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神奈川と歴史に関するseven_czのブックマーク (3)

  • 自警団事件の真相を探る|筑摩選書|佐藤 冬樹|webちくま

    東大震災直後の朝鮮人・中国人虐殺事件から100年を迎えた今年、様々な追悼行事が行われたが、いっぽうで事件そのものを否定するかのような言動も目立った。筑摩選書『関東大震災と民衆犯罪』の著者にあらためて、書執筆の意図とこの間の動向をどう見るかを尋ねた。 1.「死者をふたたび殺す」松野官房長官発言 Q 関東大震災百周年の今年、政府高官が朝鮮人虐殺事件を否定するような発言が相次ぎました。8月30日には松野博一官房長官が「事実関係を把握できる記録が、政府内に見当たらない」と発言しました。政府の姿勢に対してどのように感じますか? A 松野博一氏は、千葉県立木更津高校の出身です。震災直後、あの町では数百名の自警団が、警察署に収容中の朝鮮人を引き渡せと叫んで騒乱をくり広げました。1923年9月3日から実に3日間にわたっての事件でした。5日には日刀や棍棒、鳶口で武装した自警団が、木更津駅前の巡査派出所

    自警団事件の真相を探る|筑摩選書|佐藤 冬樹|webちくま
    seven_cz
    seven_cz 2024/01/11
    “民衆犯罪をリードしたのは…消防組です。自警団員に占める消防組員の割合は、東京と千葉、埼玉で六割”、“震災の数年前から警察は「民衆の警察化」政策を推進、消防組に米騒動のような民衆暴動を鎮圧する役割を”
  • 明治の道だけを歩いて江ノ島を目指す

    「今昔マップ」というwebサービスがある。明治以降の古地図と現在の地図を並べて表示できるというもので、各時代における土地利用の変遷を知ることができる、とても面白く為になるサイトだ。 私は夜な夜な昔の地図と今の地図を見比べてニヤニヤしていたりするのだが、そんな折にふと思った。現在まで残る明治の道はどれだけあるのだろう。例えば歩いて一日ぐらい掛かる距離の目的地を設定し、そこまで昔の道だけを歩いて辿り着くことはできるのだろうか。 その疑問を解消すべく、私が住んでいる神奈川県の中央部から出発し、明治時代の地図に記されている道だけを辿って県南の江ノ島まで行くことができるのか、試してみた。 *この記事に使用している地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。 *「今昔マップ on the web」の地図は、国土地理院発行の5万分1地形図、

    明治の道だけを歩いて江ノ島を目指す
    seven_cz
    seven_cz 2018/11/24
    古い道を辿れば歴史に出会える、ちょっとした目から鱗感を味わえる記事。
  • 『小田原の地名の由来 こゆるぎ』

    小田原の駅弁に こゆるぎ弁当、こゆるぎ茶飯というのがあります。 こゆるぎとは何かについては そのパッケージに書かれています。 こゆるぎ”と言う名称は、神奈川県(昔の相模国)に現在三か所あります。 その一つに大磯より西河岸一体を「こゆるぎの磯」と言い、 その沿岸沿いを「こゆるぎの里」と称しております。 また一説によりますと、小田原という地名がどんな語源から起きたものなのか、 古くから種々の議論がありますが、「小由留木(こゆるぎ)」の文字を、 草書体に書いたのを読み誤って起きたのだそうです。 小由留木を草書で書いてみますと、 左が原。 右が 留と木。連綿体で書いたら確かに似ています。 なるほどね。 読み間違えたというより わざと換えたのかもしれない。 なぜなら、こゆるぎとは 「揺れる土地」を意味しているから。 のどかな語感ですが、 地勢を正しく表しているのです。 さっき地震があって揺れましたね

    『小田原の地名の由来 こゆるぎ』
    seven_cz
    seven_cz 2017/06/13
    (2015年3月記事) 小田原の地名の由来が「こゆるぎ」の連綿体からという説について。書体の画像が見事で納得感すごい。
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