日本の歴史上、公式に数学という言葉が使われたのは、1855年に幕府によって外交・軍事科学のための翻訳・調査機関として設立された蕃書調所(ばんしょしらべしょ)が、蘭学一辺倒から英語・仏語・独語へと範囲を広げ、洋書調所と改称し、1864年に数学科を作ったのが始まりであると思われます。これを引き継いだ明治政府は1877年(明治10年)に東京大学を創設し、ケンブリッジ大学で数学と物理学の学位を取得した菊池大麓(当時22歳)が初代の日本人教授となりました。 東京大学理学部数学科の卒業生は1889年までに6名しかいませんでした。その一人で1882年卒業の藤沢利喜太郎は菊池からヨーロッパ留学を勧められ、ロンドン大学、ベルリン大学、シュトラスブルグ大学に学びます。1886年に学位論文をシュトラスブルグ大学に提出し、翌年帰国しましたが、藤沢は当時の最先端の数学を学んだ最初の日本人とされ、その後の日本の数学に
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