「アスペルガー」の呼称で知られる発達障害者の一群は 近年その正式名称に変更があり 障害特性に明確な境目のない「グラデーション」のような概念 (自閉症スペクトラム-ASD)という呼び名に統一された。 グラデーションなのだから、つまり「虹」のようなもので 同じASDの中でさえも、その性質は様々である。 その中でも… 「会話力(共感力)は低いが、知能自体は高いタイプ」 が多く居ることをご存知だろうか。 そういうタイプは往々にして 人の顰蹙を買う事が多い。
AC、人格障害関連 ジャイアンの「面倒を見たい」衝動 2008/1/23 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 39 合理的なADHDが実にさっぱりと「人にこだわらない」(例えば嫉妬心が無い等)のに対し、ジャイアンは特にASの人に対して「放って置けない」「離れられない」「引き寄せられる」感情が確かにある。 私はジャイアンとASの違いについて診断分類を突き詰めて考える作業の中で、この感情(衝動)について考えてきた。 現段階の結論は、これは「面倒を見たい衝動」とでも呼びうるような衝動である。いくつかの複雑な感情が入り混じって、渾然一体となったような非常に複雑な感情だ。 この衝動には、①好奇心、②仕切りたい(コントロールしたい)③守ってあげたい、④依存したい、の各側面があり、なおかつ「このうちのどれか」だろうと特定しにく
共依存を正当化する周囲の人や自分自身を誤魔化すための言い訳は多彩で、一見するともっともらしいように見える。 特にジャイアンは一見もっともらしい言い方をされると言葉に騙されて真に受けたり、またこれ幸いと丸投げに乗ってしまったりする。 例えば「無償の愛」とか、「恋愛」、「(親の面倒を見る)社会的な義務」「まともなコミュニケーション」等、多数派の世界ではある程度共通の理解を得られるあいまいな言葉が共依存を正当化するために使われることが多い。 私はつとめてこういうあいまいな用語を使わないようにしている。何故なら誤魔化しの世界で議論しても意味が無いからだ。 言い訳や自分を誤魔化すための用語は排除したほうが良い。 特に、ジャイアンは「自己中で自分の欲だけに忠実な野良猫のような存在」であり、またASも「どんなに努力しても自分勝手な共依存的で支配的な愛し方しか出来ない」ことは明らかなので、われわれ発達障害
AC、人格障害関連 発達障害と人格障害7.依存性人格障害 2011/4/1 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 6 DSM‐Ⅳによる依存性人格障害(Dependent Personality Disorder)の診断基準 A.他人に世話をされたいという過剰な欲求があり、そのために従属的でしがみつく行動をとり、分離に対する不安を感じる広範な様式である。成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下の8つの基準のうち、5つ以上があてはまる。 1. 日常の些細なことでも、他人から有り余るほどの助言と保証が無ければ決断できない。 2. 自分の生活のほとんどの主要な領域で、他人に責任をとってもらいたがる。 3. 他人の支持または是認を失うことを恐れて、他人の意見に反対を表明することが困難である。 4. 自分の判断や能力
(このところ非常にシビアーな話ばかりで読んで楽しくないとは思いますが、どれも残念ながら 「事実」なので書いていきます)。 最近のコメントの中に印象深い発言があったが、発達障害の親で子供の養育に支出したお金について恩を着せるケースがしばしばある。 本来子供の養育は憲法上も親の義務で、親がお金を出すのは(子供が何歳までかという議論は別として)一般的には当たり前だろう。 ジャイアンの親の一部に、ことある毎に「カネを出してやった」と恩を着せる言い方をするケースがある。私の考えではこれは「その場で子供に対して優位を保ちたい」という表面的な意味だと思う。 ただ子供も正直なADHDやASであると、「返さなければならない」と真に受けたり、また「恩を着せられる自体ムカつくから意地でも返しておく」というケースもあるだろう。 いくつかのコメントにもあったが、親自身が幼少期に経済的に苦しくて、親自身の親から出して
例えばジャイアンが受動型ASを「利用」したとする。それを受動型ASが「必要とされている」と勘違いするという問題がある。この問題はもしかすると普遍的に起こり続けている大問題のような気がするので、細かく検討しておこう。 前回詳述したように、ジャイアン側からは、ジャイアンとして自己責任たるべきことを丸投げして後から合理的な自己突っ込みが生じなければ「利用」で問題ない。これは比較的はっきりしている。 受動型ASの場合は、本来「利用」は自覚的にはすることもされることも嫌うが、相手によって「利用」に反応する場合と反応しない場合がある。 A.愛着の対象の場合、「利用」と分かると傷つく。単なる「利用」だった場合、「必要」であるかどうかを確認せざるを得なくなる。「利用に過ぎない」状況証拠の一つでもあったら最後、受動型ASから「私のことは必要ではないの?」という主に非言語的な「試し行動」が繰り返されジャイアン
AC、人格障害関連 ACとジャイアンと受動型AS③ 2007/10/14 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 10 ジャイアン(自己正当化型ADHD)と受動型ASはこれもまた表面上非常に似ている。自分の非を認められず人のせいにするような結果的な言い方や、近い相手に対する支配的な態度など、一見「ごり押し」でもよく見ると実は受動的であったりする。 この両者は第三者から「話だけ聞く」段階では鑑別が難しい。本人と話してみて、表面上は「緻密で隙がない」という印象を与えるのが受動型ASで、ジャイアンのほうは自己中心的な部分がすぐに「ばれる」ところで分かる。 実際に接してみたとき、ジャイアンは「相手かまわず」自分の主張を展開するのに対し、受動型ASは必ずこちら側の出方を探ろうとするので大体分かる。 ジャイアンのACの場合には、
「利用」は非言語的な意味を伴わない現実的な関わりであり、(しつこく書けば)大事なことは、「利用」と表現する限り「責任は利用したほうにある」と責任が明確であるという事だ。 対して「依存」はどうだろう。 受動型ASの場合は、要は「郭公の雛」的で、鶯の巣に鶯よりも体が大きい郭公の雛が「餌を持って来い」と当然のように口をあけて待っている図を想起しよう。「相手が自分を必要と言う」ことを切望し、相手がその言葉を言ったら最後、巣に居座る権利があると認識し、「必要と言っただろう」と当然のように異常にあつかましい理不尽な要求を巣の主に突きつけ続ける。(逆に必要でないと言われるといきなり関係をぶち切る)。 依存型ジャイアンは言葉でお願いすると自分の責任が生じるので非言語的なアピールで相手を動かそうとする。他にも無自覚なジャイアンは責任を取らなくて良いとなると簡単に丸投げしようとする。ACの共依存も同様だ。 説
成人発達障害を診てきて驚くのは、夫がアスペルガーで妻がADHDのカップルが非常に多いことだ。基本的にASはADHDが好きなようで、愛着の対象になりやすい。 ASの夫は、支配的で、よくDVで問題になる。妻の全行動をコントロールしようとしたりする。ところがADHDの妻は、極端にマイペースで、夫がそんなことを考えていても、相手にしない強さがある。ASは一見強そうに見えるが実は依存的で、ADHDの妻が支配できないと分かると一転献身的に尽くす理想の夫に変身する。 逆に考えると、「ASの男性が発達障害以外の女性と同居し続けるのは非常に困難」ということかもしれない。女性のほうが持たなくて、DV問題になってしまう。 ADHDのほうがうざったくなって離婚することも多い。中には繰り返しASと結婚するADHDもいる。 こういうケースで困難なことは、「子供がASであったりADHDであったりして、虐待問題になる」と
自己診断追記 ADHDとASの違いの本質 ADHDとアスペルガー症候群の違いについて、最近の私のイメージが少し明確になったので書いておこう。 ASの対人関係の本質は「絶えず他者の存在が前提となっており、またその他者との関係が非常に近い」ということである。「愛着」までなくても、その「他者との距離が非常に近い」ということだけでASとADHDを区別できる。 例えばASの人はDVなどで痛めつけられても相手から逃げたり距離をとる発想自体ができないことが多い。「傷つけ合っても離れない」という認知と行動のパターンとなる。 対してADHDは、「他者の存在が前提されていない」「意識しない限り他者は直感できない」ということで、「まず当たり前に自分のことは自分ひとりのこと」ということになる。 例えば「あなたにも聞いてほしい」と言われなければ自分がその「場」を共有していると考えないなど。 自己正当化型ADHDは人
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