戦時の湯川博士「転身すべき時が来た」 日米開戦に高揚、真理から軍事研究へ、日記に胸中 2020年8月9日 15:00 1941年12月8日に書いた日記の一部。「既にハワイにて米主力艦オクラホマを撃沈等幸先よきニュース夕刊紙上を埋め●り。時局かくの重大なりと雖(いえど)も、却って久しい間の暗雲晴れ、天日を望むが如き爽快の感に満つ」=●は判読不明、京都大基礎物理学研究所湯川記念館史料室所蔵 日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士(1907~81年)が太平洋戦争中につづっていた日記の一部内容が、8日までに明らかになった。日米開戦に高揚する様子や詳細が不明だった軍事研究への関与が記されている。一方、物理の基礎研究に打ち込む姿も浮かび上がり、戦後に核兵器廃絶を目指して平和運動を展開した湯川博士の歩みを考える上で貴重な史料といえそうだ。 日記は遺族が寄贈し、京都大基礎物理学研究所の湯川記念館史