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コミュニケーションと注意すべきと非言語的に関するdaisukeeHTNのブックマーク (4)

  • コーチング②ASの言語表現 | 意味不明なヒトビト

    自己コーチングガイド各論② ASの自己理解そのC (言葉の表現の特徴を理解する) C.AS特有の言語表現の特徴を理解する。 多数派はコミュニケーションの場において、他者の表情や口ぶりなどの非言語的情報から「状況」を多数派流に直感的に察知し、言語的情報はむしろ表面的で、しばしば心と異なる「建て前」という形で現れる。 これに対しASは、非言語的な直感的な状況察知は(時には鋭敏すぎるほどに)出来、逆に非言語的な表現も出来る。ただそれが「AS独自の理解とAS独自の反応」であるところが異なる。 また、もともとのASの認知の特徴である「細部に細かくこだわる」、「記憶力が非常に良い」、「ゼロか百かの極端な思考」等も理解されにくい理由のひとつだ。 ASからの表現はまた、「独特の詩的、象徴的」な表現が多く、多数派とは別の意味で「全てを言わない」ところがある。 このために多数派から見ると奇異と映るいくつかの

    コーチング②ASの言語表現 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/10/09
    "別の意味で「全てを言わない」" "「冗談や遠まわしな表現が通じない」、「話が長くて細かいところにこだわりすぎ、話の大筋が分からない」、「極端な表現が多くて乱暴な印象を与える」" 感情と理屈→http://bit.ly/2erdmVK
  • ASのオモテとウラ | 意味不明なヒトビト

    ASの人は基的に発する言葉も受け取る言葉も「深読み」が必要だ。また、中心志向のある人も「縁の下の力持ち」「ナンバー2」という発言が多いのは何故だろうと考えた。 私にはASの人は特有のオモテとウラを使い分けているように見える。例えば道理では絶対に自分が悪いところでも、情緒的には救い(フォロー)を求めたりするのが当たり前になっている。 道理、理屈を主張する場面でも、よく見ると理屈と情緒的な訴えの両方がメッセージになっており、理屈は表面上のポーズで実は情緒的な部分が伝えたい質的な内容だったりする。 ASの人は周囲の世界を「理解を求める一部の人」と、「その他の環境」に綺麗に分けるので、そのそれぞれに対する態度がウラとオモテになるのだろう。 例えば徹底的に合理的なADHDの親が、問答無用で合理的な基準だけで切り捨てる態度を取り続け、誰も情緒的にフォローする人が居なかったら、ASの子供はひねくれる

    ASのオモテとウラ | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/08/30
    "理屈は表面上のポーズで実は情緒的な部分が伝えたい本質的な内容" "二つのチャンネルを使い分けている" "不満がある当の相手の前では何も言わないで...居ないところで不満をぶちまける" ASの躊躇→http://bit.ly/2aYc4hD
  • 理解のための努力 | 意味不明なヒトビト

    私が「ASと想像力」で行ってきた作業を振り返ってみると、ASの人にとっては「当たり前」の認知の形式や基前提のような部分について細かく「言葉にして分析する」という作業だった。 これが「理解」につながる意外に近道であることが分かったので、ここで「理解のための努力」の指針を書いてみようと思う。 誰でも自分自身にとっては「当たり前」であるものの見方の基的な前提や形式をわざわざ言葉にすることは考え付きにくい。しかしASとADHDの相互理解のためにはこのレベルのお互いの説明と理解が非常に重要になってくる。 そういうわけで、相互理解への道は実は「自分自身が当たり前と思って言葉にして来なかった基的なことをあらためて言葉にすること」から始まる。 ASの人については、前回までにかなり突っ込んで分析してきた。ASの人は前回までに確認した「ASの人には当たり前だがADHDには適応できない考え方」を意識して、

    理解のための努力 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/06/03
    "ASとADHDの相互理解のためには...実は「自分自身が当たり前と思って言葉にして来なかった基本的なことをあらためて言葉にすること」" ADHDははっきり言おう→https://bit.ly/2duFlig
  • ASの努力④感情と理屈 | 意味不明なヒトビト

    ASの人について少し理解してきて良く感じるのは、「実際に言いたいことは感情で、自分の気持ちであるのに、理屈で表現するから分かりにくい」ということだ。 確かにADHD以外の世界では理屈(理論的な内容)と感情(気持ち)は言葉の中で一体となって表現され、両方を発して両方を受け取るのが当たり前となっている。 しかし、ADHDからみて思うのは、「現実の実際の人間関係のトラブルは感情のぶつけ合いの部分で起こっている」「ASの人は感情的なことを理屈でしか表現しないので理解されにくい」ということだ。 例えば、「自分が疲れていて辛いことを理解して欲しい」という場合に、そのままそう言えばいいのに、(普通分かるだろうと何も言わないのは論外として)「今日は何時までどうこう」と仕事の話をしてみたり、また「あなたと離れたくない」というだけのことを、「離れるのはこれこれこういう理由で正しくない」と言ったりすると、相手(

    ASの努力④感情と理屈 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/06/02
    "ASの人は感情的なことを理屈でしか表現しないので理解されにくい" "「感情はそのまま感情的な表現で伝える」ことを意識すると誤解が減ると思う。特にADHDは文字通りにしか受け取らないので" https://bit.ly/2dVMPgD
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