ジャイアンは人を必要としない。が、「尊敬」や「利用」、「相互利用」はある。これらは基本的に情緒的ではない。 それ以外の情緒が関わる関係は、露骨な依存の他には、本質が「見下し」である「可愛そう」や、同じく「見下し」を含む「面倒を見てあげたい」など、基本的に有害な共依存関係につながるものしかないと今のところ私は考えている。 ただこれらのいずれも、結局「特定の誰か」を志向することは無い。ブランドを失えば尊敬は出来ないし、見下せれば(自分の上に立とうとしなければ)相手は誰でも良い。 ではジャイアンは孤独で寂しい人生を送るしかないのか? 否である。自分の意志で、自分の責任で特定の相手を「選択」すれば良い。私は「ADHDは恋愛は出来ないけれども結婚は出来る」と説明することにしているが、自分の責任で特定の人をパートナーにすると「選択」すれば、特定の相手との関係を作ることは可能だと私は思う。 逆に、恋愛感
AC、人格障害関連 発達障害と人格障害7.依存性人格障害 2011/4/1 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 6 DSM‐Ⅳによる依存性人格障害(Dependent Personality Disorder)の診断基準 A.他人に世話をされたいという過剰な欲求があり、そのために従属的でしがみつく行動をとり、分離に対する不安を感じる広範な様式である。成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下の8つの基準のうち、5つ以上があてはまる。 1. 日常の些細なことでも、他人から有り余るほどの助言と保証が無ければ決断できない。 2. 自分の生活のほとんどの主要な領域で、他人に責任をとってもらいたがる。 3. 他人の支持または是認を失うことを恐れて、他人の意見に反対を表明することが困難である。 4. 自分の判断や能力
例えばジャイアンが受動型ASを「利用」したとする。それを受動型ASが「必要とされている」と勘違いするという問題がある。この問題はもしかすると普遍的に起こり続けている大問題のような気がするので、細かく検討しておこう。 前回詳述したように、ジャイアン側からは、ジャイアンとして自己責任たるべきことを丸投げして後から合理的な自己突っ込みが生じなければ「利用」で問題ない。これは比較的はっきりしている。 受動型ASの場合は、本来「利用」は自覚的にはすることもされることも嫌うが、相手によって「利用」に反応する場合と反応しない場合がある。 A.愛着の対象の場合、「利用」と分かると傷つく。単なる「利用」だった場合、「必要」であるかどうかを確認せざるを得なくなる。「利用に過ぎない」状況証拠の一つでもあったら最後、受動型ASから「私のことは必要ではないの?」という主に非言語的な「試し行動」が繰り返されジャイアン
これまで時々言及してきたが、私は他の医療機関で「境界例(境界性人格障害)」と呼ばれたジャイアン(自己正当化型ADHD)の人を治療することが多い。 ジャイアンは自分の有利不利に関わる状況理解だけは特に鋭敏に直感的に把握できる。他の人の気持ちにはKYの重症であるに、自分の有利不利だけは分かる自己中心性がジャイアンの本質だ。 幼少期から力を持ったASの親から愛着で支配される環境下で育ち、このASの親の環境をコントロールする術としてノンバーバル(非言語的)なアピールと支配のやりとりを身に着け発展させてきた依存型のジャイアンが、結果的に表面上はボーダー(境界例)となる。 岩山の頂上にAS親が居り、そのAS親をコントロールしなければ自分が上に行けない状況の中でASをコントロールする技術だけを鍛え、ASを支配することで自分の目的を達成するタイプのジャイアンの一群が居り、実に純情なAS氏はコロリと手玉に取
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