宿題の話で述べたが、ADHDの脳は自分では非常にコントロールしにくい。レース用のエンジンを積んだ普通車のようなもので、アクセルを安易に踏むとスピードが出すぎたり、ハンドル操作が追いつかず危険である。 他方で、ADHDの脳は環境の影響を受けやすい。周囲の刺激や興味のあるものに単純に反応する。 だから、「周囲の環境を通じて自分の脳をコントロールする」という独特の方法が可能となる。例えば「場所を変える、場所で決めておく」、「新しい服を買って身につける」、「片付けのアイテムを買ってくる」など、身の回りの環境を動かして結果として自分の脳の方向を変えるという方法が可能となる。 (逆に言えばそうでもしない限り操縦が出来ない厄介な脳なのだ) パニックを起こして暴れまわっている最中でも、突然興味のある別の話を向けると落ち着いたり、また場所を変えるだけで落ち着いたり、(これをタイムアウトと言う)単純であるため
ADHDにとって過集中は楽しい。次から次へアイディアが浮かび、気分も浮き浮きして集中力もあり、仕事もはかどり、疲れも感じない。(躁うつ病の躁状態のように浮ついた感じとは違う) だが過集中には大きな落とし穴がある。それは、「同じくらいに周囲の人が熱心にならないと腹が立つ」という落とし穴だ。 私は以前の病院勤務の頃、治療の難しい患者様を主治医交代で引き受けたりしていたが、治療にのめりこむにつれて、看護師さんの愚痴などのフォローが出来なくなった。逆に「プロなんだからこれくらい当たり前だろう」と言ってしまう。これではチーム医療は出来ない。実際私は何度も孤立したことがあった。 単独ですることを除き、何らかのチームで取り組む仕事には過集中はADHDが予想するよりもマイナスが大きい。周囲がついて来られなくなり、パフォーマンスが低下して、最終的にはサービスの受け手に申し訳ないことになる。 「周囲のフォロー
ジャイアン型ADHDは衝動統制の障害である。「2歳レベルの衝動を我慢できない」という状態がジャイアンの「自然状態」であり、環境により二次的に別の障害に移行する。 以前にも書いたが、「ゴリ押ししたら全部通してもらえた」という環境では「衝動を我慢しない」という障害に成長する。人を困らせてコントロールしたり、強引にゴリ押しを続けて自分の衝動を通そうとする。通る限りこれを続ける。通す限りエスカレートする。大人になってDVの加害者になったりする。 「例外を一切許さない冷徹な合理的基準で律する」(鬼母)という環境では、「理由があるから我慢する」という超合理的なスタイルとなり、その結果は他人にも厳しく、自らをも一生涯責め続ける超合理的強迫的ジャイアンへと成長する。 「非言語的な威圧で押さえつけられて従わされた」環境では、「押さえつける主の顔色を徹底的に伺う」というプロセスの中で、「衝動は強い人が禁止する
言語性IQの高い(言語性IQ優位の)ADHDの場合に、過集中の時を「本来」とみなして、地道な努力をする気になれなくなることがある。 過集中という現象はADHDには非常に快適だ。好きなことの場合、努力を省いても記憶出来、またしばしば多数派よりも高いパフォーマンスが可能となる。例えばある思春期ケースの場合には、難解な演劇の台詞を一度読むだけでほぼ完全に記銘し、家で練習しなくてもそらで言えたりする。 このケースが受験勉強に関して「集中できないで困る」と訴えることをよくよく聞いてみると、結局演劇の場合のように短時間で記銘できる集中が受験勉強では困難であるという意味であった。 私は主治医として「受験勉強は時間が長すぎるので過集中は使えない」と告げた。 過集中が使えるのは高々テストの一夜漬け程度で、受験勉強は長丁場なので効果から言っても継続時間から言っても過集中が使えない場合であるのだ。 躁うつ病の人
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