「アスペルガー」の呼称で知られる発達障害者の一群は 近年その正式名称に変更があり 障害特性に明確な境目のない「グラデーション」のような概念 (自閉症スペクトラム-ASD)という呼び名に統一された。 グラデーションなのだから、つまり「虹」のようなもので 同じASDの中でさえも、その性質は様々である。 その中でも… 「会話力(共感力)は低いが、知能自体は高いタイプ」 が多く居ることをご存知だろうか。 そういうタイプは往々にして 人の顰蹙を買う事が多い。
さて、最後に 定型発達者から教えて貰った、人心掌握法について 記載したいと思う。 定型発達者Aが言うに、 メリット(利益)の提供をする際、留意する点があるという。 どうすればいいかというと、 多少大げさでもいいので、 相手への忠誠心を見せるべし、との事。 具体的に書こう。 例えば、 「ごめん、出来たら昼休み中に 荷物を運んでおいてくれない?」という依頼を受けたとする。 その際、「分かりました」と言うのではなく、 「えぇー昼休み中ですか!? まぁ・・・先輩の頼みだったら、俺やりますよ!」 と言う風に、 "本来なら、したくない事ではあるが、 あなたの頼みであれば喜んでやります" という旨を伝えると相手は気分を良くし、また好感度も上がる、らしい。 定型発達者A曰く、 どうせ依頼を受けるんだったら、 出来る限り感謝される状態に持っていった方がいいでしょ? 「はい分かりました」とかいう返事じゃ、たい
自己コーチングガイド各論② ASの自己理解そのG (対人関係の特徴) G.AS特有の対人関係の特徴を理解する。 多数派は対人関係を、全体として複数の人で構成される「場」として認識し、その一要素、一構成員として自分自身や他者を認識する。「場」においては、自分自身から見て重要な人と重要でない人の序列(立場)があるほか、「場」全体の中での(雰囲気として察知される)「仕切る人」と「従う人」の序列(立場)もあり、そういう複雑な関係の絡み合った「場」全体が人間関係となる。 多数派はその中で、自分自身の序列(立場)や、相手の序列(立場)とを瞬時に直感的に察知して、基本的に「表立って対立が生じない」ことを重要として対人行動を決める。 従って、多数派は特定の二者関係も、その他多くの関係の中で「比較的近い相手との二者関係」であり、言わば重要性は「程度の差」であって、ある相手との関係が他の一切の関係に優先する「
スポンサードリンク 今回は、当事者からのメールについて回答したい。 頑張って妻のことを理解しようと努力しているのに 理解してもらえない。 どうしてなんでしょう・・・・・ 簡単なことです。 もともと感性も違う二人が気持ちが一致することもあれば 一致しないことも多々あるのは当然です。 しかも、アスペルガー症候群という発達障害を持っていれば 尚のことである。 では、理解できないということなのか・・・・ ここが大きな間違いなのである。 アスペルガーの特徴として自分の考えと一致しないことは 理解できないと思いがちだが・・・・ 自分はこう思う。妻はこう思っている ということを理解すれば それは十分理解していることになるということだ。 例えば、珍しく料理をしてみた。 今日は、豪華に天ぷらを作ってみた。 さあ~いただきます。 しかし、妻の顔色が良くない・・・・ 「ごめんなさい、今日は体調が悪いの」 どうし
ASは非言語的な表現を重視し、以心伝心を好む。 AS流の独特の深読みをして、言葉ではっきり言うことを嫌う人が多い。 多数派(ADHDとはもっと)とは言葉の使い方も異なり、多数派のほうから見れば「空気が読めない」となっているにもかかわらず、言葉で伝えようとしないから余計にコミュニケーションはうまく行かなくなる。 AS本人は多くは自分は空気が読めていると思い込んでおり、「多数派とは根本的に読み方がずれている」ことには気付いていない。 逆に相手もASであったりすると、本当に何も言わないくても表情や目くばせだけで、あるいは最低限の象徴的な言葉だけボソッと言うだけなのに多くの情報を伝えられたりもする。 このことは、実は思春期の親子関係には深刻な意味を持つ結果になる。 AS親は、顔を合わせるだけでAS子に親自身の価値観を「押し付けている」ことになってしまうのだ。これは上記の「表現方法の特徴」から直結し
ASがADHDに何故惹かれるのか考えていて、「理解できない」「支配できない」ことの意味に思い当たった。 最近までテレビ放映していた「のだめ」のようにADHDは徹底的に場当たり的で、ASから見たら「問題外」と映るような理解不能な相手になるはずだ。 しかしADHDにはどんどん変化していく「面白さ」「可能性」がある。もちろんASは「可能性」が生じるや否や自分の理論に取り込むべく「理解」(AS的にはASを不安にする不確定性を無くした形の説明をこじつけであっても立てる)しようとするが、その理解よりも早くADHDは変化していくので、「永遠に理解しきれない、自分に不安を起こさせ続ける相手」であるのだ。 この問題を「相手が多数派や受動型ASであった場合」と比較して考えると分かりやすい。多数派も受動型ASも、ASからすれば反応を「計算できる」。だからどうでもして「コントロールできる」相手である。 コントロー
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