強すぎる「いい人」欲求は自分の人生を追い詰める 私は2つの会社を経営していますが、いずれの会社もオフィスはもたず、従業員も雇わず、提携と外注だけで事業を運営しています。物理的にいらないということもあるのですが、「自由」な生き方をしたい、という思いが強いからでもあります。 自由とは何かというと、私は「物理的自由」と「精神的自由」とで構成されていると考えています。 物理的自由とは、「複数の選択肢から選べること」。複数の選択肢を得るためのひとつの方法は、おカネを稼ぐ力を高めることです。そういう意味もあり、私はこれまでもおカネに関する書籍をいくつか書いてきました。 そしてもうひとつの大切な要素が「精神的自由」です。これは「自分の感情が、他人からの影響や制約を受けないこと」を意味します。 精神的自由を得るためのひとつの方法が「いい人」をやめることです。いい人とは、他人の目を気にして、人から嫌われない
世の中には、他人に無理難題を押し付けたり、理不尽な要求を繰り返したり、自分が一番であると疑わないような振る舞いをする人がいる。「自分大好き」が高じて、他人を攻撃したり、陥れたりする例もあり注意が必要だ。なぜ、行過ぎた自己愛は危険なのだろうか。「自分大好き」という人たちの心理を片田珠美氏に探ってもらった。 「みんな平等」という幻想 皆さんもちょっと気になっているかもしれませんが、最近、「自分大好き」という人間が蔓延(まんえん)しているように思いませんか。 その一因として、戦後の民主的な社会で浸透した「平等」という幻想の崩壊が挙げられます。「みんな平等」などと学校でも教えられ、それを信じていたのに、現実には「勝ち組」と「負け組」の格差が拡大していることもあって、そんな幻想を信じられなくなりつつあります。 教育による社会的地位の上昇というのも「神話」になりつつあります。 教育には多額の投資が必要
学校などでのいじめがニュース沙汰にまで発展することが時折ありますが、加害者側は将来、健康的な生活を送ることができることが明らかになりました。まさに「憎まれっ子世にはばかる」を地でいくような調査結果ですが、いじめられた側への影響も判明しています。 ニュース - 科学&宇宙 - いじめの加害者、成長後は健康? - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ) ナショナル・ジオグラフィックが「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌で発表された研究結果を元に報じたところによると、アメリカ・ノースカロライナ州西部に住む1420人の子どもたちを対象に、1993年から「グレート・スモーキー山脈調査」と名づけられた長期的な調査が行われたそうです。 これは子ども時代、思春期(9~16歳)、青年期(19~21歳)の間に心血管系リスクやメ
退くも勇気だ。 自らの命以上に一族としての誇りを重んじるもののけ姫・サンにアシタカが放った一言。名誉のために命を捨てることが尊いとされた時代。いつでも勇敢でどちらかと言えば無茶をいとわなそうなアシタカは実は退く覚悟を知る若者でした。 辛く勇気がいるのは前に進むことだけじゃない。平日の朝、とうとう自力で布団から体を起こすのも困難になった夫コーヒーさんを見ながら思いました。毎朝最初に口にする言葉は「仕事に行きたくない」。 去年の暮れ、コーヒーさんが転職して2か月目のことでした。 ■スポンサーリンク パワハラによって折れた心 原因は上司のパワハラ。 詳細はコーヒーさんが自身の言葉で記しているのでそちらをご覧ください。 www.blog-ialoha.com コーヒーさんは穏やかで心優しい性格ですが、意外と根性があります。小学校~高校までバスケットボールの強いチームに所属し、厳しい練習・指導に耐え
自己コーチングガイド各論② ADHDの自己理解そのG (対人関係の特徴) (ADHDのACは除外、別に論ずる予定) G.ADHD特有の対人関係の特徴を理解する。 多数派は対人関係を、全体として複数の人で構成される「場」として認識し、その一要素、一構成員として自分自身や他者を認識する。「場」においては、自分自身から見て重要な人と重要でない人の序列(立場)があるほか、「場」全体の中での(雰囲気として察知される)「仕切る人」と「従う人」の序列(立場)もあり、そういう複雑な関係の絡み合った「場」全体が人間関係となる。 多数派はその中で、自分自身の序列(立場)や、相手の序列(立場)とを瞬時に直感的に察知して、基本的に「表立って対立が生じない」ことを重要として対人行動を決める。 従って、多数派は特定の二者関係も、その他多くの関係の中で「比較的近い相手との二者関係」であり、言わば重要性は「程度の差」であ
ジャイアンの脳は本来「責任を取りたくない」性質を持つ。 責任を負うと、うまく行かなかった時に自己突っ込みをしなければならず、また、失敗のときに他者から攻撃されても反論できない。 だから、(責任を負っていたとしても同じだが)「うまく行かなかった時だけ人のせいにする」という特有のみっともない行動パターンとなる。 と言いながら、「仕切る」ことは好きなので、ああしろこうしろと口だけ出したりする。うまく行ったときは自分の功績にして自慢したがったりもする。 自分の子供でさえ、ジャイアンは当たり前の親としての責任を自覚しない。極端には「問題」がなくなると忘れてしまったりする。自分が不安にならないことのほうが優先するので、パートナーでも施設でも、出来ることなら「丸投げ」したいと考え、実際丸投げすることも多い。 他者の責任逃れには異常に厳しいのに、自分が丸投げしていることについては無頓着で、問題に気づきさえ
対人関係でトラブルが生じたとき、私たちはつい、「どちらが間違っているか」で決着をつけようとしてしまいます。 恋人が私の気持ちを判ってくれない、友人に冷たい態度をとられた、同僚と仕事のやり方が合わない……。 相手の間違いをただし、説き伏せることができれば、一時的に気は晴れます。 しかし、まわりのすべての人と正当性を争って対決し、勝利をおさめたとしても、いったい何が残るでしょうか。 敗れた側には恨みが残ります。他人から恨まれることは、自分にとっても損なことです。 まわりのすべての人を打ち負かせば、すべての人から恨みをかいます。それが果たして幸せといえるでしょうか。 豊かな人生を送るためには、「正しいこと」よりも大切なものがあるのです。 人間同士のトラブルは、片方だけの問題によって起こるのではありません。双方ともが勝ち負けにこだわっている場合にのみ起こります。 片方に問題があっても、もう片方がそ
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