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地方と交通に関するcaesiumのブックマーク (4)

  • 路線バス復活の裏にドラッカーあり!

    連載では、ドラッカー教授の著作に学んで、成果をあげた日の中小企業の物語を紹介します。 筆者(佐藤等)は、業の公認会計士の仕事の傍ら、2003年から、ドラッカー教授の著作の読書会を始めました。最初のころはなかなか人が集まらずに苦戦しましたが、地道に続けるうち、13年間で700回以上を開催するまでになりました。この読書会で報告を受けた実践の成功例が、この連載の骨子です。 なかでも、読書会の初期の中核メンバーが、十勝バス(北海道帯広市)の野村文吾社長です。5年前、地方の路線バスが約40年ぶりに利用客数を増やした奇跡は、多くの経済メディアで注目を集めました。日経ビジネスオンラインの読者の皆さまならば、すでにご存知かもしれません。ただ、その背後にドラッカーに得た学びがあったことは、それほどには知られていないでしょう。第1回は、野村社長に、自らの言葉で「ドラッカー体験」を語ってもらいます。 「イ

    路線バス復活の裏にドラッカーあり!
  • 「まち」の地方創生 最高路線価地点の変遷と街の構造変化 2015年10月16日 | 大和総研グループ | 鈴木 文彦

    ◆1965年(昭和40年)から年まで50年間の石巻市の路線価を調査した。最も高い場所が、北上川河岸の旧市街から石巻駅前、次いで石巻バイパスを経て高速道路の近辺に変遷している。同じように東北地方の都市について調べると、かつての中心市街地の地価凋落とともに、最高路線価地点が郊外に移転する傾向が見られた。中心地の変遷の背景には、徒歩・舟運から鉄道、次いで乗用車という主要交通手段の交代がある。中心地の場所と街のスタイルは主要交通手段に規定される。この仮説を稿では「交通史観」と呼ぶ。 ◆次に、都道府県庁の所在都市の最高路線価を1960年(昭和35年)に遡って調査した。郊外移転の事例はないものの、旧市街の地盤沈下を背景に駅前に移転する事例は多く見られた。東京や地方ブロックを代表する都市は2000年代半ばまでに地価の持ち直しの動きがあったが、それ以外では県庁所在都市を含め下落傾向を辿っており、都市間

    「まち」の地方創生 最高路線価地点の変遷と街の構造変化 2015年10月16日 | 大和総研グループ | 鈴木 文彦
  • あなたの街からバスが消える日

    バスは鉄道と並んで、地域の重要な移動手段だ。特にバスは鉄道より低コストで柔軟に運用できるため、公共交通の最終防衛線ともいえる。しかし、そのバス事業も安泰ではないようだ。 杉山淳一(すぎやま・じゅんいち) 1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲームPCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。2008年より工学院大学情報学部情報デザイン学科非常勤講師。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP、誠Styleで「杉山淳一

    あなたの街からバスが消える日
  • 高速道路に通過される町が見せた気骨 島根県飯南町:ない物探しで地域活性化 | JBpress (ジェイビープレス)

    両県、とりわけ高速道整備がなかなか進まなかった島根県にとって、松江市~広島市までの移動時間が約50分短縮、交流促進が期待される。 反面、インターチェンジ(IC)が作られなかった沿線の町は「素通り」「空洞化」の危機に直面することになる。 中国山地に囲まれた人口約5500人の過疎地・島根県飯南町もその1つ。打開策として外に打って出ようと息詰まる行政とは裏腹に、「ピンチはチャンス」と着々と地元の足場固めをする民間業者もいる。 1日の通行量7800台が3500台に減少 松江市まで約80キロ、広島市まで約110キロ。これまで両市を行き来する最短ルートは、島根県南部と広島県北部の県境にある飯南町を通るのが一般的だった。ドライバーが一服するには、ほどよい場所でもあった。 町の基幹道路・国道54号線は、南北に伸びる約23キロ。山あいの道を車で走るとガソリンスタンドが7つ、道の駅が2つ。 ほかにも、島根県内

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