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ジャイアンとACに関するdaisukeeHTNのブックマーク (4)

  • ジャイアンと親の「愛情」 | 意味不明なヒトビト

    ジャイアン親の「愛情」について重要なことは、「実際にそういった感情が存在するか」ではなく、「子供の側から見て「愛情」と呼べるのものであるかどうか」にあると私は思う。 例えばジャイアン母がAS夫の愛着を争って子供に妬みの感情を抱くような場合、仮に同時に娘への「愛情」が存在したとして、それを娘はどう受け取ったら良いのか?ということを考えると分かりやすい。 「あなたのことは娘としては愛していますよ」「お父さんと仲良くしているときのあなたは憎い」というメッセージが両方あったとして、言語的と非言語的と分かれたり、また断続的に入れ替わったりしている状況で、娘は「愛されている」と感じることが出来るだろうか? ここで娘がジャイアンであるかどうかによって意味合いが異なってくるのであるが、ジャイアンの娘は一方で自分に向けられる親ジャイアンのエゴを見た場合には、それとは別に「愛情」を認識することは出来ないだろう

    ジャイアンと親の「愛情」 | 意味不明なヒトビト
  • ファンタジーへの行動化 | 意味不明なヒトビト

    ジャイアンACにも言えるのだが、ちょっとKYなジャイアンには「病的な思い込みの激しさ」という現象があり、その結果として「ファンタジーの内容に反応して現実の行動化が起こる」という非常に救いようのない事態がしばしば起こる。 例えば自分は「嫌われている」、「いじめられている」と思い込み、結果としてサポートしてくれていた人との関係まで相手にショックを与える形で自分から断ち切り、孤立への道をたどる。 通院を勝手に中断したり、治療の枠踏み自体も突然破壊したりするので、継続的なケア自体が難しい。 私も何度もトライしても結局人のこの種の反応で治療の枠組み自体がキープできないで治療者としてギブアップしたケースが実際あった。 起こっていることは、ちょっとした不安や不信感から相手への攻撃的な思い込み、攻撃的なファンタジーが人の中でエスカレートし、それを現実と完全に混同して「反撃」する形で関係をぶち切る、とい

    ファンタジーへの行動化 | 意味不明なヒトビト
  • 「愛着または執着」と「理解」 | 意味不明なヒトビト

    私は偏屈者宣言を出した後は「普通になる」ことは断念した。しかし実は「人がどうでも良くなった」わけではない。実はADHDのACを卒業した今でも「人に理解されたい」強い衝動は残っている。 「これとASにみられる人への「愛着または執着」の違いを考えてみた。 ADHDのACが求めるのは、「話を聞いてもらうこと」である。相手が自分を好きかどうか、相手が自分を必要としているかどうかではない。求めているのは「理解されること」であり、よくよく見ると実は人による「評価」でさえない。 対してASの「愛着または執着」には、「この相手で無ければならない」というかけがえの無さがあり、また自分位ではあるが「相手は自分にとって必要」であり、また「相手も自分を同じように愛着または執着することを求める」という特徴がある。そういう意味では「愛情」に形式が似ている。 ADHDのACか受動型ASかを考えるとき、ポイントは「人へ

    「愛着または執着」と「理解」 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/08/09
    ASが求めるのは(共依存に近い)「愛着または執着」、ADHDが求めるのは「理解」「話を聞いてもらうこと」http://bit.ly/2aYs2GX (acwithadhd.htm)
  • 妻はモラハラ夫にどこまで耐えるべきか

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    妻はモラハラ夫にどこまで耐えるべきか
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