君民同治の理想追う 「総(すべ)ての覚めたる田園の青年は行き詰らざるをえないのです」。日露戦後、地方に住む若者が中等教育を経た後に地元での生活を選ぶとする。共同体のしがらみの中で生きる「知識層」の一員となる。都会への希望を捨てねばならない鬱屈(うっくつ)感もあるが、地域の将来を担う責任感もある。文学に目覚め、恋に恋したりもする。 そうした「地方青年」が次々に登場した大正初期、第一次憲政擁護運動が桂太郎内閣を打倒した大正二年(1913年)に発刊された雑誌が、『第三帝国』である。表題の意味するところは、明治以前の封建制という「第一帝国」、明治官僚制の支配する「第二帝国」の次に、君民同治の「第三帝国」を建設すべきだという主張である。他誌と異なり、前金制による購読の仕組みをとり、地方青年が回覧できるよう意識する。投書欄を充実させ全国に地方支部を設置し、読者のネットワーキングを図る。新社屋を神保町に