スポンサードリンク 私は電車がすき。別に鉄道マニアとかではない。 自動車を運転するより電車での移動が大好きです♪ 私には、アスペルガー症候群に加えADHDも持っているため 注意力散漫で、気を抜くと信号無視をしそうになったり・・・ 運転中はずっと人一倍緊張しつづけて運転しなければ危険なことを知っています。 バイクも同じなのですが・・・・ バイクは、ヘルメットをかぶって自分の時間を作ることができるので 嫌いではないけれど・・・・ 1年に数回しか乗らないのも危険を感じるからなのかもしれません。 私は、とくに街中を運転するのが嫌いです。 バイクや人が車の間から飛び出してくるし、強引な割り込み・・・・ 運転していてドキドキします。 車やバイクを運転した後は、気が休まらずクタクタです。 車を運転していたら、フロントガラスに虫や 鳥の糞がついただけでパニックです。 気になって気になって運転に集中できなく
AC、人格障害関連 精神疾患に見える発達障害シリーズ⑦ 2007/9/24 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 3 精神疾患に見える発達障害シリーズ⑦ その他のいろいろな人格障害と診断されている発達障害 私の経験では、最終的に私がADHDやASと診断した人の以前の診断名は多彩だった。 受動型ASの人が「依存性人格障害」、「回避性人格障害」、受動型ASの人が夫や彼氏など愛着の対象に対し支配的な態度をとる状況で「自己愛性人格障害」など。 ASもADHDもストレスが強くて、反応性に混乱したり暴れたりしたときに「情緒不安定性人格障害」、「失調性人格障害」など。 ADHDのACも訴えの内容や過剰反応したときの行動自体は「境界性人格障害」に表面上似ているので、表面的な診断上はつけられうる。 いずれも発達障害であるから、「もと
2010年06月30日 アスペルガー症候群の人は、一体何で苦しんでいるのか。(?_?) カテゴリ:アスペルガー症候群 さて、皆さまに、アスペルガー症候群のことをいろいろ記事にしてきて、もう半年になります。 わたしも、来月4日には30歳です。 そこで、いろいろ考えてみました。 そもそも、アスペルガーの人は、一体何に苦しんでいるんでしょう。 この障害を説明するのは、あまりにも説明することが多すぎて、わたしには非常に大変な作業です。(実際に、人に説明するのは大変です) 一体、何が苦しいのだろう? 一生懸命考えました。 支離滅裂な内容だと思いますが、当事者らしい、嘘や飾りのない気持ちです。 宜しければ、お付き合いください。m(__)m わたしが思うに、アスペルガーの人が抱える悩みで多いのが、まず人間関係。 コミュニケーションが上手くいかないことだと思います。 わたしも、身近な人とすら時に上手くいか
自己正当化型ADHDと、AS(アスペルガー症候群)の人は、時にパートナーからDVの加害者と見られることがある。 私自身も、カミさんから結婚当初は「痛がらせしている」と思っていたと言われた。ADHDは表情などに反応できず、相談も苦手であり、ASの場合にはどうしても支配的な接し方になる。また多数派には予測できない状況でキレたりするので、相手から見ればDVになりうるだろう。 このDVは解決が可能だ。発達障害の診断、コーチング、パートナーの理解により、本人もかなりの程度自分の感情のコントロールが可能となり、またパートナーも意味が理解できることで不必要な刺激を減らすとも出来、また同じ反応でも受け取り方が変わる。 DVの加害者や被害者から相談を受けるときは、発達障害を念頭において欲しい。一度別居してからでもかまわないが、両者に発達障害について説明し、本人にはコントロールすることの説明とコーチングを行う
ノビ太型ADHDは野心も無く、欲も無く、ジャイアンや積極奇異型ASDから見ると「向上心が無い」という風に見えたりして、パッとしない存在に思われがちだ。しかしノビ太には別の不可能に見えることを簡単に成し遂げる超能力とも言える役割が可能であり、だんだん私にも意味が理解できて来た。 およそ世の中で一番どうにもならない難しいことと言えば、「受動型ASDの内モードを修正する」ということだと私は思う。実はノビ太にはそれが簡単に出来てしまう。以下にシミュレーションをしてみよう。 例えば、受動型ASD女子とノビ太型ADHD男子のカップルを想定する。 A.ノビ太は受動型ASDが内モードを出しても平気である。 これも驚くべきことなのだが、ものの言い方も乱暴で無理難題を要求したりしても、ノビ太は不思議に「普通に反論」してびくともしない。時には「正論であるが屁理屈に近くて反論のしようが無い」ような話になって受動型
AS、特に受動型ASの行動特徴を示す非常に重要な事実にたどり着いたのであるが、直感的に表現する以上の説明を探しきれないでいる。 例えばAS同士、分かっている同士、通じている相手にはお互い「妥協は出来ない」という事実だ。 この関係にADHDが入ると途端にASは容易に妥協できるというのが表面上の事実の不思議さだ。 これが何故なのか? が今考え続けているテーマだ。 別の角度から見てみよう。相手と自分は非言語的に、言葉で言わなくても通じているとしよう。だからと言って、「したがって相手が譲歩するべきだ」という論理にはならない。ここが私が説明に難渋しているポイントだ。 これが多数派であれば、お互いの間で「非言語的な交渉」が行われ、結果はギブアンドテイクの現実的な妥協に落ち着くだろう。 逆に言えば受動型ASの場合は、「理解」即「全面的な受け入れ」という論理になっているのだ。 受動型ASにとって愛着の相手
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