タグ

ブックマーク / blog.livedoor.jp/fuji8776 (5)

  • アルピニスト・野口健のブログ : 福島第一原発、20キロ圏内の世界 - ライブドアブログ

    防護服に身を包む。 6月20日、早朝、私は高邑勉議員(民主党・衆院議員)と福島原発20キロ圏内(警戒区域)に向かった。高邑議員とは以前から遺骨収集活動でご縁があり、エベレストから帰国後に再会した際に「野口さん、20キロ圏内に取り残されている家畜が政府の方針により殺処分されている。私は何度も現場に通っていますが、あの動物達の鳴き声が耳から離れないんです。何とか助けたい。殺さずに生かしていく方法があるはずです」と訴えていた。 震災後、何度か被災地入りしたものの、私が訪れたのは三陸地域(陸前高田市、気仙沼市、山田町など)であり、福島ではない。同じ被災地でも三陸地域と福島とでは被害の内容が大きく異なる。震災後(4月10日から)、エベレスト登山のためにしばらく日を離れたが、エベレストにいながらも気持ちは日にあった。私が訪れた被災地は今どうなっているのだろうか?そして原発事故が起きた福島県は?エベ

    cu39
    cu39 2011/07/31
  • アルピニスト・野口健のブログ : さよならリリ - ライブドアブログ

    1月30日、講演のために地方出張中に家から「昨日からリリが家に戻らない」との連絡が入る。我が屋には二匹のがいる。ナナとリリ。ナナは僕が学生の頃に近所の畑で出会ったノラ。そしてリリは5年前にふらりと入った新宿のペットショップで目が合い、一目惚れし我が家の一員となった。偶然にもリリさんはエジプト産のだった。グレーというかシルバーに近いような綺麗なトラガラ。大きな目がクリクリし、そしてどこかツンとお澄まししたような表情に一目ぼれしたのかな。 お気に入りのソファで リリが我が家の一員になった頃は、ナナがリリを嫌がり、リリが近づくと「ハァー」と威嚇していた。ナナからすればいきなりの姉妹誕生で戸惑っていたのかな。しかし、その不中も半年ほどで気がついたらいつも二人でベッタリ。動物病院に預けた時も病院の方から「ナナちゃんとリリちゃんはとっても仲がいいですね。いつも一緒に寝ていましたよ」と声をかけられる

    cu39
    cu39 2011/02/07
  • アルピニスト・野口健のブログ : 片山右京さん遭難について - ライブドアブログ

    12月18日、富士山登山を行っていた片山さんら3名が遭難しましたが、その知らせに驚きまた他人事とは思えなかった。何故ならば同じ日に富士山登山を予定していたからだ。しかし、一緒に登ろうとしていた平賀カメラマン(山岳カメラマン)が海外ロケに出かけており延期。右京さんの遭難前日、奥多摩登山を行っていましたが、この日からグッと冷え込んでいた。天気予報は「雪が降るかもしれない」と伝えていたので、ダウンジャケットなどの防寒具に身を包んでいたが、それでも寒かった。奥多摩でこれだけ寒かったのだから富士山は大変だっただろうと、延期になった事を安堵していた矢先の右京さん遭難。 右京さん遭難の一報の直後からテレビ、新聞などの報道陣から話を聞きたいと連絡が相次いだ。そして何人かの記者から「片山さんが登山仲間を残したまま下山しましたが、どう思いますか!」と、最初から右京さんの判断に問題があったのでは、といったニアン

    cu39
    cu39 2009/12/24
  • アルピニスト・野口健のブログ : 今年も残りわずか やっぱりヒマラヤに行くことに - ライブドアブログ

    とにかく2008年も慌ただしかった。2008年の一年間を振り返ってみてゾッとした。講演会が92回(延べ人数38920人)。地方が多いので一の講演は移動を含めると一日がかりであり、ざっと92日間を要した。ヒマラヤで過ごしたのは70日間。取材(テレビ・雑誌・新聞・ラジオ)は114。国内での清掃活動(富士山や海岸など)は15日間、その他海外(ツバル・フィルピン・バングラディシュなど)は18日間、環境学校に18日間。 つまり、365日のうち、講演会や清掃活動などで東京または日を離れていたのが223日。残りの142日間で114の取材をこなした。さらに原稿を書く時間や挨拶回り、打ち合わせ、事会などもその中に含まれてくるのだから、私の処理能力を完全にオーバーしていた。車に例えるのならばオーバヒートしエンジンから火を吹いているようなもの。そして何よりも大変なのが、このような生活を送りながらもシビ

    cu39
    cu39 2009/01/03
  • アルピニスト・野口健のブログ:チベット動乱〜北京五輪出場への条件〜 - livedoor Blog(ブログ)

    3月14日、チベット自治区の区都ラサ中心部で僧侶やチベット一般市民による大規模な暴動が発生。連日、その暴動の様子が日テレビ、新聞等の報道で大きく取り扱われている。中国人の店舗や公安当局の部に投石し車をひっくり返しているチベット人の姿をテレビの画面で眺めながら、「日ごろ温厚なチベット人がついに爆発したな」と、もし私がチベット人でその場にいたら間違いなく行動を共にしていただろう。永年に渡り中国に支配されチベットの文化が葬り去られようとしている時に命をなげうってでも中国による侵略を国際社会に訴え、そして救いを求めようとしている彼らの行為を一体誰が責められようか。まさに知覧から飛び発つ思いであったに違いない。 このブログまた野口健ホームページにも、北京オリンピック開幕式の芸術顧問をいったんは引き受けていたスティーブン・スピルバーグ監督がスーダンのダルフール問題を理由に顧問就任を辞退したその経

  • 1