私はこれまで「ADHDとASはどこが違うのか?」を中心テーマとして考え続けてきた。 私自身ADHDとして、自身の他者への無関心さ、自己中心性、「上から目線」への過剰とも言える反応(怒り)、その結果としての中心志向の自己突っ込み(ジャイアン的な諸特徴)に私自身苦しみ抜いてきた。 また私の母に見られる救いがたい浅薄な表面的認知、「世間体」と自己正当化にしか関心がない特徴も同じADHDの一つの特徴として考え続けてきた。 私が「ジャイアン」と呼んできたものはこれらの情緒的な自己中心性、常に相手より優位を保とうとする行動特性、または常に自分に大多数の関心を引き続けることへの強迫性を併せ持つADHDの姿であった。 これらの一見情緒的で「他者との関係に強迫的になるように見える」認知と行動の特性がASとどこが違うのだろうか、という関心がこれまでの私の中心であった。 今やこの問題の答えは、「ASは個体同士の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く