時期が迫りつつある衆院選に、世襲候補が続々と名乗りを上げている。公党の重職にある後期高齢者も、息子に選挙地盤を継がせようとする動きを見せている。この政治家の世襲という「家業」形式に、日本人はあまりにも寛容でありすぎないだろうか。 地元の強固な支持基盤や、ブランド、もちろん資金調達のツテなど、親からそっくり受け継ぐような候補者に、「社会はこのままではいけない」と問題意識を持つ立場の候補者がどうあがいても対抗できる可能性は低すぎる。公平な選挙であるべきだという前提があれば、有り得ない話ではないのか。 最近では、落語界にも2世、3世の噺家(はなしか)が増えてきた。もともと世襲制の芸能ではないけれど、昔は継いでもうまみのない職業だった。上方落語が衰退した時期に、親の思いを継いでその世界に苦しい生活覚悟で飛び込んだ6代目笑福亭松鶴や3代目桂春団治という人たちもいたが、今では名跡を継ぐ子どもは花形扱い