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女優・木内みどりに関するvox_populiのブックマーク (62)

  • この国に、女優・木内みどりがいた:いてくれて、ありがとう/52(最終回) | 毎日新聞

    木内みどりさんへのインタビューを初めて記事にする際、「肩書は『俳優』にしますか、それとも『女優』にしますか」と尋ねると、「私は『売れない女優』だから、『女優』にして」との答えが返ってきた。この国で、どんな存在だったのか。6人から話を聞いた。【企画編集室・沢田石洋史】 来春、都内で出演作品を特集上映 木内さんと30年以上親交のあるプロデューサーがいる。テレビ番組や映画を製作するドキュメンタリージャパンの橋佳子さんだ。プロデュースした映画作品をいくつかピックアップすると、「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90歳」(2012年、長谷川三郎監督)、「FAKE」(16年、森達也監督)、「いしぶみ」(16年、是枝裕和監督)、「沖縄スパイ戦死」(18年、三上智恵監督)――などを挙げることができる。現在、「芸術家 今井次郎」が各地で順次公開されている。 来年のゴールデンウイーク(4月30日~5月6

    この国に、女優・木内みどりがいた:いてくれて、ありがとう/52(最終回) | 毎日新聞
    vox_populi
    vox_populi 2023/11/20
    これが連載最終回だったか。終了後1年半余りたった今ごろようやく知った。
  • この国に、女優・木内みどりがいた:一人娘から見た母親の姿 /51 | 毎日新聞

    木内みどりさんは一人娘の頌子さんが子どもの頃、「塾に行きたい」と言うと、「どうして行きたいの? みんなが行くからってだけで塾に行っても何のためにもならないよ」と言っていたのだという。必ずしも大学に行く必要はないし、会社だって辞めたくなったら辞めていい――。「世間の常識」とは異なる考えの持ち主だった。【企画編集室・沢田石洋史】 お茶の間で有名な赤ちゃん 1989年に頌子さんが生まれた時、テレビの情報番組や女性誌などは、当時38歳だった木内さんの「高齢出産」に沸いた。女性誌の見出しをいくつか抜粋すると――。 「高齢出産、恐るるに足らず! 木内みどり 超スピード! 超安産で女児誕生 3530グラム」(女性セブン、89年6月15日号) 「木内みどり 陣痛のさい中に洗たくもした! 産後13日で復帰のタフネスママ」(女性自身、89年6月27日号) 「木内みどり 猛烈に痛かった出産。13日目には収録開始

    この国に、女優・木内みどりがいた:一人娘から見た母親の姿 /51 | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた:浅田美代子さん「とにかく、カッコイイ人」 /50 | 毎日新聞

    木内みどりさんに「俳優仲間で親しくしていた人は誰ですか」と聞いたことがある。その一人が、映画「エリカ38」(2019年公開)で共演した浅田美代子さんだった。この2人には、共通点がある。「俳優」としてではなく「個人」として、社会を変えていきたいと強く願い、行動する力を持っていることだ。【企画編集室・沢田石洋史】 「木内みどりの小さなラジオ」に出演 木内さんは浅田さんが長年続けている動物愛護活動に大きな関心を寄せていた。18年にスタートさせたウェブラジオ「木内みどりの小さなラジオ」の7回目の対談相手として、浅田さんに出演を依頼。浅田さん宅を訪れて収録された「台のないおしゃべり」では、聞き役に徹して浅田さんの音を引き出している。浅田さんは当時、殺処分の寸前だったり、虐待されたりしていた計4匹の犬(現在は3匹)を引き取って一緒に暮らしていた。対談で浅田さんはこう語っている。 「一緒に暮らしてい

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  • この国に、女優・木内みどりがいた:反戦・反原発の旗、国を愛するからこそ/49 | 毎日新聞

    女優の木内みどりさんがウェブサイト「マガジン9」に連載していたコラムの最終回(第46回)は、2018年1月31日にアップされた。5日前に92歳で死去した野中広務元官房長官の訃報に接し、その人柄をしのぶ内容だ。友人で人材育成コンサルタントの辛淑玉(シン・スゴ)さん=在日3世=が仲立ちし、3人で一緒に事をした思い出が書かれている。辛さんとは、どんな友情で結ばれていたのだろうか。【企画編集室・沢田石洋史】 辛淑玉さんとの友情の接点 私にとって辛さんは、日社会のゆがみを指弾してきた論客だ。「悪あがきのすすめ」「怒りの方法」(いずれも岩波新書)などの著書が私の棚に並んでいる。被差別部落の出身と公言していた野中さんと辛さんの対談を収めた共著「差別と日人」(角川oneテーマ21)は09年に出版され、ベストセラーに。ヘイトスピーチが横行するようになった13年には「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越

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  • この国に、女優・木内みどりがいた:亡くなる3週間前の出来事/48 | 毎日新聞

    東京都中野区の映画館「ポレポレ東中野」で2011年5月、女優の木内みどりさんは受付に立ち、東日大震災の義援金を募っていた。ここで写真家の田村玲央奈さん(47)は13年ぶりに木内さんと偶然再会し、交流が始まった。脱原発集会やデモを密着撮影した田村さんの目に、木内さんの姿はどう映っていたのだろうか。【企画編集室・沢田石洋史】 写真家、田村玲央奈さんとの交流 連載21回目で短く紹介したが、田村さんは1998年公開の映画「落下する夕方」のスチール撮影を担当し、この映画に出演していた木内さんと出会った。主演は原田知世さん。原田さんが演じる「坪田リカ」は、長年一緒に暮らしていた男性に「他に好きな女性ができた」と言われて去られる。木内さんはリカの母、正枝を演じ、そんな娘を温かく見守る。木内さんの登場するシーンは少ないが、慈愛あふれた演技は木内さんならではだ。田村さんは当時をこう振り返る。 「母子での穏

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  • この国に、女優・木内みどりがいた:桃井かおりさん「深く長く、唯一の親友」/47 | 毎日新聞

    東日大震災を機に生き方を変え、反原発運動に参加した女優の木内みどりさんは、インタビューに「震災後、多くの友達をなくしました。総入れ替えというぐらいです、当に」と話していた。しかし、何人か例外があった。その一人が俳優の桃井かおりさんだ。米ロサンゼルス在住の桃井さんに連絡をとると、「木内みどりは深く長く、桃井の唯一の親友であります」とメールで返事が届いた。【企画編集室・沢田石洋史】 桃井さんの追悼スピーチ 木内さんの死後の2020年2月、東京・六木で開かれた「木内みどりさんを語りあう会」で、桃井さんはこんなスピーチをしている。 「この業界で、みどりさんのように清潔な女を見たことがありませんでした。清潔でシャイ。小心者だけどすごいぶっ飛んだことをやる。跳べる。品がいい。とにかく、正しい人でした。だから、木内みどりがいれば業界のモラルは保てたと思うんですね。もうこれから、ボロボロですよ。みど

    この国に、女優・木内みどりがいた:桃井かおりさん「深く長く、唯一の親友」/47 | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた | 毎日新聞

    「アベ政治を許さない」と書かれたプラカードを国会前で掲げた女優、木内みどりさん。その足跡をたどります。

    この国に、女優・木内みどりがいた | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた:社会を変える「お台所からの革命」/46 | 毎日新聞

    女優の木内みどりさんは、多くの友人らを自宅に招いて事会を開き、「人と人をつなげる」のに一生懸命だった。そして、著名人にも近所の人にも分け隔てなく接していた。そんな姿を友人の高砂雅美さん(57)の話から伝えたい。【企画編集室・沢田石洋史】 木内さんのご近所付き合い 木内さんと高砂さんは、最寄り駅が同じでご近所付き合いをしていた。連載8回目で一部紹介したが、2人の出会いについて加筆して再掲したい。 高砂さんは日語教室の教師として、大使館関係者や企業の駐在員のらに日語を教えてきた。夫の淳二さんは著名な自然写真家で宮城県石巻市出身。2011年3月の東日大震災の直後、友人の紹介で知り合った。最寄り駅でばったり会って、お茶をしたり、互いに事に招いたり、家族ぐるみの付き合いになった。 …

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  • この国に、女優・木内みどりがいた:「長くつ下のピッピ」のような/45 | 毎日新聞

    東京・六木で2020年2月、「木内みどりさんを語りあう会」が開かれた際、最初にスピーチを依頼されたのは作家の落合恵子さんだった。絵やオーガニック品などを扱う「クレヨンハウス」の主宰者でもある。約450人の参加者を前に「あなたの死ではなく、あなたが生きていたことを私たちはしっかり、素手で握っていきたい」とスピーチを結んだ。「友人編」は落合さんからスタートする。【企画編集室・沢田石洋史】 作家の落合恵子さんとの友情 まずは木内さんがパーソナリティーを務め、落合さんがゲストに招かれたコミュニティーFMの番組「市民のための自由なラジオ Light UP!」(16年7月放送)から2人の交友関係をたどっていきたい。 初めて出会ったのは、13年3月。落合さんが呼びかけ人に名前を連ねる「さようなら原発1000万人アクション」が、東京・明治公園で開催した「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」。司

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  • この国に、女優・木内みどりがいた:「規格外の演技」をする天才/44 | 毎日新聞

    女優の木内みどりさんは2017年4月、有限会社「マッシュ」(東京都渋谷区)の太田雄子代表にマネジメントを依頼した。「私のマネジメントしてくれない? マッシュに所属してもいいわよ。私、もっと女優の仕事がしたいの」。そして、二人三脚で晩年の仕事に臨んでいった。【企画編集室・沢田石洋史】 マネジメントを依頼した理由 依頼を受けた太田さんは、大きく心を動かされたという。前年の16年夏、東京・赤坂のドイツ文化会館ホールで、木内さんの生の演技を見ていたからだ。演目は、前回の連載43回目に登場したドイツの劇作家、ルネ・ポレシュさんの朗読劇「ロッコ・ダーソウ」。木内さんの長年の友人で、ハンブルク・ドイツ劇場の専属俳優、原サチコさん(ドイツ在住)が翻訳・演出を手掛けた。出演者は木内さん、原さん、古舘寛治さん、マッシュ所属の安藤玉恵さんの4人。 主催者のホームページによると、この朗読劇の舞台は「ロッコ・ダーソ

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  • この国に、女優・木内みどりがいた:自己奪還とシスターフッドの物語/43 | 毎日新聞

    前回紹介したように、「V-DAY」での朗読劇「ヴァギナ・モノローグ」への出演は、無報酬が条件となっている。しかも、世界中で演じられてきたこの上演台には、タブーからの解放を目指し、出演者が自国語で女性器の名称を叫ぶ場面もある。その役を木内みどりさんが引き受けた。出演依頼にどう応えたのか。【企画編集室・沢田石洋史】 きっかけはドイツの劇作家の作品 この朗読劇を企画した演劇プロデューサーで日大学芸術学部演劇学科の奥山緑教授は、こう振り返る。 「木内さんの過去のいくつかの舞台を見てきました。蜷川幸雄さんの演出で1992年に上演された『三人姉妹』のナターシャだったり、2006年の『ガラスの動物園』のアマンダだったり。なかでも、同じ06年の『皆に伝えよ! ソイレントグリーンは人肉だと』は、芝居がうまいだけではなく、演劇に誠実に向き合い、人としての懐の深さにあふれていた。いつか機会があったら、出演を

    この国に、女優・木内みどりがいた:自己奪還とシスターフッドの物語/43 | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた:朗読劇「ヴァギナ・モノローグ」への出演/42 | 毎日新聞

    朗読劇「ヴァギナ・モノローグ」の終了後にトークをする木内みどりさん(右から3人目)ら。左端は司会を務めた奥山緑さん=東京都豊島区の東京芸術劇場で2014年4月4日(写真はいずれもアムアーツ提供) 舞台女優として木内みどりさんならではの出演作がある。米国の劇作家で女優のイヴ・エンスラーさんが、さまざまな年齢、人種の200人以上の女性へのインタビューを基に書いた朗読劇「ヴァギナ・モノローグ」だ。刺激的なタイトルだが、木内さんに白羽の矢が立ったのには理由がある。2回に分けて紹介したい。【企画編集室・沢田石洋史】 米国ではメリル・ストリープさんも出演 木内さんは2016年2月17日、ウェブサイト「マガジン9」に「The Vagina Monologues/ヴァギナ・モノローグ」と題したコラムを書いている。このコラムを収めた「またね。木内みどりの『発熱中!』」(岩波書店)から、そのまま引用する。 <

    この国に、女優・木内みどりがいた:朗読劇「ヴァギナ・モノローグ」への出演/42 | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた:正体不明の「マネジャー」/41 | 毎日新聞

    女優の木内みどりさんは、マネジャーを置かずにスケジュールを自分自身で管理していた期間が長い。周囲に勧められ、外部にマネジメントを依頼するようになったのは2017年からである。この間、どんな作品に出演してきたのだろうか。また、依頼を断る場合は、どう対応してきたのだろうか。【企画編集室・沢田石洋史】 長女出産後15年の歩み 04年に舞台「ママがわたしに言ったこと」に出演する際、当時53歳の木内みどりさんは婦人画報(同年9月号)のインタビューにこう話している。 <ここ15年程は子育てに専念していて、仕事からは遠ざかっていました。けれど私も50歳すぎて、この先、自分の時間をどう使うかを考えてみたんです。自分はいったいどちらに向かったらいいのか。そして得た結論が、「舞台こそ私のいたい場所」でした。なによりあの空間が好きなんです。舞台上のあの場所では年齢や性別、人種、宗教などあらゆることと関係ない自由

    この国に、女優・木内みどりがいた:正体不明の「マネジャー」/41 | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた:伊丹十三監督に選ばれた理由・その2/40 | 毎日新聞

    1993年公開の映画「大病人」(伊丹十三監督)で木内みどりさんが演じた看護師は、主要登場人物5人のうちの一人だ。前回に続き、伊丹さんの俳優論とキャスティングについて紹介したい。【企画編集室・沢田石洋史】 映画「大病人」のキャスティング 伊丹さんの日記やインタビューで構成される著書「『大病人』日記」(文芸春秋)は、この映画の公開日に合わせて出版された。映画の製作過程を追うことによって創作の秘密に迫り、映画がヒットするための「諸条件の法則化」を目指した意欲的なだ。「文春の人」(編集者)によるインタビューは次のように始まる。 伊丹さん <映画の準備がになりますかね> 文春の人 <なります(笑)> 伊丹さん <そういいきられると――> 文春の人 <だって今まで六映画を作られてすべてヒットしてるわけでしょう。一体その秘密はなんだろう、というのは誰しも知りたくなりますよ> 伊丹さん <それはよ

    この国に、女優・木内みどりがいた:伊丹十三監督に選ばれた理由・その2/40 | 毎日新聞
    vox_populi
    vox_populi 2021/08/11
    「伊丹さんは「三つの軸」で「俳優論」を展開。「気持ちの軸」「らしさの軸」「「第3の]z軸について、自身うまく説明できていない。「それがつまり魅力」」「さらに、俳優の顔には「物語」がなければならないと」。
  • この国に、女優・木内みどりがいた:伊丹十三監督に選ばれた理由・その1/39 | 毎日新聞

    女優の木内みどりさんは1988年に再婚し、翌89年に長女を出産する。38歳での初産は当時、よほど少なかったのだろう。「超高齢出産」がテレビの情報番組や雑誌で話題をさらった。そして、子育てや家族との時間を大切にするため、仕事を意識的に減らしていく。一方、この30代後半から40代にかけては、伊丹十三さん(1933~97)ら著名な映画監督・演出家の作品に出演する期間と重なっている。【企画編集室・沢田石洋史】 波に乗っていた30、40代 私が木内さんにインタビューした時、人気絶頂だった時代を振り返ってもらうと、こんな話をしてくれた。 「私は成り行きできちゃったけど、30代から40代にかけては仕事が次から次に来て、波に乗っていました。マネジャーとヘアメイクを連れて3人でスタジオからスタジオへ渡り歩く毎日です。だけど、そこにはワナがある。人は波に乗っている人を見たがるし、落っこちたり、何かのアクシデン

    この国に、女優・木内みどりがいた:伊丹十三監督に選ばれた理由・その1/39 | 毎日新聞
    vox_populi
    vox_populi 2021/08/06
    「伊丹さんの日記やインタビューで構成する著書「『大病人』日記」にこう書かれている。<キャスティング難航。物語のある顔の俳優がこの国にはなんと少いことか!>」「木内さんはなぜ伊丹さんに選ばれたのか」。
  • この国に、女優・木内みどりがいた:大物プロデューサーの依頼断る「テレビ最多出演者」/38 | 毎日新聞

    1980年代になると、女優の木内みどりさんは押しも押されもせぬテレビの人気者になる。連続ドラマをはじめレギュラー番組への出演が相次ぐ。結婚しても人気が落ちないのは、女性のファンに支えられていたからだ。個人事務所を設立したことにより、テレビ局側から脅しめいた出演依頼があっても、「断る自由」を獲得していた。【企画編集室・沢田石洋史】

    この国に、女優・木内みどりがいた:大物プロデューサーの依頼断る「テレビ最多出演者」/38 | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた:森繁久彌さんら大先輩に導かれ/37 | 毎日新聞

    女優の木内みどりさんは劇団四季を退団し、活動の舞台をテレビに移すと、マスコミの寵児(ちょうじ)になる。インタビューには飾らぬ態度で応じ、見出しや記事では好意的に「開けっぴろげ」「化粧っけゼロ」「あっけらかん」などと評されていた。テレビ局からオファーが相次ぎ、森繁久彌さん(1913~2009年)ら名優との共演で演技力が鍛えられていったようだ。【企画編集室・沢田石洋史】

    この国に、女優・木内みどりがいた:森繁久彌さんら大先輩に導かれ/37 | 毎日新聞
  • (惜別)木内みどりさん 俳優:朝日新聞デジタル

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    (惜別)木内みどりさん 俳優:朝日新聞デジタル
  • この国に、女優・木内みどりがいた:演出家の浅利慶太さんへ立ち向かった若き日々/36 | 毎日新聞

    高校を1年で中退し、劇団四季に入団した木内みどりさんは役者としての才能を開花させる。そして、1980年代になると、ドラマやバラエティーなど数多くのテレビ番組に出演し、週刊誌で「最多出演女優」と騒がれる。そんな人気者が、演出家やプロデューサー、先輩俳優といった「力を持つ者」に対し、どんな態度を取っていたのだろうか。経歴をたどりながら何回かに分けて紹介したい。【企画編集室・沢田石洋史】

    この国に、女優・木内みどりがいた:演出家の浅利慶太さんへ立ち向かった若き日々/36 | 毎日新聞
  • この国に、女優・木内みどりがいた:対権力、名脇役・沢村貞子さんの系譜を継いで/35 | 毎日新聞

    女優の木内みどりさんは高校を1年で中退し、劇団四季に入団する。19歳の時、TBSで放送された連続テレビドラマ「安ベエの海」で主演し、お茶の間の人気者となった。このドラマの主要な舞台は、第二次世界大戦中の広島。木内さんは軍人のでありながら、軍国主義に流されない女性を演じた。くしくも、連載7回目で紹介したように、木内さんの最後の仕事となったナレーションの吹き込み場所も広島で、テーマは「戦争と平和」だった。女優としてどんな道のりを歩んできたのだろうか。【企画編集室・沢田石洋史】 出世作のテレビドラマ、主舞台は戦中の広島 木内さんの死後、自宅の棚から2の録画テープが見つかった。そこには「安ベエの海」の第1週と最終週が収録されていた。この連続ドラマは1969年9月から70年3月まで、「ポーラテレビ小説」枠で月~土曜日、午後0時40分から同1時の間に放送されている。原作は佐藤愛子さんの小説「加納

    この国に、女優・木内みどりがいた:対権力、名脇役・沢村貞子さんの系譜を継いで/35 | 毎日新聞