける」という批判にさらされることが多い。 韻文をかじった人の中には自由律に対しても理解がある人が多いが、それは詩の文脈に自らを置いているからいわば「詩をかぎ分ける嗅覚」のようなものが育っているためで、その手の文芸に触れる機会の少ない大多数の人にとっては自由律俳句がただの短文だと勘違いされるのも無理からぬ話である。 しかし、はっきりと言っておきたいのだが、自由律俳句は俳句である。 ◇ 俳句を俳句たらしめているものは何だろうか。 ・5/7/5のリズム ・季語 ほとんどの人はこの2つを挙げるだろう。 ところで、もともと俳句は"連歌"という七五調の言葉をつなげていく遊びの"発句"つまりしりとり遊びで言うところの「俺からいくよ! じゃあ、しりとりの"り"!」という口火を切るための気軽な韻文詩が独立したものだ。 5/7/5の定型は、いわばそ
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