名前の由来となっているのは、皆さんもご存知、ジェームス・マシュー・バリーの小説「ピーターパン」。漫画やアニメなどで目にしたことも多いでしょう。ダン・カイリーは、そんな主人公のピーターパンの心理的側面に注目、アメリカ社会に増加する大人になりきれない男性たちの心理を分析しました。 成熟した大人であるにも関わらず、子どものような言動や行動を取る男性の病気で、社会人としての能力が欠如していることもあります。物語の中でピーターパンに恋をする女の子と言えばウェンディですが、幼いけれど母性が強く、何でもしてくれるウェンディのような女性が、彼らにとって必要な女性像と考えられています。 特徴や症状として、以下のようなものがあげられます。 ・成人しているのに、子どもっぽい考え方を持ち、またそういった行動を繰り返す。 ・ヒステリックになったり、感情のコントロールが乏しい。 ・妄想が多く、自己中心的な考え方をする
「変わりたいのに、変われない…」ということ。これは誰にでもあることです。そして、とても複雑に思えるこの言葉。実際はとてもシンプルなことです。「変わりたくないから、変わらない…」のです。ただ、それだけなのです。「それは違うよ!自分は変わりたいんだ!決めつけないで!」と、このように言いたい人もいると思います。気持ちはよくわかりますが、それは「自分が自分の気持ちに気づかないでいるだけ」です。 この記事は電子書籍に移行しました。 勇気を持って自己脱洗脳(自己解放)せよ! この書籍は、これから変わる人の為の一冊です。変われない自分が苦しい……、そんなあなたにお伝えしたいことがあります。変わりたいのに変われない理由、それは「嘘」です。そして「苦しみの底」は「死への境界線」です。あなたは苦しみの底に辿り着いたことはありますか? 苦しみの底に辿り着いた人に必要なことは、その苦しみを抱きしめることです。それ
最近、もっと人の気持ちにならないといけないな、とよく思います。 大人の男として、また仕事がら人や組織に寄り添う必要がある人間として、まだまだ人の気持ちになりきれていないことが多いなと日々反省しています。 「もっと人の気持ちになろう」 「やっぱりわかってないな」 「今日こそもっと人の気持ちになろう」 「まだまだ足りないな」 ・・と繰り返し、「うーむ、出口が見えない」とアンタンたる気持ちになり始めたときに、とても良い記事に出会いました。 人の気持ちがわからないのは、自分の気持ちがわからないから | 自分にOKを出して前に進む!初めはタイトルを見て「どういう意味だ?」とケゲンに思ったんですよね。 自分の気持ちなんて知っとるわい! むしろいつも自分のことを考えすぎて人のことを考えられていないのが悩みなんじゃないか!なんて思っちゃったんですよ。初めはね。 読んでみると、この点についてはこんな風に説明
(推奨BGM) ザ・ノンフィクション旧テーマ曲 SANSAARA ATARI KOUSUKE Letra e tradução - YouTube 「まさか自分が障害者として働くとは、夢にも思っていなかったです。だって、社会に出るまでは全然不都合がなかったんですから」 ナレーション(以下ナ): 東京のとある外資系企業。 電話会議用にヘッドセットが使われるため電話が鳴らない静かなオフィスのかたすみに、Yさんの姿がありました。 Yさんはもともと障害を持たない普通の人として働いていましたが、数年前に過労が原因でうつ病・双極性障害を患い、それを機に障害者手帳を取得。 それでもしばらくは一般枠で仕事をしていましたが、仕事が忙しくなるたびに休みがちになり、仕事場にも迷惑をかけることが多く、働きづらさを感じてたそうです。 そして会社の産業医が変わったことをきっかけに主治医を変えたところ、すぐに双極性障害
のび太型ADHDは、他者を気にすることなく、本当の意味でマイペースで生きられるので、本来「依存」とは全く無縁のはずである。 しかし現実には、共依存の片割れになっていることがよくあり、何故なんだろうかと考えていた。 具体的には、「誰もしようとしないから自分が引き受けた」「しょうがないねえ」という流れでみんなの面倒なことを結果として押し付けられ、相手が子供やパートナーの場合は丸投げ依存されてしまいケア上のマイナスが大きいという結果になる。 「あなたは本来人に依存する人でも依存させる人でもないはず」という人なのに結果は共依存の状況が出来上がってしまうのだ。 私はこの現象は、「現実状況だけを見て人を見ていない」ことの結果であると思いついた。 目の前の現実は解決するべきである。本来するべき人はやろうとしない。しないと口で言っていたりする。いろいろ出来ない事情を言っていたりする。 「人」を見れば、「こ
孤立型ASDについての理解は時間とともに深まっている。 今回第二段をまとめてみる。 この人たちの特徴を一言で言えば、「イヤなことをしないことに一切罪悪感を感じない」と 言い表せるだろう。 ある思春期の小学5年生は、本人のこだわりで一部しか授業に出ないことに対して、「クラスメートからずるいと言われることを気にすることは無いの?」との質問に、「実際に言われているけれどもそれが何か?」と涼しい顔をしている。 このブレなさ加減が孤立型ASDの真骨頂とも言うべきところだ。 ノビ太型ADHDは嫌なことをしなかったら「自分は逃げていて良くないのではないか?」と 必ず考えて、そうこうしているうちに結局嫌なことをする羽目になる。 ジャイアン型ADHDは逃げていると人から指摘されたら大変なのでとても平気ではいられない。 受動型ASDも外モードでは周囲に合わせるのでこれほどオレ流にはなり切れず、元祖オレ流の積極
2015年12月17日 何も考えてない奴の特徴wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww カテゴリ 【衝撃】嫁「ごめん、終電すぎちゃって・・・」俺「迎えにいこか?」嫁「えっ」→結果… 【愕然】彼氏のお尻からニョロニョロが出てきて寝てる時にコッソリ絞るの辞めらなかった結果 妻「あなたと娘の血が繋がってないんだけど!不倫したでしょ!離婚!離婚!慰謝料!」→結果… 1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/15(火) 17:44:50.06 ID:KGDZBD+EM.net 表情があまり変わらない 3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/15(火) 17:45:12.57 ID:T5mafPXF0.net 口が半開き 4: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/15(火) 17:45:22.49 ID:1X9UiIVS0.net そうだよ(思考停止) 5: 風
受動型とよく間違われているタイプ。自分自身の特性に気付いて自分自身を全否定し、自己肯定感が低下して「自分はダメな人間だ」と思いこんだり、定型発達者や社会を恨んで不登校や引きこもりになってしまうようなケースは回復が難しいと思う。 積極奇異型は、人に指示を出して組織を仕切ったり、中心となって引っ張っていくなど組織を支配している状態こそが本来の姿であり、人の指図を受け、服従するような立場にあっては実力を発揮できず、自己肯定感など回復できない。 自己肯定感が低下した人間は「出来ないのが当たり前だ」というネガティブ思考に捉われる。時には自分の心を守るために、そういう思考が大切になる時もあるだろうが、それが常態化してしまっては生き辛さが増すだけだ。「自分一人では生きていけない」という考えに捉われてしまえば、誰だって生きる気力を無くす。 家族を支配することで自己肯定感を回復するような状況になったら目も当
ADHDの子供を育てるのは難しくない。もともと情緒的に「自立」しており、情緒的な影響を受けにくいので、ACになりさえしなければ良い。要は「本人の話を聞き、言語的に否定しなければ良い」と言うことに尽きる。 しかるにASの親は多くの場合「支配的」となる。もともと対人関係も積極奇異型の場合全体に支配的であるのに加え、子供が愛着・執着の対象であると、完全な支配を続けることもある。 もうひとつ、AS親の特徴として、「試着・執着により子供を差別する」ということが加わると、ADHDは完全に混乱してしまう。 理不尽な支配はADHDの子供にはもっとも好ましくない環境だ。まずADHDには一番大事な「話を聞いてもらう」機会が少なく、また言語的に支配されることで自分に自由が無いと思い込む。「ADHDのAC」になりやすい。 特に思春期に自己主張をはじめたADHD子に対して、なおAS親が支配を続けようとすると、ADH
さて前回まででASの自己診断(総論)は一段落として、いったん「人に対する愛着が無い」となった人の自己診断に戻る。 ここに残ったほとんどの人はADHDと分類されることになるが、この後にADHD関連で私は5つのタイプに別れると考えている。 その最初に、まずこの「ADHDグループ」には、「人を必要としない」の他、「移り気で刺激を求める」、「(まだ使えるから)物を捨てられない」、「いろいろな作業を同時進行でいくつも進めてどれも終わらない」、「納得しないと行動しない」、「臨機応変で場当たり的」、「言葉を真に受ける」などの特徴がある人が残っているはずだ。 ただ、ASのときと同様に、「二次障害として痛い目にあったから自分で多数派に合わせるようになった」ということを考える必要があり、こういう場合は上記の「ADHDらしさ」は一見目立たなくなる。これを私は「ADHDのAC」と呼ぶ。 ADHDのACとは、「自分
私は私が出会う当事者の人一人ひとりについて考えながら私の発達障害の分類を作り続けてきた。これまでの分類に無い人が現れれば分類自体を作り、また説明できない人が来られれば分類自体を組み替えることもある。 HPのASの分類に関しては、自閉症の3分類(積極奇異、受動、孤立)をそのまま書いていたが、実は「孤立型」という人にはこれまで会ったことが無かった。 それが、最近やっと「家族」の中に孤立型ASと呼べるような人が現れた。もちろん本人にもその診断を告げた。 積極奇異型ASとの違いは、「愛着の対象に尽くす」「全体を仕切ったり注目を浴びたがる」という「愛着」と「中心志向」が見られない。 受動型ASとの違いは、外でも自分のこだわりを強く主張し、周囲に「合わせる」形での妥協が見られない。基本的に内と外の違いが無く、「生活の全てにおいて自分の興味関心、こだわりに忠実」というスタイルになる。 その結果、「普通へ
AC、人格障害関連 精神疾患に見える発達障害シリーズ⑦ 2007/9/24 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 3 精神疾患に見える発達障害シリーズ⑦ その他のいろいろな人格障害と診断されている発達障害 私の経験では、最終的に私がADHDやASと診断した人の以前の診断名は多彩だった。 受動型ASの人が「依存性人格障害」、「回避性人格障害」、受動型ASの人が夫や彼氏など愛着の対象に対し支配的な態度をとる状況で「自己愛性人格障害」など。 ASもADHDもストレスが強くて、反応性に混乱したり暴れたりしたときに「情緒不安定性人格障害」、「失調性人格障害」など。 ADHDのACも訴えの内容や過剰反応したときの行動自体は「境界性人格障害」に表面上似ているので、表面的な診断上はつけられうる。 いずれも発達障害であるから、「もと
AC、人格障害関連 精神疾患に見える発達障害シリーズ⑤ 2007/9/17 AC、人格障害関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 11 精神疾患に見える発達障害シリーズ⑤ -- ボーダー(境界性人格障害)に見える受動型AS 受動型アスペルガー症候群(以下AS)の人は、小学生のときから「外と内」が全く違う。多くのケースでは学校などの「外」ではほとんど意思表示せず、逆に「内」で愛着の対象である母親などには暴力暴言、理不尽な要求を突きつける。青年期になっても、パートナーの態度に過剰反応して、大人になっても自傷したり、過量服薬したり、説明しないで家出したりする。 この愛着の対象に対する態度は、「愛着」ゆえのASの人には当たり前のような行動である。愛着の対象は自分のすべてを知っていて当たり前であるし、逆に自分は相手のすべてを知っていなければならない。相手は
AC、人格障害関連 ASに似たADHD②ADHDのAC 2007/2/26 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 69 ADHDのACについてはこれまで何度もここで書いてきたが、最近私はADHDのACは「幼少期のASまたは自己正当化型ADHD(による)被影響症候群」であると考えている。 自己評価が極端に低く、見捨てられ不安と似た「世間から置いてきぼりにされる不安」の中で、周囲に異常に気を使っている自覚があるにもかかわらず、他者から見ると「天然」に見えるという状態であり、本人が努力してある程度修正しているのでADHDらしくも見えず、またACとしては他者から見た悲劇のヒロイン風の深刻さが欠けており、「考えすぎ」と言われてしまう。 ADHDのACも自分の評価に関わる周囲の態度にはASの「関連付け」に近い過剰反応や思い込み
ASとACの関係は複雑で微妙だ。積極奇異型も受動型もどちらも「表面的には」AC的で、「ASのAC」というと、このもともとAC的なところと、二次障害として変わってACになったところとの区別が非常に難しくてかえって話が分かりにくくなるので、私は最近はあえてこの言葉を使わなかった。 それが、ASの「型」について考える際に、よく「途中である型から別の型へ変わった」と言われる人が多いところで、やはりASのACを考えるべきだと思えてきた。 私の相談に乗っているASの人の多くは、積極奇異型は積極奇異型、受動型は受動型で、私が見る限り「はじめから脳が違う」ように思える。とても相互に移行するようには見えない。 ただし、いくつか状況による行動の変化はある。例えば、「積極奇異型ASが、愛着の相手には尽くす形で非常に受動的になる」ということや、「受動型ASは受動型なので、もともと相手や環境によりいくつかの顔を使い
ADHD(注意欠陥多動障害)は、前頭前野の統合機能が少し低下している状態と言われ、「状況が分からない」「過集中と虚脱のパターン」などが見られる発達障害の一つである。状況が分からない結果、自分に不利になることを言わないことや嘘をつくことは不得手で、また周囲の雰囲気や態度、表情を読み取ることも不得手で、結果として見当外れな「思い込み」「決め付け」になってしまうことも多い。一般には「片付けられない」という結果的な適応障害ばかりクローズアップされているが、本質は「脳の働きの質的な違い」であり、管理能力の高いADHDは片付けは出来る。状況が分からない部分が最も重要である。 他方でADHDは本来非常に正直で合理的であり、先入観にとらわれず、思っていることを何でも口に出してしまうため、自分を偽ることに非常に違和感を感じ、時にはACの認知のゆがみ自体を合理化する独特の理論体系を考え出したりもする。 一方A
私は発達障害のケアに本格的に取り組む前に、AC(アダルトチルドレン)のカウンセリングに取り組んでいた。その中で、非常に率直で、過去の振り返りによって劇的に回復するケースに出会い、回復した後の姿を見て結果としてADHDだったと分かる経験を何度もしてきた。 今思えば、そのうちの多くは「ノビ太」型のADHDのACであり、このケースは「あなたが悪かったのではなくてADHDの理解が不足していたせいであり、誰も悪くなかった」ということをイメージした瞬間に元気になり、本来のADHDらしく明るくなる。このタイプのほとんどは治療も終結となっていった。 その中で、なぜか自己評価が回復した後も治療の長引くケースや、ADHDの告知を否認するケースが出てきて、これは何だろうとずっと考えてきたが、この一群が「ジャイアン(自己正当化型ADHD)のACだった。 他方でACとはおよそ別物の、自己中心的で身体症状の激しいAD
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